卓話


水と衛生月間・環境保全例会
東京の将来について

2019年3月6日(水)

東京大学
名誉教授 伊藤 滋君(東京RC)


 ここ数年来、私は若い専門家たちと一緒になって、“東京23区の将来像”について、検討を重ねてまいりました。その成果が昨年秋にまとまりました。目標年次は、23区の人口が最大値を迎える“2040年+”です。

 そしてここでは、11の都市計画的提案がされています。そのうち8つは専門的内容でありますが、3つは一般市民とともに理解していただける内容ですので、それらをここに紹介させていただきます。

1.歴史・文化を重視した街並み保存
 1つめの提案は、私たちの歴史と文化を継承してきた街並みの再整備です。
 戦後のアメリカ軍の占領政策は、東京の南側に集中しました。六本木の歩兵第一師団に占領軍の中枢が置かれ、駐留軍が跋扈(ばっこ)しました。そして、昭和39年の東京オリンピックでは、渋谷区代々木、世田谷区深沢、世田谷区駒沢に競技場や宿舎が置かれ、国道246号線の整備をはじめ羽田空港や首都高の整備が進められました。これもすべて南側で行われています。

 一方、東京の北側はアメリカの文明とは明確に一線を画(かく)しています。戦前から文京区小石川辺りには、深刻な顔をする学者連中が多く住んでいました。明治時代から日本の文士はどこに住んでいたでしょうか。まず、田端の文士村があげられます。漱石、鴎外、一葉は東大の周辺や鶯谷、日暮里に住んでいました。画壇でも、横山大観や岡倉天心は、上野から谷中界隈に住んでいました。岡倉天心の日本の芸術運動は上野を中心に行われました。さらに、上野には今の東京芸大に当たる音楽学校と美術学校ができました。東京の北側は芸術と労働争議と社会福祉の街でした。

 こうした活動が活発にならないと「文化」は育ちません。文化とは常に屈折していて、色々な社会的活動がもみ合うところから生まれてくるものです。それに対して文明は、もみ合わず単に並べて組み立てれば生まれるものです。したがって、“ねくら”な東北主体の北側が東京の「文化」を支え、“ねあか”な西日本主体の南側が東京の「文明」を牽引してきたと言えます。

 気が付けば戦後の昭和20年から現在までの74年の間に、南側には東京オリンピックをはじめたくさん手が入りましたが、北側にはほとんど手が入っていません。北側には手が入らなかったことで、東京の中産階級と町民の文化資産が、昭和と大正の文化の中に残されています。谷(や)根(ね)千(せん)も焼け残った東京の文化を守り続けている街です。ひとつひとつの店舗は、きらびやかさはなくても、その建物が並んだ商店街や町家になると、世界のどこにもない文化的雰囲気を持つ街並みになります。

 こうした文化は、都市が国際化してくると一番貴重な“オンリーワン”の資産になります。東京のオンリーワンは、銀座や六本木ではなく谷根千や浅草です。世の中のリーダーがつくりだすのではなく、市井(しせい)の人たちが皆でつくりあげてきた、そういう資産が残っているのは東京の北側なのです。

 これから東京を国際都市として育て上げてゆくためには、世界のどこにも比較するものがない、北側の街が持っている文化的価値を建築空間として大事に守ってゆきたい。谷根千、神楽坂、浅草、東十条などの庶民型商店街にきちんと手を入れてゆく。より魅力を感じる東京の「庶民文化」が表現できる街並みを整備してゆくことが重要だと思います。

2.「優良住宅地区」の創成
 私の2つめの提案は、東京の住宅市街地の国際化です。日本が外国と付き合わなければ構わないのでしょうが、国際化が進み21世紀に入りますと、多くの外国人が日本に駐在するようになり、彼らが望むような住宅は日本にないことが明らかになってきました。欧米企業の支社長たちは東京のマンションの一室を見て、こんな狭いところに住まなければならないのかと落胆しました。

 その国際化が東京に入り込んできています。東京に一番欠けていたのは、高質の住宅地です。そこには日本人が住んでもよいし、外国人が住んでもよい。住む人は問いません。手に入れる方法も問いません。とにかく質の良い住宅地が東京にないということは、国際的な都市の比較において都市の価値を下げます。

 私は、東京にも質の高い、国際的にいえば中の上クラスの住宅地を育てて行くべきであると考えます。戦前のような大金持ちの住宅地でなくてもよいのです。小ぶりな、しかも質の高いマンション住宅地を、山手線の内側に数多くつくるべきであると思っています。

 では、東京の質の良い住宅地は、どのような姿になるでしょうか。それは中の上の社会階層に手が届く“質の高い住宅地”です。容積率が300%程度の中高層住居専用地域に、高さ25m程度、6〜7階建ての中層マンションを道路に沿って並べて建てます。1戸当たり30坪から50坪、坪当たり単価800万円。総額で2億円から5億円位のマンションを建ててゆくのです。それには何らかの“都市再生特区的措置”を国や都は考える必要があるでしょう。

 このような高層マンション街の海外事例をあげてみます。まず、パリ16区のヴィクトルユーゴー地区、それとロンドンのメイフェアにあるグロブナースクエア地区、そしてボストンのビーコンヒル地区です。

 繰り返しますと、東京で目指すのは超高層集合住宅ではなくて、6〜7階建ての、できればマンサード風の屋根を持つ集合住宅です。それが20〜30棟ずつグループになり、東京の中に整備します。

 そういう場所にふさわしいのは、例えば高輪、南麻布、市ヶ谷砂土原町(さどはらちょう)、文京区関口台町(せきぐちだいまち)、大和郷、音羽などがあげられます。できれば下町の清澄庭園あたりにも1カ所欲しいです。そういった優良住宅地域を形成することができれば、東京は世界の優れた巨大都市と同様な評価を受けられることになるでしょう。

 ちなみに、東京の中に外国の専門家から高い評価を与えてくれそうな街が2つあります。1つは渋谷区の松濤、もう1つは文京区の西片です。西片は極めて和風の色彩の濃い街ですが、西片町会を支える住民のまとまった意思で高層マンション街をつくらず、昭和の面影を残した木造住宅地としてしっかりと保全されています。

3.臨海部の将来
 私の3つめの提案は、新しく東京港の中に埋立地をつくり、そこに普通の東京都民のための“リクリエーションの場”をつくろうという提案です。その場所は、東京ビックサイトと新木場の間の水面、12号地貯木場の水面です。その規模は南北の奥行が1,000m、東西の幅が1,000m、総面積が100haとかなりの大きさになります。この新しい埋立地を、これから20年かけて造成します。年間5haの埋立てです。

 この100haの埋立地に、私は新しい「動物園」と博物館も含む「植物園」、それに都民のリクリエーション用「海浜」をつくりたいと思っています。

 まず動物園は、現在の上野動物園を移設します。上野動物園の面積は現在14haと極めて狭い状態です。「ベルリン動物園」(Berlin Zoo)は35haあります。移設には水上動物園(西園)も含めます。これによって不忍池は、明治・大正時代の本来の広さを回復できます。かつての不忍池は、第2次大戦前は水上飛行機を飛ばしたこともある広さがありました。新しい上野動物園の広さは約30ha、現在の上野動物園の約2倍の広さにします。

 移設後の上野動物園の跡地には、アメリカのワシントンD.C.にあるスミソニアン博物館に匹敵する、航空・宇宙技術に関する博物館を開設して、子どもたちに科学技術の進歩の夢を与える場所にしたいのです。そうすれば、上野は“芸術と科学の森”として総合的にまとめることができます。

 次に植物園を新しくつくります。東京23区で最大の植物園は東京大学の小石川植物園(文京区)で、その広さは16haです。これも有名なロンドンの「キューガーデン」(Kew Gardens)は132haもの規模があります。規模でいえば、これにはさすがに追いつきませんが、大規模な温室と博物館の特色を備えさせることで、動物園と同規模の30haにしようと思います。そしてここに来る自動車の駐車場スペースを3,000台分の約20haをとります。

 残りは20haになります。ここでは奥行き200m、長さ1,000mの「海浜」(ビーチ)をつくります。野外音楽堂1つと会議場1つを港に面してつくります。

 現在、ディズニーランドで家族4人が遊ぶとすれば、10万円くらいすぐにかかってしまいます。これは若いサラリーマン家庭には大きな負担です。それに対してこの新しい東京港海浜リクリエーション施設で1日過ごすとすれば、動物園の入場料1人1,000円、植物園も1,000円、海浜入園料1人500円、合計1人2,500円で、4人家族で1万円、食事代も入れて家族全体で2万円もあれば十分です。これはディズニーランドの5分の1の料金です。

 東京に住む若いサラリーマン家族であれば、2カ月に1回くらいは費用のことをあまり考えずにここを訪れることができます。つまり、一般的な勤労者家族向けのリクリエーション施設を、ディズニーランドに対抗してつくろうという提案です。