卓話


確かな未来は、懐かしい風景の中にある

2020年1月29日(水)

(公財)日本野鳥の会
名誉会長 柳生 博氏


 僕も今月誕生日を迎え、83歳になりました。そして昨日、僕としては快挙をやってきました。警察署へ行き運転免許証を返納してきました。僕の住む北杜市ではそうした人達へのサポート、保育園、介護の充実、農業の法人化のサポート等もしています。時代が大きく変わっている今、今日は変わらないものを語ろうと思います。

 僕は「山のじいじ」と呼ばれています。うちの八ヶ岳倶楽部で働いている男の子と女の子の結婚が毎年、2,3組あり、各地に行って自分の家の仕事を継いだりしていて、日本中に僕のことを「じいじ」と呼ぶ68人の子供がいます。

 皆さんも昔のこと、そして今のこと、そして来年のことに思いを馳せながら聞いて下さい。

 僕が生まれ育ったのは、霞ヶ浦のすぐそばの、霞ヶ浦航空隊や予科練があったあたりの田んぼです。柳生家は地主です。日本の地主は、そこで働かせて儲かったお金を入れる西洋の地主とは違い、里山を管理していく世話役です。

 里山について、僕らはNHKの科学番組部で『生き物地球紀行』を作り上げました。その中で最後に世界に問うたのは日本の生き物に対する考え方、自然の営みに対する考え方、そして接し方。それを「里山」と言います。

 昔、里山の定義はありませんでした。何が里山か、皆で考えました。日本で生き物が一番濃密な形でかかわっている場所は田んぼ、人間が作ったものです。田んぼに水を引く小川も人間が作ってきました。そして大事なものは雑木林。元々そこにあった落葉広葉樹を人間が植え、手入れをした。野が良くなる野良仕事です。そして、肝心な人間の集落があります。この4点セットを「里山」としようと番組を作りました。

 例えば、私達は秋になり外で鈴虫が鳴いているとしみじみと「ああ、秋ですね」と普通に会話をする。でもこれは西洋ではあり得ません。がっちりとした塀の中で、外と分ける生き方を長年やってきています。日本にそれはなく、縁側があり障子だから、外の風の音、気配、虫の音、そしていろんな香りがあり、それらといい案配に折り合いをつけてきた風景がある。日本は、他の国に比べて沢山の生き物が人間の住まいのすぐ側にいます。夏になると蝉が鳴いた等です。それを私の家ではお爺ちゃんとお婆ちゃんに教わりました。

 僕は農家の次男坊で、次男は跡を継げません。僕はお墓で遊ぶのが大好きな少年でした。お墓は小高い所にあって日当たりもよくて、その向こうに霞ヶ浦が見え、その周りに雑木林があって、その間からちょっと見えるのが水面輝く田んぼ。いろんな鳥が渡ってきます。

 鳥の60数パーセントは渡り鳥です。野鳥の会の会長を引き受ける時に、ある新聞記者が「柳生さんにとって鳥ってどんな感じですか」と聞きました。僕は、「ジョン・レノンのイマジンみたいなものですね」と言ったんです。

 ――想像して下さい。人間の足の下に地獄なんかあるわけないじゃないか。上に天国なんか、いわんや国境なんかあるわけないじゃないか。宗教の違いによって殺し合いをする、そんなことないよ。想像してごらん――<イマジン>

 僕は野鳥の会やサロンコンサートのイベントの時、エンディングにイマジンを使います。そういう風に鳥を想像します。

 お墓で遊んでる僕をお袋は泣き泣き、「もうここで遊ぶのは止めなさい。おまえはここで遊んじゃだめなの」。「なんで母ちゃん」「おまえは次男坊だからこのお墓には入れない。その代わりどこかへ行って、自分で田んぼ、小川、雑木林を作ったりして、お墓も作りなさい」。きっと皆さんの子供の頃はそうだったと思います。

 お爺ちゃんお婆ちゃんにいろんなことを教わりました。木を植えたらどれくらいの間隔で間伐をするか、木漏れ日を高木、中木、低木、林床にまで照らすための枝打ちをどうやるか。

 枝を払うと林床にまで光が入る。そこには背の低い草がいっぱい生えます。そうすると、そこに初めて花が咲く、虫が来る、鳥が来る。鳥が子供を育てる時、例えばシジュウカラは一日で何百回も雛に餌を運びます。日本中いろんな所に花が咲く。これが大事なんです。

 自分の周りを見直して下さい。ある時、日本は国策で皆伐をしてそこに植えたのが杉、檜、唐松。間伐もしなくなり、光も地面に通らない。5,60センチ間隔で植えた木がそのまま大きくなって全くの暗闇。間にはクマザサ。虫も、花も、鳥も飛ばない沈黙の森になっています。自分の田舎、自分の大事だと思っている故郷を思って下さい。そこには沈黙の森が広がっています。

 そして、同じ年に植えた杉の木の根っこは全部同じ大きさです。大きな風とちょっと大雨が降ったら地滑りします。そして土石流が、日本中でありました。そんなことまで考えながら、お爺ちゃんたちは野良仕事をやっていたんだなと想像してほしい。

