卓話


世界遺産 屋久島

2021年11月24日(水)

(公財)屋久島環境文化財団
理事長 小野寺 浩様


 30年前に環境庁から鹿児島県庁に出向して以来、屋久島に関わってきました。

 有名な縄文杉は標高1300m位の所にあります。直径が5m20儖未如高さが25m位。樹齢は2800歳から7200歳まで諸説あり、カーボン分析をやりましたが、中が空洞で、正確なところはよくわかりません。樹齢3000年位のスギは、以前は1万本以上あったと思われますが、今は1000本を少し超えるぐらいです。木自体があまりにも長く生きているため地面のようになって、13種位のツツジ、スギなど色々な木が縄文杉に着生しています。

 屋久島は大きく高い島です。面積は540㎢で、日本で6番目に大きく、国後、択捉を含めると8番目になります。宮之浦岳が1936mと九州と日本の島の最高峰です。

 東シナ海の真ん中で標高が0mから2000mまであるため雨量がとても多く、年間4500 仄紊覇本一です。これは一番雨が降らない空港の近くのデータで、山の中腹が一番降り年間8000个ら1万个砲覆蠅泙后そして、豪雪地帯でもあり、標高1000m以上の所は数m積もります。

 標高差があるため、日本列島の自然を凝縮するような植生の垂直分布があります。一番下が亜熱帯でガジュマルなどがあり、次に照葉樹林帯、針葉樹林帯があり、一番上はあまりにも寒くて木が生えない草原帯です。

 シカとサルはたくさんいますが、不思議なことにイノシシとキツネ、タヌキはいません。その理由は説明できません。コンパクトな島に、植生や動物がぎっしり詰まっている不思議な島です。タヌキは人が放したものが最近増えているようです。

 一番南に千尋の滝があります。1尋は1m80cmで、1000尋であれば1800mになりますが、実際は約40m位の落差です。屋久島は花崗岩でできており、それがこの滝の両脇によく見えます。

 花崗岩の上に風化した土壌が50cmから1m弱ほど薄く乗っており、そこに生えた杉は成長が極めて遅い。成長が遅いと年輪が緻密になります。巨大な植物は大きくなりすぎて自重で倒れるのですが、屋久島の木は物理的強度が高くなって長寿になります。

 屋久島は雨が多いため、大きな水力発電ダムがあり、99.9%はクリーンエネルギー、水力発電でまかなっています。渇水期が不安なため重油を焚く設備を持っていますが、実際はほとんど使いません。

 ここに着目して、電気自動車の購入の助成事業をやりました。何百台か普及したのですが、バッテリーの走行延長距離の限界が破れず、日常的には大丈夫ですが、夏の暑い時にクーラーをつけて山を登るとちょっと不安になるため伸び悩んでいます。バッテリーの技術開発を待っているところです。

 縄文杉の少し下、標高1000m位にアメリカ人植物学者のウィルソンが大正3年(1914年)に発見した巨大杉の切り株・ウィルソン株があります。豊臣秀吉が大阪城を作るときに切って持っていったという説があります。

 屋久島は世界遺産に日本の第1号として1993年に登録されました。その前は世界遺産が何かをまだ誰も知らず、条約も締結していませんでした。1972年に条約はできていましたが、日本は20年遅れてようやく加盟しました。屋久島を世界遺産にしようという運動が起きたことが始まりでした。

 2021年7月、ようやく奄美琉球、北海道・北東北縄文遺跡群の二つが世界遺産になりました。「世界遺産の登録は1000を超えると厳しくなる」と言われていた通り、苦労し、屋久島の登録から30年、ようやくたどり着きました。

   やはりヨーロッパの人の頭がいいなと思うのは、自然と歴史文化遺産を一つのくくりにして、どちらも将来に引き継ぐべき人類の遺産というコンセプトにしたこと、実にうまくできています。パック旅行でも、両方を一気に見られます。

 屋久島環境文化懇談会には、秋山智英(海外林業コンサルタンツ協会長、元林野庁長官)、井形昭弘(鹿児島大学長)、上山春平(哲学)、梅原猛(国際日本文化センター所長)、大井道夫(国立公園協会理事長)、兼高かおる、C・W・二コル、下河辺淳(元国土次官、国土審会長)、沼田眞(自然保護協会理事長)、福井謙一(ノーベル化学賞)、日高旺(南日本新聞社社長)といった錚々たる人たちが喜んで参加してくれました。

 私のような国の役人の感覚からするとこうした有名人メンバーの場合、出席は平均3割程度と考えます。しかし、1年半の間に東京2回、京都1回、屋久島1回、鹿児島1回で開催したのですが、9割の出席率になりました。いかに、面白がり、かつ問題意識を持って参加してくれたかがわかります。

 第1回は平成13年4月29日、緑の日に鹿児島市でした。委員の1人に、「遺産条約というものがある。まず条約を締結して、屋久島を第1号にしろ」と言われて仰天しました。そうしたことを自治体に言われても困る、環境庁と外務省に言ってもらいたいと思いましたが、これだけのメンバーと知事の前で言われたので、知事と一緒に外務省その他を走り回りました。

 最初は冷たい対応でしたが徐々に変わり、翌平成4年6月の国会で条約締結の承認をしていただいて、平成5年12月、条約締結発言から1年8ヶ月で屋久島の登録にこぎつけました。今から思えば驚異的なスピードです。私が自然環境局長の時に知床、奄美沖縄を候補にしてから登録までに18年、それ以前を考えると30年がかりでした。

 この懇談会では屋久島の環境と文化を守る理念として「共生と循環」を上げたらどうかと意見が出ました。哲学者の梅原猛さんもおっしゃったし、屋久島に住む普通の主婦の委員からも出ました。そうした奇跡的なことが起き、平成4年の報告書にそれを書きました。

 その2年後、平成6年に環境省が第一次環境基本計画を作り、「共生と循環」が一番上位の理念として掲げられ、それは現在の環境基本計画に引き継がれています。

 屋久島が世界遺産になり、何が起きたかを見ます。比較は奄美群島です。奄美群島を日本の離島、山村の平均だと思って下さい。

 人口は直近で1万1800人。25年間で7%減に食い止めています。奄美は3割近く減っています。

 総生産は、屋久島は倍、奄美はあまり上がっていません。入込客数は屋久島が5割増で、奄美は17%増。一番大きいのは宿泊収容力で屋久島は3倍になりました。私が携わり始めた平成2年は1500人だったのが今5000人近くになっています。逆に奄美は30%減っています。

 一方で、大きな問題も起きています。観光客によって経済を浮揚すると、一部の人だけ観光関係者だけが儲かる構造になっていて、経済効果が広く地域全体に及んでいるかには疑問があります。また、縄文杉は圧倒的人気のため、ゴールデンウィークと夏休みの50日間に9万人位が登り、その弊害が指摘されています。

 コロナの最近の状況を見ていると、日本は政治も行政も、専門家も、マスコミも、あまり立派なことは言えないという印象を強く受けます。

 日本は、明治維新でものすごく苦労して立派な国になって、第二次世界大戦で叩き潰されてまた奇跡の復興をした。あまりにもうまくいったために、返って目標を失って、覚悟をなくしてしまった。神経が弛緩しているのではないかと生前の司馬遼太郎さんが大変危惧をしていました。

 亡くなる1年前に、半藤一利さんと対談し、「国民全体が合意するような目標なんかを掲げて、もう一度世直ししなきゃ駄目じゃないか」、例えば「自然をこれ以上壊さないっていう緩やかな大きな目標を立てて、50年なり100年計画でやってみたらどうだろう」とおっしゃったというのが、『文藝春秋』2020年7月号特集「司馬遼太郎日本リーダーの条件」にありました。自然保護をやってきた人間としては大変感激しました。

 確かに日本社会は人口が減り、高齢化し、いろいろな意味でマイナス要素がありますが、うまく乗り越えていくことを考えなければいけません。成熟した豊かな社会、国家は作れるはずですから、それに向けた発想をしなければいけません。今日いくつかお話したように、何もないと思われている離島や山村の中にヒントがたくさんあって、これらの中に意外と日本全体を引っ張るようなものが潜んでいます。

 昭和50年代初めに富山県が作った知る人ぞ知る地図があります。日本地図を90度横にすると、朝鮮半島と九州はいかに近いか、樺太と北海道がいかに近いか。そして、日本海は囲われた湖に見えます。

 ここから先、少し大胆な政策なり世直しをしていくときに、このように少し視点を変えること、あるいは地方にあるヒントを拾い上げることで、何か新しいものに辿り着く、日本全体が良い方向に向かうこともあります。私は日本人の経済、社会、あるいは個々人の教育的力は世界の中でもまれなものがあると思うので、もう少しそれを期待して、この先の50年を待ちたいと思います。


   ※2021年11月24日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。