卓話


車いすテニスを通じて学んだこと 

2008年12月3日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

車イステニスプレイヤー
国枝慎吾氏 

 2カ月前に開催された北京パラリンピックで,シングルスは金メダル,ダブルスは銅メダルを獲得することができました。

 2004年のアテネパラリンピックが終わってからの4年間は,北京で金メダルを取ることだけが目標でした。「他のどんな大きな大会で優勝しても喜べない。北京での勝者が真の王者である。」と唱え続けてきた重圧は予想以上のものでした。

 今でも思い出しますが,特に,大会の2週間に,風邪で寝込んでしまった時は,精神的にも最もつらい時でした。

 「逃げ出したい」とか「出場できないかもしれない」といった思いが頭をよぎった時,ふと思い浮かんだのは,今まで応援してくださった方,支えてくださった多くの方々のお顔でした。「ここで逃げてはいかん」と,強い気持ちを持つことができ,そのあとは不思議に,病気もすぐに回復し,本当に「病は気から」という言葉を実感しました。

 そういうこともあっただけに,今回の金メダルは応援してくださった多くの人たちと共につかんだ金メダルだったと感じています。

 車いすテニスについて少し説明させていただきます。ルールに関しては,ツーバウン
ドまで認められています。この点が一般のテニスと唯一異なる点です。コートの広さやネットの高さは全く変わりません。運営は健常者のプロと同じ,ITF(国際テニス連盟)が運営しており,毎年130大会以上のトーナメントが世界各国で開催されています。

 私は,その中から,年間に15大会ほどを選んで出場しています。期間にすると約4カ月間,いわゆる,車いすテニスツアーの海外遠征をしています。

 私が車いすテニスと出会ったのは11歳の時でした。9歳の時に脊髄腫瘍を発病する前までは,地元の少年野球チームに所属する野球少年だったのですが,車いす生活となった後も,スポーツが好きという気持ちは変わりませんでした。母の趣味がテニスで,息子にもやらせてみようかなとテニスコートに連れられて行ったのが始まりでした。

 ルールすら知らない私でしたが,体を動かすことに飢えていましたので,最初からとても楽しく,面白くて仕方がありませんでした。

 初めは,楽しければよいとプレーしていましたが,試合に出場して負けると,やはり悔しくて,負けず嫌いの性格に火がつき,目標を定めて試合に望むようになりました。
 その目標は次第に大きくなっていきました。

 2006年1月時点の私のランキングは,世界10位前後を行ったり来たりという感じでしたが,その年末には世界1位まで上りつめることができました。スポーツ選手が急激に力を伸ばすとき,必ずその裏には何か変化があるものです。自分にとってはメンタルトレーニングがよく効いたのです。スポーツでは「心技体」といいますが,私には「心」の部分の変化だったと感じております。

 とあるきっかけで,かつてパトリック・ラフターやパット・キャッシュという健常者で世界1位になったことのある選手のメンタルトレーナーのアン・クインの指導を受けることになりました。

 メンタルトレーニングといっても最終的に行き着く答えは単純。「自信を持つこと」です。その中でもAffirmationと呼ばれる自己暗示に近いトレーニングが私にとって最も強力でした。私は「俺は最強だ!」とラケットに記し,オンコート,オフコートに関係なく,言葉やアクションを付けて表現するトレーニングを行いました。試合中にも頻繁に行うことで,試合中に生じる不安を捨て去ることができます。

 当初は半信半疑でありましたが,指導を受けた後に実践してみると,頭の中がクリアになることが分かりました。それまでは,サーブを打つ前に「フォルトするのではないか。甘い所にはいってしまうのではないか」とためらう,心の弱さがありましたが,ラケットの「俺は最強だ!」の文字を見るとためらいが全くなくなるのです。

 メンタルスポーツといわれるテニスにおいて,試合中に迷いがなくなることは大きな武器になります。3カ月後の四大大会で早速効果が現れ,念願の初優勝にたどり着く結果となりました。優勝のガッツポーズをしながら「メンタルが試合に及ぼす影響がこれほどまでに大きいとは」と感じていたのを,今も覚えています。

