卓話


和魂洋才と和魂漢才の再生産 

2007年3月28日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

法政大学
国際日本学研究センター教授
人文科学博士 王敏氏

1.日本の知恵・和魂洋才と和魂漢才

 日本は,ここ数年,世界各国によい影響を与えた国として認められつつありますが,それは,日本が和魂洋才と和魂漢才の知恵を車の両輪のように生かして,発展してきた結果だと思います。

この和魂洋才と和魂漢才の知恵は,いつ頃から日本に存在していたでしょうか。

源氏物語の中にもあるという説もありますし,菅原道真の『菅家遺誡』にも見られるという説もあります。

福沢諭吉は『学問のすすめ(1872年)』で「何ぞ必ずしも和漢洋の書を読むのみを以て学問というの理あらんや」と述べています。

夏目漱石は『断片』で「人は日本を目して未練なき国民という」と評しています。

 森鷗外は『洋学の盛衰を論ず』で「他山の石と為す可しと。」「彼の長は精神上にも技術上にも並び存ぜり。我国人は唯だ彼を模倣し,彼を崇拝して可なりと…」と和洋両方を批判しています。

谷崎潤一郎は『陰翳礼讚』で「全体日本における漢学と洋学とは,両極端のようであって実は思いの外,縁が近い」と説いています。

私が特に学びたいのは谷崎潤一郎の言葉です。漢学と洋学の両方を理解することで,それぞれのプラスの面とマイナスの面の両面が出てくると思っています。

2.日本に対する西洋と中国
 その両面と真正面から向かい合って模索しながら,知恵を見つけ出して再生産する日本には,二つの国際関係が生まれてきました。それは,日本と西洋・日本と中国という二つの関係です。

西洋諸国は,日本を中華文化に組み込むか,アジア諸国から切り離して独特の事例として扱うかを迷いました。

中国はどうでしょう。魏源の『海国図志』は50巻版のときも60巻版のときも,日本についての記述はありませんでした。1852年に発刊した100巻版になって初めて「日本」が登場しました。しかし,その記述は,明の時代の歴史書からの引用でした。これが,中国の最初の日本観でした。日本の実情と中国の認識には,かなりの時差があったわけです。

日本では,1720年,徳川吉宗により禁書令が緩められ,西洋の書物を読むようになりました。西洋にどう向かうかと主張する佐久間象山や吉田松蔭などの人物が現れました。
  
 中国でも,曽国藩や李鴻章などが西洋に対する考えを述べていました。

 3.多文化共生モデルの模索
 現在の日本にとって,継続可能な発展を目指して,どのように国造りをしていくかということは,大きな問題だと思います。

私のつたない私見を申しあげますと,ある国の伝統文化には,それに対する内部者と外部者が存在しています。多文化共生モデルの模索が,どの国についても必要です。

その模索は,実は,日本人が先端的に実行しました。それは遣唐使の時代にさかのぼります。その代表的な人物が阿倍仲麻呂です。

西洋との多文化共生モデルとして,たくさんの日本人が現れましたが,西洋人が注目するのは武満徹(作曲家)です。

明治初期の日本は,西洋音楽に対しては見習い児のようなものでした。しかし,時間が経つと,西洋人並に,あるいは西洋人以上に西洋音楽に熟達しました。

このことを通して,文化の外部者から内部者に,位置付けが変わることが可能だと指摘されています。

外国人の例では,小泉八雲,鑑真,朱舜水,そして現在活躍している『犬と鬼』の作者アレックス・カーといった人たちも存在しています。このような壮絶な,苦労が多い多文化共生モデルの模索はこれからも続けられるだろうと思います。

マルチカルチャー(重層的価値観)の存在も益々必要になってきます。どの国の文化にも,当然に特殊論的なところがありますが,それを超越して重層的なものへの挑戦が必要になってくると思います。

そのためには,ローカルとグローバルの混成文化への認識が必要です。日本の和魂洋才と和魂漢才は,まさにそのモデルです。

現代における混成文化の存在は,世界のどの国でも,どの地域でも大混合しています。どの国も,この特徴を,全面的に否定することはできなくなるかもしれません。

1950年代に,欧州地域政策が打ち立てられています。詳しいことは別のテーマになりますが,特に私たちにとって参考になることは,「相互学習の過程の重視」です。「文化への投資」の提案もあります。

 それについても,日本の優れた人物が模索の跡を残しています。宮沢賢治もそのなかの一人です。高村光太郎が宮沢賢治に関して「内にコスモスをもった者は世界の何処の辺遠に居ても常に一地方の存在から脱する。内にコスモスをもたない者はどんなに世界の中心に居ても常に一地方存在として存在する。岩手県花巻の詩人・宮沢賢治は稀にみるこのコスモスの所有者であった。彼の謂う所のイーハトヴは即ち彼の内の一宇宙を通しての,この世界全般のことであった」と評価しています。

ヘーゲルは「文化間の障壁は侵入不可能なものではない」と言っています。

 4.もう一つの日中関係・文化関係
 現実の問題として,もうひとつの日中関係があります。日中関係を再構築する時代を迎えています。ここには文化という交流軸を立てることが必要かもしれません。

古来,戦争による対立と相克があったにもかかわらず,遣唐使の派遣が中止されたことはありませんでした。つまり文化の交流が途絶えてはいませんでした。

人脈の再構築,日中関係の担い手の再構築が必要かもしれません。それには経済人,文化人の働きが期待されます。

欧州の政策が東洋にも通用すると思いますが,相互学習の深化は,お互いに期待できるものではないでしょうか。

青少年の交流についても,特に強調したいと思います。青少年交流は,平和構築,平和保障のために大切なことです。中国の青銅器には「子々孫々永宝用云々」の言葉が刻まれているものがたくさんあります。その銘文の真の意味は,日本で使われる子々孫々の意味よりもっと深いものがあることを知ってほしいと思います。

 5.日中文化の現在・同文同種の再構築
 お互いに,日中文化の現在の関係を深く認識する必要があると思います。「同文同種」という言葉があります。私たちはその言葉を再考しなければならないと思います。

 稀に文化が違うということを,表現形式の例でお話ししたい思います。日本の文化は,「以心伝心」の形式を美徳としていますが,中国では,西洋と同じ,イエス・ノーで表現します。

「以心伝心」は仏教から伝わったものでしょうが,同じ仏教文化圏でも,仏教の受容の仕方が日中では異なっています。例えば,日本の「九尾の狐」の話は,中国の古典で「悪女に化けて王様を惑わした狐を退治して殺してしまう話」です。この話は韓国でも同じです。ところが日本に入ると,「悪い狐は坊さんの念仏で悪から解放される話」に変わります。日本では,「九尾の狐」の版画がお弁当の包み紙にデザインされていますが,医食同源の中国では,「悪」を食品の包み紙にすることは考えられないことです。

日本のケンタッキー供養には,アメリカも中国も不思議に思っています。

どちらがいいか悪いかという問題ではなく,このように文化が違っているということを認識して,古典的な同文同種を再考する作業が急がれると,私は考えています。

 6.相互学習の深化
和魂漢才から和魂洋才への移行期のことですが,ペリーが黒船で日本に来た時に,中国人の通訳が乗っていました。

ペリーが1回目に来た時は,オランダ語の通訳を連れてきました。2回目の時は,当時の日本人が漢文の造詣が深いことがわかっていたので,羅森という中国人通訳を連れてきたのです。羅森は日本で見聞した開国直前の姿をありのままに香港で発表しています。それによると,「日本人は漢文に長け,漢詩をよくたしなんだ」と書いています。

 地元の役人から「あなたは孔子と孟子の国から来た人間なのに,どうして外国人に仕えているのか」と質問されたということも述べています。日本人の中国観が垣間見えます。

 どの国にも,大きな摩擦と自己改革の痛みがあります。私たちは,時代を回顧して過去を忘れず,日中の将来に向かって建設的に再生産することに力を注ぎたいと思います。