 僕は生物や宇宙等の科学番組をやっていますので、乾杯の音頭では、「左手にサイエンス、右手にロマンだよな、じゃあ行ってこいや」とよく言います。この「科学する」、もっとわかりやすく言えば「花鳥風月」です。

 「花」。植物と言われて名前までわからなくても、花が咲くとわかります。「あ、これ梅の木だったんだ」「あ、スミレ」と。

 「鳥」は動物の中で唯一、ちょっと周りをキョロキョロすれば見えます。姿が見える動物は少ないのです。でも、鳥はすぐそこにいて、見える、感じられる。おまけに6割以上が外国と行ったり来たりする。例えばシベリア等からオオマシコという雀ぐらいの真っ赤な鳥が何千劼眸瑤鵑任て、もうすぐ八ヶ岳に来ます。繁殖活動に至るまでの身体を作っておくために、沢山の種類の鳥と混ざり合う。集まれば集まるほど餌を発見しやすくなるんです。合い言葉があって、鷹等猛禽類が来た時に誰かがピヨッと鳴けば細かい枝の下にシュッと入ればいい。そういった共同生活を見られますので、どうぞ八ヶ岳倶楽部に来て下さい。

 それが、花が咲き始めるとみんな別れていき、虫が出始めるとペアになって、子育てに入る。そのように鳥を見ていると、世界中の生き物たちのバランスがわかるんです。

 「風」は伝えてくるものです、季節、音を。風、僕は大好きです。東京にだけいると五感が鈍くなりますが、森へ行くといろんな所を見ます。それから匂い。都会ではみんな五感を閉じて隠しながら生活しています。

 そして、「月」。これは闇です。これも都会にいるとわからない。漆黒の闇の森の中の静かさ、そして、何かがごぞっと動く音。段々と月が出て大きくなって、三日月から満月になったら、うちの息子、孫達はみんな外に出て本を読み始める。山に行って自然の中に身を委ねると、そうしたことがものすごくわかります。

 鳥を語ることによって生物多様性の大事なつながりがわかります。以前名古屋で開催された生物多様性条約締約国会議(COP10)で、「SATOYAMAイニシアティブ」の推進が採択されました。また、なんとうれしいことに我々が作ったNHKの特別番組『里山命めぐる水辺』が世界各地の映像祭で沢山の賞をいただきました。そして「SATOYAMA」は国際語になりました。今確実にそういう時代になってきた。繊細な五感を持っている日本人が環境や命を語れなかったらダメだよな。

 僕は孫に恵まれてまして、息子には恵まれないで長男がこの間亡くなりましたが、その長男にもその子供が4人います。次男は海外の会社にいたのが急遽呼び返されて八ヶ岳倶楽部のトップを一生懸命やり、地元のこと、植物のことを勉強しています。そして、ニホンミツバチの研究です。普段私たちが食べている蜂蜜はセイヨウミツバチのもので、花が咲いている所に飼っているミツバチをトラックに積んで持っていき蜜を集める。でも、ニホンミツバチは飼うことができないし、その場所がいやだったらすぐいなくなっちゃう。もっと難しいのは外来種の花は食べない。外来種と日本固有種の違いには何百年、何千年という間に進化してきた形、ルールがあるんでしょう。

 今、ご寄付をいただきながら公益財団法人日本野鳥の会を運営し、シマフクロウの保護も日本製紙の皆さんのご厚意で行なっています。国内でやっと160羽程度になりました。 コウノトリも一度日本から全部いなくなりました。最後が兵庫県豊岡市で、捕まえて繁殖させようと努力した友人達がいっぱいいましたが絶滅しました。

 コウノトリは水生生物を食べます。滅びた理由は農薬です。農薬を食べたドジョウ、フナ等に農薬が溜まり、それを食べたコウノトリの卵は雛にならず、いなくなりました。 でも鳥はいい。移動してロシアにいてくれました。当時、ソ連の時代、日ソ友好の証として6羽のコウノトリが譲られました。そして、「田んぼの学校」をやることになりました。子供たちを集めて、農学部の学生や僕らも行き、田んぼにいる生き物の種類、量を調べました。

 いっぱいいた田んぼの一方、隣には全くいない田んぼがありました。すると、小学校の4年生か5年生の女の子が「うちには何にもいない」と泣く。「うちにはこんなにいる」。「なんでなんで」と聞きに行く。結局、「お爺ちゃん、お婆ちゃん、農薬使ってるよね」、「いっぱい使っている」とわかった。そうした地道なことを全国でやっています。

 お帰りになる時にイマジンを口ずさんでみて下さい。僕は、僕らの孫も含めた確かな未来は懐かしい風景の中にあると思うんです。今世界の人達から注目を浴びている里山を作り上げ、そして維持している日本人、先人達。里山で培ってきた自然との折り合いをつける生き方、花鳥風月といった自然を感じる知性等を大事にして、子や孫たちに伝えていきましょう。


       ※2020年1月29日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです