卓話


文語の復興

6/23(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

元クエート大使
元ソニー専務
愛甲 次郎 氏

 そもそも,文語文とはどんな文か,といった場合,この会場にいらっしゃる方々は,よく分かっておられるわけですけれども,若い人たちからは「文語って何ですか」という言葉が返ってきます。

 その若い人である日本の20代の人たちの人口は,2002年の統計局の年報によりますと,1700万人であります。これが,国立人口問題研究所の将来推計人口によりますと,20年後の2025年に1200万人になります。

 最も生産的なジェネレーションである20代の人が今より500万人減るわけであります。

 出生率は今朝のニュースでも報じられておりましたが,ほとんど横ばいでございますので,この500万の穴をどうやって埋めるかということはたいへんな問題であります。

 20代だけでこの数字ですから,30代,40代の人口を考えますと,もっともっと大きな穴が空いてくるわけです。

 これをこのまま放置しておいたら,経済的にどういうことになるかというと,デフレとか不景気どころの話ではありません。この穴をどうにかして埋めないと,今の経済システムはもちません。ですから,移民は原則としてゼロというような,現在の移民政策は長続きするはずはありません。

 もし日本が移民に門を開いて,アメリカやオーストラリアのように,移民の活力をうまく利用して国の発展を図るという具合になりますと,今まで日本民族が経験していなかったような,大きな問題に突き当たることになります。

 それは日本人のアイデンティテーの問題です。数百万の規模で入ってくる移民を日本人として遇する場合,今までのような血統主義に拠ることは不可能であります。

 今の日本人の感覚では,日本のことも知らず,日本語もできないブラジル人でも,その人のおじいさんが日本人なら,そのブラジル人を日本人として扱います。

 しかし,明治以来,何代も,江戸・東京に住んで,日本語も堪能で,ひよっとすると芥川賞をとるかもしれないという韓国人に対しては,そのルーツが韓国であれば日本人として扱いません。  

 日本は,そういう血統主義とは決別しなくてはいけなくなります。そうすると,血統主義に代わるものは言語主義しかないわけであります。これは世界の大勢であります。フランス然り,アラブ然り,インドネシアやアラブの話を引くまでもなく,世界の大勢は,コミュニケーションの手段である,言語を共通にする者を,民族意識の最も重要な要素と考えているわけであります。

 さてそこで,振り返って日本の現状を見ますと,「国語をどのように管理しているか」ということを考えてみますと,まさに寒心に堪えないわけであります。

 占領政策の下で,日本の言語伝統は断ち切られました。歴史的仮名遣いは否定され,漢字は制限され,文語文は多少カリキュラムに残されてはいますが,今や,かすかに余喘を保っているに過ぎないのであります。

 そこで,一昨年以来,友人と集まりまして「我々が居なくなったら,文語文は死語になる。古典を失った言語は,世界一流の言語とはいえない。我々と共に文語文を死語にしていいのか」と語り合い,とりあえず何かをしようと考えたのが「文語文専門のウェブサイトを立ちあげよう」ということでした。

 いろいろと画策を始めて,平成15年2月25日に「文語の苑」という会の趣意書を作りました。同年3月1日には,文語文による交流のためのウェブサイトとしての会則も作りました。会則は発起人のお一人である吉国一郎氏に厳しくチェックしていただきました。

 会の目的は,「文語文の復興を図る。特に40歳以下の若き世代に文語文への関心を抱かしむ。ウェブサイトに広く文語文の原稿を募集し公開す。」というものであります。

 パソコンの知識も国語の素養もない者の始めたプロジェクトでありましたが,今や3万数千のアクセスもありまして,ウェブサイトとしての機能は果たしておりますが,今後,どのように発展させていくかを考えているところであります。

 私も,引くに引けなくなりまして,文語文を書くようになりました。やってみますと,今や文語のとりこになっております。

 前の拓殖大学総長であった小田村四郎さんに伺った話ですが,「今の若い人に日本語の文章を暗記しろと言うと,だいたいは覚えてくれない。しかし,文語文だったら覚える」ということです。

 文語文には特有のリズムがあります。これは音楽的なリズムを越えた spiritualなリズムです。このリズムを理解しないで,日本語で詩を書く,詩人と称する人はあり得ないと思うのであります。文語文は,日本民族の魂を訴える強力な手段だと思います。

