卓話


フィンランドとシベリウス

2016年4月13日(水)

武蔵野音楽大学
教授 渡邉規久雄君


 今日はフィンランドと、国を代表する作曲家のジャンシベリウスについて少しだけお話をさせていただきます。みなさんがフィンランドという国で思いつかれるのは、サンタクロース、ムーミン、ノキアとかですが、シベリウスを知らない人はおそらくフィンランドには一人もいないと思います。シベリウスの像はあちこちにありますし、ヘルシンキの真ん中にはシベリウス公園というのがあってパイプオルガンをイメージした巨大なモニュメントがあり、何時だったかNHKテレビの鶴瓶の「家族に乾杯」という番組でも大きなシベリウスの顔を見て「このおじさんえらい気になるなあ」といったくだりがありました。私の祖母の卒業したヘルシンキ音楽院はシベリウスが存命中から「シベリウスアカデミー」と名前が改名され現在に至っておりますし、天皇皇后両陛下が皇太子時代にご来訪されたシベリウスが50年以上住んでいた丸太でできた家は、シベリウスの奥さんの「アイノ」という名からとって「アイノラ−アイノの家」と呼ばれています。ヘルシンキから北に30キロいったところの美しい小さな町ヤールヴェンパーにありフィンランドの貴重な財産として記念館になっております。

 フィンランドは「森と湖の国」と言われますが、氷河が暖流によって溶けて出来た湖が18万くらいあり文字通り「水浸し」と言われるほどです。国土の3分の1は「ラップランド」という北極圏に入り、全体の4分の3は森林におおわれています。面積は日本とほぼ同じくらいですが、人口は530万人ほどで1億3000万人近くいる日本の約25分の1くらいです。都市を少し離れると、全く人に会うことがなく、自然のままのところがほとんどです。首都ヘルシンキは国土の最も南に位置しておりますが、北緯60度でシベリアくらいの位置になります。世界で最も北に位置する国の一つと言われています。

 ある学者によると3000年前からフィン族が住んでいたそうですが、日本の鎌倉時代に入る前の1155年頃より600年間という長い期間スウェーデン王国の一部とされ、その後1809年より今度はロシアに割譲され100年間以上「大公国」という形になっていて、事実上ロシアに支配されていました。フィンランドが独立宣言をしたのは、1917年の12月6日です。来年で丁度独立して100年です。

 シベリウスは若いころにフィンランドに伝わる民族叙事詩の「カレワラ」を題材にした音楽を沢山作っておりました。また「歴史的情景」と銘打った歴史劇のための音楽を書いていました。そのうちの最後の楽章が「フィンランドの目覚め」と題された曲で、当時ロシアからの独立を願っていた市民の多くの共感を得ることになりました。それが後に交響詩「フィンランディア」という名前の独立した曲になり、この曲によりシベリウスはとても有名になります。しかし発表当時はロシア皇帝ニコライ2世のもとでフィンランドの自治権がどんどん失われていた時期であり、フィンランドの愛国心を掻き立てる「フィンランディア」の名前を曲に使うことを禁止され、あげくの果ては演奏することすらできなくなりました。大分たった後に中間部の美しいメロディーにフィンランドの有名な詩人コスケンニエミが歌詞をはめ込み、合唱付きの壮大な曲になります。「フィンランド賛歌」と呼ばれ、今日ではフィンランドの第二の国歌と言われるほど広く愛されています。

 私は度々自分のリサイタルの最後にこの「フィンランディア」のピアノ版を演奏しております。一般にシベリウスの代表作は7つの交響曲だと言われています。シベリウスの写真はなぜか晩年のものがよく知られていて、ちょっと気難しく見えるからでしょうか、シベリウスが交響曲一つ完成するごとに彼の額に皺が一つづつ刻まれた!と言われています。確かに7本の皺があります。実はあまり知られていないのがピアノ曲で、100曲以上書かれています。最近までピアノ曲は評価がされていなかったのですが、その理由の1つはリストやショパンのような華やかな効果のある作品が少ないこと。家庭で楽しむ、あるいはサロンで弾かれるような規模が小さく、ほとんどが4ページくらいの小品であるため、音楽会で取り上げられることが稀でした。しかしそれらピアノ曲の背後にはフィンランドの民族性が感じられる独特な旋律と和音を使い、静かでどこか物寂しい曲、あるいは春の訪れに感じる歓びなど、自然が好きだった作曲家を感じられます。心が癒される音楽だと思います。皆様にもシベリウスの音楽に親しんでいただけたら嬉しいです。