卓話


経済のデフレ・心のデフレ

8月11日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

(社)日本経済研究センター会長 小島明 氏

 第4020回例会

   
 日本の経済は,2002年1月を底にして,10余年ぶりに,ひとつの夜明けが見えてきたのではないかという感じがします。

 90年代の世界経済を総括した,ジョセフ ・スティグリッツというノーベル賞受賞の経済学者が最近書いた『喧噪の90年代(Roaring Nineties)』で「90年代の世界経済は大成長(Mega-growth)の10年間だった」といっています。日本は,その世界の流れから逸脱してきた10年であったという感じがします。

 私がいちばん注目しているのは,冷戦が終わって,国境を越えた直接投資の爆発的な拡大でした。実は2000年1年間で,冷戦中,つまり1988年までの何10年にわたる累計を越える1兆ドル強の投資が行われたのです。

 投資は,日本からは企業が海外に投資するという流れが強かったのですが,世界的には1991年のソ連崩壊を見ながらともかく競争力を確保するために,各国は,世界中から優良な資本や技術を取り入れる直接投資を自ら誘致するという競争に入ってきました。そのためにいろんな制度も用意しました。

 日本の戦後の経済発展と違う形の経済発展がいろんな国に生まれました。中国はその典型かもしれません。ないものは,技術でも金でも経営ノウハウでも外国から入れて,今の生産力を得ているわけです。MADE IN CHINA は必ずしも made by Chineseではなくて,中国は世界中の投資を入れ,そこから所得雇用を生んで競争力も生んでいるという形であります。

 日本の戦後経済発展は技術を取り入れて経営支配権などは排除して,自らフルセット型産業をうち建てたプロセスでした。しかし,そんなプロセスとは全く違う発展モデルが,アジアの各国において生まれつつあります。

 エコノミストは『蛙跳び』といっています。つまり,農業社会からいきなりハイテクに近いところに跳んでしまう…こういうのが,20世紀末から21世紀にかけての世界の新しい変化だと思います。

 日本は,そういう直接投資の流れからも成長の流れからも確実に陥没,離脱していたわけですが,ようやく,最近2年間,今年8月時点までの33カ月の景気拡大です。この傾向は恐らくまだ1年は続くでしょう。それも政府の財政支援に頼ったわけではなく,民間主導で研究開発,設備投資が出てきています。2年前,3年前のひどかった中国脅威論も今は陰をひそめています。

 今年の2月ごろ,対中貿易が,日中国交正常化後,初めて黒字になったというのも,ひとつのシンボリックな状況だと思います。

 吉富勝さんが言っている話ですが,日中の間の新しい分業のパターン,モデルとして,企業内の垂直分業というのが出てきました。同じ企業で,比較的高付加価値のものは日本の工場で作る,それ以外のものは,現地の中国工場で作る。それを交換しながら,それぞれの地域で組み立てて製品を作るという形です。

 これは,企業体としてはグローバルなバランスシートでやっている企業内貿易です。貿易のパターンとしては,かつてなかった,新しいパターンだと思います。

 最近,日本の企業が設備投資を始めました。10何年ぶりに日本の経済産業の構造が,景気循環の波を除いても,何か変わったという局面にきているような直感がします。

 日本のこれまでの経済に関してシンボリックなデータがありました。9・11事件があった翌年の2002年のワールド・エコノミック・フォーラム(WEF)の調査です。それぞれの国の研究機関が国民の意識調査をした結果です。

 調査で,「Globalizationが世界的に議論されているが,その影響が家族及び自分の生活にとって Positive か Negativeか」という設問に対して,いちばん積極的にとらえていたのはオランダでした。日本は調査対象14カ国の中で,下から3番目という状況です。 
オランダ(P:87% N:13%),アメリカ(P:76% N:21%),中国(P:75% N:10%),韓国(P:75% N:21%),日本(P:32% N:12%),ロシア(P:32% N:13%)

 もうひとつの設問は「国の経済全般にとって,Globalizationの結果,国民経済がよくなるか(Better)悪くなるか(Worse)」という質問です。プラスになると答えている人の多いのが中国でした。
中国(B:83% W:10%),アメリカ (B:65% W:27%),韓国(B:62% W:36%), ドイツ(B:59% W:37%), ロシア(B:46% W:17%),そして日本は(B:40% W:43%)

 日本は,90年代の世界の象徴的な特徴であるGlobalizationのプロセスについて,日本の社会は,大停滞のなかで,非常に消極的にとらえていたということがわかると思います。

 それは人々の消費態度や投資企業家の投資行動に反映しています。旧経済企画庁や日本銀行が定期的に経営トップに対して行っている意識調査での,「向こう3年間あるいは5年間の日本の経済の成長率をどのくらいにみるか」という期待成長率といわれている数字ですが,1991年のバブル景気崩壊の後,数年は大体5パーセントでした。その後どんどん下がって,2000年あたりでは,1パーセント成長がやっとだという見方になりました。

 その結果,それが投資行動にも影響するでしょうし,研究開発にも影響します。投資が少なく研究開発が少ないと,実際の潜在的な成長能力,つまり潜在成長率が下がります。
 そうして,設備は古くなる。新しい企業は生まれない。これが続くと日本の潜在成長率は確実に下がり続けます。

 しかし,その心配はなくなりつつあるかなという感じが,この1年ぐらいに出てきました。企業の投資態度や研究開発の姿勢にも出てきています。消費者の気持ちも上がってきました。経済専門家の間で,日本の貯蓄率,家庭の貯蓄率が急激に下がっていることを心配していますが,循環的な問題と構造的な長期の問題がありまして,今,重要なのは,貯蓄が増えることより消費が増えることです。

 将来の社会,自分の生活に対して悲観的ですと,貯蓄を増やす傾向がありますが,今,消費比率が高くなっているというのは,先の雇用や所得に対する不安が少なくなり,見通しが改善したという消費者の心理状況を的確に反映しているということで,心強いことだと思っております。

 日本の経済に対する海外の目ということを少しご紹介したいと思います。

 93年ごろまで余熱があって,日本は短期にまた強くなるという見方が圧倒的でしたが,その後,なかなかよくならない。日本に対する海外の評価も年々低下してきました。

 しかし去年の末から今年の始めが日本経済の評価のどん底であって,その後,明らかに変わってきています。最近の国際会議では,「ようやく経済が持ち直した日本」という枕詞がつけられるようになりました。その判断は日本に対する投資にも現れています。

 そこで「志」の話ですが,私が是非ともご紹介したいと思う「志の人」は,私が20数年間お付き合いをいただいて,先生と仰いでいる,経営問題の権威であるピーター・ドラッカー氏です。

 彼は,日本の経済について「日本は自らの潜在能力について過小評価している。日本はこれまでに多くの危機を驚くべきスピードで乗り越えた。それは近代史にないような成果である。日本はもう一度自分の身の丈をちゃんと計って,それをもとに自分たちの行動を決めてほしい。」「私が今いちばん心配しているのは悲観主義の横行である。悲観主義からは行動は生まれない。積極的な危機感はいい,危機意識で日本は大きく変わってきた。しかし,悲観主義にとらわれていると,自らを過小評価する。」という話をしていました。

 ドラッカー氏は95歳ですがまだ現役です。彼には「人生の出会いとして,二つの出会いがあった」という話を,80歳の時,東京で聞きました。「自分の生きざまを決める出会いと,ライフワークを決める出会い」です。

 彼は,18歳の時に,オペラ『ファルスタッフ』に感動し,オペラがヴェルディーの80歳の時の作品であることを知ります。そして,ヴェルディーについて,次のようなエピソードがあったことを聞きました。

 ヨーロッパの音楽界をワグナーと二分するまでになった大作曲家です。友人たちが,高齢のヴェルディーにハッピーリタイアメントを薦めたところ,彼は,「私は人生で,いっぱい失敗をした。失敗から教訓を得て何かができるのは人間だけだ。私は失敗から学んだことを活かしたい」と言ったそうです。そして,自分の作品での一番のお薦めは,との問いに対して「それは,これから書く,次の作品さ」と,決まって言ったそうです。ドラッカーさんに同じことを聞きましたら「まだ次に書きたいものはいっぱいある」ということでした。

 ドラッカーさんのもうひとつの出会いは,日本との出会いです。彼が25歳の時に,ロンドンで日本の美術展を観て感動し,以来,日本に対して深く興味を持っておられます。実は彼が最初に書いた『経済人の終わり』という,ナチズムを批判した本は60何年経って,まだ読まれています。この本がアメリカで出版された時,彼は30歳でした。この本を最初に絶賛したのは,サー・ウインストン・チャーチルです。チャーチルは,首相になった直後から「この本は人生の座右の書として読まなければいけない」といって,士官学校の卒業生全員に贈ったそうです。

 ドラッカーさんは,明治維新を日本の社会が直面した歴史的な危機ととらえ,戦争も悲劇的な流血もなく,比較的,短期間に根本的に社会を変えたのは,近代史においては日本の明治維新だけであると論じました。
 
「日本は,自分の国を過小評価し過ぎているのではないか」というのが,ドラッカーさんの最近のメッセージです。

 デフレは瞬間的なもので,いずれ調整できます。「心のデフレ」は自らが管理しないとどこまでも落ち込む心配があります。日本経済は10余年ぶりの「夜明け」の兆候を迎えています。これが新しい経済発展のスタート台になるというような感じで,最近の日本の社会経済を観察しております。