卓話


特許雑話
−豊田佐吉、御木本幸吉、安藤博−

2017年7月19日(水)

特許業務法人 谷・阿部特許事務所
代表社員・弁理士 谷 義一君


 特許制度はルネサンス期のベニス共和国に始まり、レオナルド・ダ・ビンチの飛行機用のプロペラ、ガリレオ・ガリレイの揚水機などが特許されている。

 次いで、15世紀の英国において、フランドルの優れた毛織業を移入するべく、フランドルの毛織業者に特許状、Letters Patentを与えたことから始まり、新しい発明、技術導入を認めた「独占大条例」が1624年に制定された。英国産業革命における技術革新がこの近代特許制度によりタイミングよく保護され、アークライトの水力紡績機、ワットの蒸気機関などの大発明が特許化された。

 米国では、独立時から憲法に発明の保護が規定され、リンカーン大統領のときからプロパテント(特許重視)時代が始まり、それ以降の多くの大発明、モールスの電信機、ベルの電話、エジソンの蓄音機、白熱電球、イーストマン・コダックのカメラ、マルコーニの無線、ライト兄弟の飛行機などが生み出され、産業の興隆に繋がった。

 日本においては、ドイツなどとほぼ同時期の1885年(明治17年)に特許制度「専売特許条例」が制定された。1985年に特許庁で「日本の十大発明家」が選定され、特許庁の1階のホールにこれら10名の発明家を顕彰するレリーフが掲げられている。

 「豊田佐吉」は1867年に静岡県湖西市で生まれ、小学校卒業後、父について大工の修行を始めたが、18歳のときに、「教育も金もない自分は、無から有を生じる発明で社会に役立とう」と決心し、専売特許制度に強い関心を持ち、自動織機の発明に一生を賭け、多くの特許を取得し、1924年(大正13年)に長男の喜一郎と共に世界初の自動織機を完成させた。その当時、世界的な大産業は織物業であり、自動織機は正に最先端の技術であり、豊田佐吉の特許は欧米の織機メーカーにとって脅威となり、英国のプラット社は100万円で技術供与を受けた。その後、日本の紡織機工業、繊維産業は世界的に発展した。

 「御木本幸吉」は1858年に三重県の鳥羽市でうどん屋に生まれた。商才に長けており、志摩特産の天然真珠が外国向けに有望であることを知り、乱獲され、絶滅の危機に瀕していた天然真珠に対して、アコヤ貝の養殖に目を付け、大日本水産会の柳楢悦(やなぎならよし)の指導下、アコヤ貝の養殖を開始した。これは失敗したが、それにめげることなく、東京帝国大学教授箕作佳吉の指導下、アコヤ貝による真珠の養殖に苦闘した。幾多の困難を克服し、38歳のとき、1896年に「半円真珠」の特許を取得し、1905年(明治38年)に初めて真円真珠の養殖に成功し、1907年「真珠素質被着法」の特許を取得した。1918年に貝殻を球状にした核を外套膜(がいとうまく)で完全に包んで細い絹糸で縛り、貝の体内に挿入する「全巻式」養殖技術を完成させ、これを特許化し、ここに養殖真珠の製造技術が完成された。

 御木本幸吉が養殖真珠をフランスで装飾品として販売する際に、養殖真珠はまがい物と言われ論争が起きたが、結局、裁判を経て真珠と認定され、その後、販売が大きく伸び、世界的なミキモト・パールがスタートした。

 1909年に、御木本幸吉の真円真珠の特許の存続期間が例外的に18年間延長されたが、それを契機に、特許権の期間延長制度が創設され、その後、味の素特許についても6年間の期間延長が認められた。

 エジソンに続くエレクトロニクスにおける大発明家「安藤博」は、1902年に滋賀県の琵琶湖膳所町に生まれ、8歳ころから科学に興味を持ち、自らガラス玉を吹いて真空管を作り、17歳のときに多極真空管の特許をとり、その特許がラジオの要となった。1931年にラジオ製造に乗り出した松下電器製作所の松下幸之助は、安藤博と直接に交渉して、関連する特許すべてを買い取り、すべてのラジオメーカーにこれらの特許を無償で開放した。安藤博は、1939年、第二回十大発明家の一人に選ばれ、日本放送協会の発起人のひとりでもあった。

 戦後、トランジスタ・ラジオ、江崎ダイオード、ウオークマン、青色発光ダイオード、カラオケなど数多くの独創的な発明が生まれ、それが産業の発展に大きく寄与してきたが、これからも、大発明が生まれ、日本の産業が発展し、日本が一層元気になることを強く祈念する。