卓話


古典芸能としての日本舞踊の今迄と今後

2022年10月26日(水)

日本舞踏家
西川流宗家後継 西川箕乃助氏


 日本舞踊といっても日常の中で触れる機会のない方が多いのではないかと思い、少し説明をします。

 日本舞踊という言葉は、明治初期にできた造語です。それまでは、江戸では「踊り」、上方では「舞」と言われていました。それが坪内逍遙によって「舞踊」という一つの言葉となり、そこに日本をつけて「日本舞踊」という言葉としてできあがりました。

 内容は、歌舞伎の踊りです。それを根っこにし、そこから発展していったものです。歌舞伎は1603年に出雲の阿国が京都の四条河原で踊ったのが最初でした。今、歌舞伎は男性でのみ演じられる芸能ですが、最初は女性で、扇情的な踊りだったために当時の江戸幕府に禁じられました。その後、若衆歌舞伎という、今でいうティーンエイジャーぐらいの人たちによるパフォーマンス集団ができ、それも男色などを理由に当時の幕府に禁止をされ、次に野郎歌舞伎という成人男性によるパフォーマンス集団ができ、それが今の歌舞伎の元になっています。

 歌舞伎は歌、舞、技という三つでできています。歌は台詞、舞は踊り、技とは演劇的な技術です。江戸時代、当時のスターである歌舞伎役者がいると、市井の娘さんたちが夢中になって、その人たちを追いかけました。そして、「私もああいう人たちの真似をしてみたい」という人たちが結構いたのです。ところが、歌舞伎は教えるものではなかったため、歌舞伎役者に成り代わって教える町の師匠が生まれて歌舞伎の踊りの演目をお嬢様方に教えて広がり、花柳界にもどんどん広がっていったというのが日本舞踊の有り様でした。

 そうしたことを私どもは生業としており、私の父・西川扇藏が10代目になります。初代が江戸・宝暦期に活躍した人間です。歌舞伎の振付師として番付等に載りました。その頃の歌舞伎はプリミティブなもので、役者は自分たちで振りを考えて好きなように動いていたのが、段々と芸能として成熟していくに従って、もうちょっと凝った音楽に、もうちょっと凝った振りをつけたほうがいいんじゃないかと、振付という職分も生まれたわけです。

 それが200数十年経った今も続いています。父は10代目ですが初代から血縁で繋がっているわけではなく、当時の優秀な門弟・弟子がその度に繋いできて、父、さらに先代が父親の母、私にとっての祖母で、その三代は血縁ですが、その前までは血縁ではありませんでした。以上が私の自己紹介になります。

 今日、皆様にご覧いただくのは「旅奴」です。奴とは侍の家来です。簡単に説明しますと、ある奴さんが文使いとして手紙を届けるために東海道を江戸から上方にずっと向かっている。ある朝起きたら、えらく寒いので、一杯ひっかけようと当時の居酒屋に行って一杯引っかけるわけです。そうすると、ほろ酔い加減でちょうどいい気分になっちゃった。でも行かなきゃいけないと道中を駆けていると、大きな水溜りがあって、ビシャッと濡れてしまう。「これはなんだ?水溜りだ」。そこに「なんだか自分によく似てるやつが写ってるな」。よくよく見ると、左利き。昔は日本では左利きはいませんでした。「こいつはなんだか怪しいな。そんな奴はぶった切るぞ。でもおかしい。あいつは左利きだ」となり、「なんだ、これは自分の影じゃないか」というオチのような話です。そんなちょっとコミカルな奴さんの踊りです。 それでは舞踊の清元というジャンルの音楽に合わせて踊ります。

《ここで「旅奴」を踊る》

 先ほど私が申し上げた、水溜りに写る自分の姿と、それに対して何かいぶかしげにしたり、怒ってみたりしているところはおわかりいただけたでしょうか。

 舞踊は音曲に合わせて動いて何かを表現することが求められます。必ずしも100%、歌詞に沿って振りがついているかというとそうではありません。振付の技法として、歌詞にベタ付けにするのは非常に幼稚な振り付けとされ、全体の雰囲気で何かを表現することが大事とされています。

 日本舞踊の音曲は、若い方にとってはワーワー言っているばっかりで何を歌っているのかわからないとよく言われます。確かにこの分量の歌詞を今のJ-⁠POPなどで歌ったら、多分、2、3分で終わると思います。それが8分弱かかっているということは、それだけ母音を伸ばしているのです。それが清元は富に顕著な「産字(うみじ)」という技法で、浄瑠璃を歌う人にとっての技量の見せ所です。今の方はなかなかその技量のことはわかりませんので難しいと思われるのかもしれませんが、よくよく考えれば、若い方が英語の歌を聞くときに100%英語の歌詞を理解して聞いているわけでは決してないと思います。そうした意味でも邦楽にあまり先入観なく触れていってほしいと思っています。

 そして、日本舞踊の今後は非常に大変なことです。日本舞踊に限らず、日本の古典文化、古典芸能と言われるもの全てにおいて直面している問題です。なかなか我々の世界のほうに目を向けていただけない、耳を傾けていただけない、これはもうまさしく私どもの責任だと思って深く反省をしつつ、どうしてなのだろう、どのようにしたらいいのかとずっと今までも考え続けてきましたが、結論というものは出ていないのです。

 今、歌舞伎にせよ、文楽にせよ、私ども日本舞踊の世界にせよ、いろいろな実験的な試みをしています。私共、日本舞踊も「五耀曾」(日本舞踊界に新しい風を巻き起こすべく、同世代の日本舞踊家5人が流派を超えて結成)の仲間でインドに行き、インドのカタックダンスとコラボレーション公演をしたり、それを日本に持ち帰り、ラーマーヤナというインドの壮大な物語を1時間ぐらいの作品にしたカタックダンスと日本舞踊のコラボレーションとともに公演したり、洋楽とともに日本舞踊を演じてみたりといろいろな試みをしていますが、なかなかこれといった解決策が見つかったわけではありません。

 ただ、そうした試みを続けていかなければ、日本の芸能、文化は本当に廃れていってしまうと思いますので、試行錯誤しながら、今の若い人たちにとって少しでも興味がわくような仕掛けや糸口を作っていければと思っています。


      ※2022年10月26日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。