卓話


障害者雇用から見るダイバーシティの意義

2022年4月6日(水)

津田塾大学 客員教授 村木厚子氏


 1978年に労働省に入って以来、労働問題を担当し、20年経った頃に障害者雇用対策課長になって初めて障害者の問題に出会いました。

 それまで障害のある人との接点がなく、「こんなこと言ったら差別だと言われるのではないか。相手を傷つけるのではないか」といったことが頭を駆け巡り、何もできないような気分になりました。

   そうした私を救ったのが、障害者をたくさん雇っている企業の社長さんの一言でした。「社員の良いところを見つけて、それを引き出して、会社のために働いてもらって良い業績を生み出すのが社長の仕事。社員という意味では、障害があってもなくても同じだ」と言われました。それは労働者も同じだと思えるようになり、面白いと思いながら、障害者雇用の仕事をしました。

 その後、厚生省と合併し厚生労働省になったことで、福祉の事業所を訪問して、とても驚きました。私は企業で働く障害者にたくさん会ってきましたが、それよりも障害の軽そうな人が福祉施設にいるのです。障害者団体の幹部に、「企業で働けそうな人が福祉施設に通っているような気がするのですが、間違っていますか」と聞くと、「福祉施設にいる障害者のうち9割は働けると思っている」と教えてくれました。私は張り切って、「障害のある人も働けますよ」と言うようになりました。

 ある時、特別支援学校を卒業し就職する年齢に近くなったお子さんを持つ親御さんの集まりで、「福祉施設だけではなく、企業もお子さんの進路として考えてください」と熱弁を振るいました。帰ろうとすると、1人のお母さんに、「この話をうちの子が小学校一年生の時に聞きたかった」と言われました。

 労働や雇用は、企業の頑張りが必要ですが、教育、親御さんや社会全体の意識も変るように取り組まなくてはいけないとわかりました。

 そんな時に、とてもショックな言葉を耳にしました。脊椎損傷のために車椅子に乗り、パラスポーツの水泳選手でもあり、車椅子を輸入する会社を経営する山崎康弘さんに講演してもらうと、「僕はアメリカで障害者になって良かった」と言ったのです。

 彼はボストンで怪我をして病院に運び込まれ、手術の翌朝、お医者さんがこう言ったそうです。「あなたはもうずっと歩けないけれど今まで持っていた夢をあきらめなくていい。その夢を実現する方法がちょっと変わります」。その言葉によって、彼は頑張ることができた。でも、帰国し、車椅子を輸入して自分と同じような人のために頑張ろうと病院や福祉施設に行くと、日本のお医者さんは自分と同じような患者さんに、「早く障害を受け入れて、新たな目標を考え直しなさい」と言わっていたのです。

 そして、彼が見せてくれたのが「立てる車椅子」の写真です。車椅子に座りスイッチを入れると座面が持ち上がり、胸やお腹をベルトでしっかり支えるので、立った姿勢になれる。歯科医や美容師など立って仕事をする人のためのものでした。日本では、車椅子で乗りやすいバスや電車も少し増え、町中で車椅子の人を見かけるようになりましたが、車椅子の美容師や歯科医を見たことはありません。脊椎損傷という医学的には同じ障害でも、社会によってその人の暮らしは違ってきます。社会がその人のためにどのような準備ができるかが大事なのだと気づきました。

 障害がある人たち自身は、ほとんどの人が活躍をしたいと思っています。
 10年ほど前、内閣府で障害者基本法を改正する作業をしていました。改正内容を検討するメンバーの半分ぐらいが障害のある人で、当事者が議論に加わるのはまだ珍しい時期でした。それまでは「障害者の福祉の増進」がこの基本法のキーコンセプトで、条文に何回もその言葉が出てきます。障害のある人たちがこの言葉をこの法律から全部削りたいと言い始めました。

 「障害者の福祉は増進してほしい。でも、それを繰り返し言うと、障害者は福祉のお世話になって暮らす人なのだとみんなが思うかもしれない。私たちは障害のない人と共にこの社会を支える仲間だということを知ってほしい」

 その言葉を削ることになり、条文には「共生」という言葉を入れました。このように活躍をしたいという障害のある人の思いと社会がうまく出会えば、障害者の活躍は進むと信じています。

 日本の障害者雇用政策は、障害者雇用対策法という法律で障害者雇用率を決めています。現在、民間企業の法定雇用率は2.3%(2021年3月1日から2.2%⇒2.3%へ引き上げ)で、雇用者数も雇用率も皆様のお陰でどんどん上がり、去年の雇用率は2.2%まで来ました。

 私は、「障害者雇用率は達成のための数合わせになっていないか」という批判に、こう答えます。

 「障害者雇用率は宿題です。勉強を好きじゃない小学生の頃は学校から宿題が出て、子供は勉強する。勉強していくうちに勉強の面白さや楽しさ、必要性を理解していき、宿題がなくてもやってくれる。雇用率もそういう世界に行ってほしい」