 かつて,昭和初期の話ですが,永井荷風は「最近,文学を志す若い女性が多いが,言文一致の文章を書くにせよ,先ず,樋口一葉の『たけくらべ』と『にごりえ』ぐらいは全部暗記してこい」と言っております。

 それから,古文は…漢文も同じですが…簡潔をもって旨とします。その故に,簡潔であり,しかも,ものの用に立つためには本質をずばりと突かなくてはなりません。    

 いちばんだいじなキーワードを如何に掴むかというセンスがないと,古文や漢文を使うことはできません。

 現在のような,丸バツ式の試験に如何に熟達するかという教育をやっているかぎり,本質を掴む,論理を追うという作業はできなくなってしまいます。

 最近,理工系大学の教授の人たちが,学生の国語力の低下を嘆く言葉を盛んに発していますが,新潟大学の放射線医学の小林教授は「是非,古文,漢文の授業を復活してもらいたい。要するに,行間が読める若い人たちを大学に送りこんできてほしい」と言っておられます。

 「文語の復興」について申しあげますと,時々,勘違いされる方がありまして,私が,「口語に代えて文語にしろ」と主張しているかのようにとらえる方がおられます。

 私はそんなことは言っておりません。世の中のコミュニーションは今のままどおり口語で行われて,一向にかまわないわけであります。問題は,断ち切られた言語の伝統を元に戻すことでありまして,それを担うことができる人は,そんなに数多くはいないし,また大勢の必要もありません。心ある人たちの教養の一部として,文語文がその位置をしっかりと占めることができれば,それで十分だと考えております。

 実際に文語文を使ってみますと,先ず,日記が書きやすくなります。それから,旅行に行った時に,写真を撮るかわりに文語文でメモを取っておく。そうすると紀行文が書けるわけで,そういう楽しみを,私はつい最近まで知らなかったのですが,是非,皆さまも試みられることをお薦めしたいと思います。

 私どもの「文語の苑」の構想は,単に日本だけの問題ではありません。幕末のころの,東アジアの情勢を思い起こしてください。

 中国も朝鮮もベトナムも,当時,教養人であって,国を動かしているような人たちは,みんな漢学の素養がありました。もしあの時代に,今のIT技術,インターネットがあったら,東アジアのコミュニケーションはまったく様変わりしていたと思います。

 今,中国の若い人たちは中国の古典が読めません。文字は簡体字になっています。韓国は漢字を廃止してハングルにしてしまいました。ベトナムはさらに進んでアルファベットにしてしまいました。

 今,IT技術は我々の手の内にあります。インターネットは何時でも使えます。しかしそれを活かすべき共通のソフトウェアを,みんなで喪失してしまったのです。

 東アジアの国々が経済発展して過去の栄光を思い出して,自分たちの民族の誇りを取りかえそうとするときに,これでは先祖とのコミュニケーションをとる方法がありません。

 もし,私たちの文語の復興が日本で成功したら,近隣諸国に呼びかけて,彼らも伝統と祖先に対するコミュニケーションの手段を再び取り出してもらうよう,呼びかけたいと考えております。

 文語の復興を国民全部に押しつけようとすると,実際問題としても現実性がないわけでありますけれども,国政をあずかるリーダークラスの人たちや企業のトップビジネスマンには,文語を操って候文を書くぐらいのことをやる努力をしてほしいと思います。

 皆様にも,自分史を自費出版されるときなどには是非,文語文でトライされることを切に期待しております。

 最後に,文語の苑は既にヤフーに登録されており,インターネットに「文語の苑」と入れれば直ぐに出てきます。パソコン上に出して御覧になってください。

人形を寄贈しました

インドのRCがRI100周年記念事業として、作る国際人形博物館に寄贈する日本人形が決まりました。

会員の別府克己さんより、大事に所蔵されていた可愛い童の人形と素敵な木目込み人形を寄贈いただき、更に、舞扇を手にした武家娘のお人形を購入して、3体を贈ります。別府さん、ありがとうございました。

人形博物館にはロータリー166ヶ国からの人形が飾られます。Bangaloreはインドのシリコンバレーと呼ばれる日本人にも住み易い都市です。ご出張の際にはどうぞBangalore Midtown
RCを訪問し、人形博物館まで足をお運び下さい。             幹事