 この結果によって,「俺は最強だ!」とさらに強く思い込むことができ,ますます心の部分を強くすることができました。その後,毎日,鏡の前で,「俺は最強だ!」とポーズをつけることを欠かしたことはありません。

 高校1年生の時,初めて海外遠征をしました。その時に見た世界トップのプレーは想像を絶するレベルの高さでした。「これはかなわない。自分はあんなふうにはなれない」と思ったことを覚えています。しかし,その当時の努力を振り返ってみると,実に生ぬるいものであったと思い返しています。

 私が本気で練習に取り組み始めたのは,それから2年後のことでした。アテネパラリンピック代表候補の選手を破ったことがきっかけとなり,その瞬間,「パラリンピック」を意識するようになりました。

 目標を明確にすることで練習に身が入ります。その後の伸びは,自分でも想像できないものでした。「あんなふうにはなれない」と諦めていた世界トップとの差が徐々に縮まり,いつしか勝てるようになってきました。

 可能性というのは全力で取り組まない限り分からないものです。どんな大きな夢であっても,最初から諦めるのではなく,まずは全力でやってみることが大事だということを学びました。

 たとえ好きなことがあっても,夢や目標を明確に設定しない限り,成長には限度があります。私の場合は,北京での金メダルという夢を心に描き,バックハンドトップスピンという,世界で誰もやったことのない技術の習得という目標を掲げ取り組んでいきました。大事なことは,習得した後の自分を毎日イメージすることです。「このショットが完成したら,新しいテニスができる」と考えるだけで,基礎の反復も集中しながら行うことができます。夢と目標の設定と成し遂げた時の自分をイメージすることが,やる気を継続させる鍵となるのだと思いました。
 
 北京が終わってから,次の目標はなんですかと,よく聞かれます。北京で金メダルを取った後,私は,もういいかなと思いました。ところが,その思いとは裏腹に,周りの反響の大きさは予想以上でした。いわゆる障害者スポーツでは,普段の大会はそれほど注目されません。その一方でパラリンピックという言葉は誰もが知っていると言っていいほど認知されてきました。

 大会はたった一週間です。それだけに選手の執念は他の大会と格段に違います。緊張が張り詰め,多くのドラマが生まれます。そのような舞台で,勝ち上がる度に感ずる興奮は,今までに感じたことのない高揚感がありました。あの気持ちを4年後にもう一度味わいたいと思っています。次の目標は2012年のロンドンパラリンピックです。

 もう一つの夢は,「日本でも千人,2千人の人の前で試合をする」という夢です。もし実現すると,障害を持った人たちの中からも「自分もあの舞台に立ちたい」という希望を持ってもらうこともできるし,障害を持った子供たちにも,いつかは車いすテニスの選手になりたいと考えてもらえるのではないかという思いです。

 私が努力しなければならないことは,車いすテニスをもっと多くの方々に知ってもらうことです。そして,自分自身のレベルを上げ,観客を引き付けるプレーをすることです。

 「国枝を見たい」と思ってもらえることが大歓声への第一歩なのだと考えて,チャレンジしていきたいと思っています。

 私が車いす生活になって15年程経ちます。今は,こうして夢や目標に向かって挑戦できるようになったのは,障害を持ったお陰なのだと思えるようになりました。

 私が患った脊髄腫瘍は死亡率の高い病気です。いま生きていることに幸せを感じ,命があることに感謝できるのは,私にとって「強み」にもなりました。命の大切さを知っているからこそ,やらなければ後悔すると思うことには積極的に挑戦できます。挑戦こそが人生の醍醐味であると感じ,人生の充実感を味わえたのは,車いすになったことで味わえたと思っております。

 一見マイナスなことでも考え方次第で,プラスに向けることができる,ということを車いすテニスを通じて学びました。これからも挑戦することを生き甲斐としてプレーしていきたいと思います。