   実は、日本の障害者雇用で有名な企業には、昔、宿題をやっていなくて労働省に叱られた企業がたくさんあります。コンプライアンスの観点から障害者雇用を始めてみると、面白くてしょうがなくなるのです。障害者の力や社員に与えるいい影響などの発見が続き、はまってくださる。日本IBMをはじめとする大手企業の経営者たちが、企業における障害者雇用のあり方、今後の進むべき道について議論を重ね、勉強会から一般社団法人「企業アクセシビリティ・コンソーシアム(ACE)」を作り、障害者雇用を進める企業のノウハウを集めています。

 「社員のいいところ、強いところを見つける」という言葉は障害者のみならず人材活用のキーワードです。アメリカの企業では「ストレングス・ファインディング」と呼び、それを用いて全社員の雇用管理を行っている企業がたくさんあります。人間の能力を34の資質に分け、どれが優れているかを分析し、その人の強みが生きるポジションに配置します。

 障害者雇用の意味を説明するとき、私は著名な経済学者リカードが提唱した「比較優位」を使うこともあります。途上国が農業を得意とするならば農業をやってもらい、先進国は工業をやって貿易をするとどちらの国も得をするという理論です。

 浜松市に京丸園という農園があります。400年続く農家で、20数年前、農場主の鈴木さんのところに特別支援学校の先生が生徒を雇ってほしいとやってきたのをきっかけに、次の年から卒業生を一人ずつ雇い始めました。障害のある人に働いてもらうために重労働で熟練が必要な作業を誰でもできる作業に変える努力をしました。毎年雇用を増やしました。日本の農業の問題は規模が小さいことと跡継ぎがいないことです。京丸園は人手がたくさんあるため、跡継ぎのいなくなった周りの農家が農地を任せるようになり、手のかかる作物を作ることで付加価値が上がり、経営が安定しました。集まった農地に対して人手が足りなくなると、企業の手を借りました。

 特例子会社という、障害のある人をたくさん雇うために特別に子会社を作る仕組みを使って、IT企業がヒナリという特例子会社を設立。農作業をこの会社に依頼しました。ヒナリ社は、良好な労働環境作りに力を入れました。ハウスは暑いものですが、従業員を働かせる環境としては駄目だと、ハウスに2000万円のミストを入れました。すると、野菜の生育にもいい影響が出て、年間12回の収穫が13回に増えたのです。

 京丸園は、近隣のやる気のある若い後継者がいる農家に全部ノウハウを教えました。そして、このヒナリ社は、他の農家の仕事もするようになりました。そうすると、浜松に、「ユニバーサル農業」と呼ばれる経営が良く若い人が後を継ぎたいと思う農業が始まり、市役所や教育関係者はじめみんながこの農業を良いものにしようとしています。浜松の農業が変わるところまで行きました。

 それまでのルールを当然のこととして共有してきたメンバーだけでやるのではなく、「どうしてそうなのですか。これじゃ駄目ですか」と言ってくれる人を取り込んでいくことが、ダイバーシティの価値だと思います。女性、外国人もそうです。障害のある人は、とりわけ大きな変革を呼んでくれます。

 私はカナダのトルドー首相が以前、ダボス会議で言った言葉が好きです。「今ほど変化のペースが速い時代は過去にはなかった。だが、今後、今ほど変化が遅い時代も二度と来ないだろう」。農業だけではなく他の産業も激変にさらされていきます。そのとき、日本は果たして生き残れるのかという問題意識、不安を誰もが持っています。

 OECD東京事務所長の村上由美子さんがそれについて解説してくれました。
 日本には2つのアドバンテージがあります。
 1つは、日本は失業率が低いため、技術が激変するときに新しい技術を入れても失業のリスクが少ない。つまり新しい技術についていきやすい社会なのです。特に若い人の失業が少ないことが、1つ目のアドバンテージです。

 これからAIが何でもやると言われています。AIが苦手なことは読解力と数的思考力と言われていますが、OECDの成人の中で日本はこの能力でナンバー1で、女性が点数を引き上げています。これが2つ目です。

 でも、今のところ日本発の新しい商品・サービスは全然生まれていません。3つの分野でOECD加盟国の平均と日本の科学技術及びイノベーションシステムを比較したものを見ると、ICT技術の水準、イノベーションスキルの2つで日本は平均よりもいい。日本が弱いのは違う文化・出自の人たちと協働する作業で、新しい人を積極的に迎えて違うメンバーと一緒に仕事をすることを覚えれば、日本はとても良い国になれるという結論でした。

 最後に私が大好きな言葉を贈ります。「風土は土の人と風の人が作る」。土の人とはその分野で長く努力をしてきた人たちで、風の人はニューカマーで、両者で一緒になって風土を作る。新しい化学変化を作っていけば、この社会はもっと豊かで優しく強くなります。


    ※2022年4月6日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです