卓話


老子の思想をメンタルヘルスに生かす

2019年11月27日(水)

日本うつ病センター
副理事長 野村総一郎氏 


 私は精神科の医者ですが、学問の権威というような者ではなく、来る日も来る日も患者さんと向き合って格闘するだけの100%純粋な臨床の医者で、いつも周りを見渡して臨床の役に立つものは無いか、と本能的に材料を探しています。その中から、中国古代の思想家、老子の教えに魅せられるようになりました。と言っても私は東洋哲学の専門家でも、精神療法や心理学への造詣が深い訳でもありません。全く完成には程遠い恥ずかしい話かもしれません。むしろ教えていただけたらと思う次第です。 今日のお話の副題は、「水のように低く柔らかく」。老子の考えを一言で言えばこういうことになります。

 まず、なぜ老子に私が興味を持ったか。老子は今から2500年前の古代中国の思想家です。全生涯でたった1冊の著書、『道徳経』しか残していません。それもわずか5500文字から成り立つ文章で、2、3日もあれば読破できるボリュームです。このような短文が、人類全体に大きな影響を及ぼし続けてきたのは驚くべきことでしょう。

 私がこの1冊に巡り会ったのは、美しい漢詩のような文体で綴られた『道徳経』に、文学的な魅力を感じたことに始まります。読み進むうちに、「これは現代人の精神的な健康、メンタルヘルスに役に立つんじゃないか」という思いが湧いてきて、次第に老子哲学の奥深さにはまり込んでいきました。

 人間は誰でも「どのような生き方をすればいいか」という普遍的な、一般的な問いを持っています。老子哲学の基本的な思想はその問いへの回答と言って良いと思います。 その内容をまとめれば、これだけのことになります。「弱いのが良い」「多くを望むな」「名誉にこだわるな」「自分を知れ」「自然に従え」

 「皮肉な逆説」とでも言いたくなるアイロニーがあちこちに散りばめられ、どこか毒をはらんだ印象を与えるのも老子哲学の特色と言えるかもしれません。 もう一つ強調したいのは、老子哲学は地味な存在ではあるものの、日本文化に大きな影響を残していることです。今日の日本で、学校教育の中で老子が教えられることはほとんどなくなっていますが、むしろ平均的な日本人同士の何気ない雑談の中に老子的な発想と言葉があると感じます。

 たとえば、「上善如水」。お酒の名で、この大吟醸、私はけっこう好きです。「常に水のように目立たない存在であれ」と主張した、老子の代表的な言葉でもあります。つまり、酒の名称として使われるほど、老子の言葉は庶民化しています。

 また、「足るを知る」「お天道様は見ている」「却下照覧」「大器晩成」などは一般的日本語となっていて、色々な場面で使われています。概して失敗した時、負けた時の慰めの言葉として、特に便利です。そのような効用がある故に老子が日本文化の深層に影響を与え続けてきたのではないか、とも思ったりしています。

 老子の同時代のライバルと言われるのが孔子です。孔子は「世の為、人の為、いつも努力せよ」という正当な教えを唱えており、「うまくいっている時に持ち出すと良い哲学」と言われますが、老子の方は弱さを強調し、「失敗した時、うまく行かない時に持ち出すといい哲学」と言われています。日本を含む東アジア人は両者を状況に合わせて使い分ける、とも言われています。公式の学問、表の学問として孔子を、裏の学問として老子を用いてきたという言い方も成り立つのかもしれません。

 さて、老子哲学をメンタルヘルスの治療や予防にどのように応用するか。メンタルが不安定になるのは次の4つの心理が重なっている時です。
ー分は弱い=劣等意識。ダメだ、いいところないという感じです。
⊆分は損している=被害者意識。自分は本当は実力があってやる時はやるよ、と思っていますが、実際には邪魔されたり、嫌がらせをされたりするから実力が発揮されていないという被害を受けている意識。
自分は完璧であるべき=完全主義。完璧でなければいけないという考え方。
ぜ分のペースにこだわる=執着主義。あるやり方が決まっており、いい悪いではなく、それにこだわる。

 これら4つの心理がメンタルヘルスを悪化させ、長引かせているのです。共通するのは「弱い自分の敗北意識」。自分は負けているという感覚が基本にあり、さらにその底にあるのが、「他人との比較」です。私は「ジャッジフリー(judgement free)」という言葉で、他人との比較を止めようとメンタルヘルスの不調に苦しむ人々に促しています。 ジャッジフリーをしないでいるためには、多くの老子の言葉が役に立ちます。主なものを並べてみます。
・上善は水の如し
 水のように低く、柔らかくあれ。最高の物はいつも低い所にひっそりと溜まっているものだ。争わず、柔らかい。しかし、実は岩をも砕く強さを持っている。劣等主義に対するアンチテーゼとしてよく用いられるのではないかと思います。

・足るを知る者は富む
 あんまり欲張らないで、このくらいで十分だと知っておくのがちょうどいい。努力も良いが、それにも限界がある。努力自体がもう目標を達しているのだ。努力することが大事なんだ、結果が大事ではない。この機微を知っている人は非常に強いのではないか。 アメリカのバスケットボール界伝説の選手マイケル・ジョーダンは「ハートのすべてを注ぎ込めば勝利すべきかどうかは問題ではない」と語っています。努力自体が価値だといいたい訳です。欧米にもこうした考え方をする人がいるんだなと、ちょっと感心しました。

・曲なればすなわち全し
木が醜く曲がりくねっていると、役立たないから、人が相手にしてくれない。だからかえって長生きしたのだ。無理して、まっすぐ立った美しい木になって目立とうとすると、木こりが真っ先に見つけて早く切り倒される。少々曲がったままでいるのが一番だ。 西欧流の治療の考え方では、まっすぐでゆがみがないものがいいと考えますが、老子流の考えでは、木なんて少々曲がっているのが一番いいと考える。直線的な生き方よりも曲線的生き方を推奨する考えです。

・天網恢恢、疎にして漏らさず
お天道様はどんな時でも、みんなを見てくれている。だから正しく、自分のできる範囲で生きていれば、必ず「よくなったね」「がんばったね」と評価してくれるはずだ。天は大まかで穴だらけに思えて、実は漏れが無い。 この言葉は、天といういわば絶対者の存在に触れているため、老子らしくありません。後世に誰かが付け加えたというのがもっぱらの学説です。しかし、老子の言葉の中で日本で最も有名なので取り上げました。

・和光同塵
 光輝こうとせずに、塵にまみれて暮らせ。俺はこんな所でくすぶって暮らす人間ではない、と周りを見下すのでなく、その場所にまず馴染むことが大事だと言っています。ノートルダム清心女子大学の渡辺和子学長の「置かれた所で咲きなさい」という言葉はこれに一致していると思います。

・恨みに報ゆるに徳を以てす
恨みを恨みで返していれば、争いは止まらぬ。ひどい扱いには、まるで恩を受けたように、そっと優しく返してやりなさい。太平洋戦争後に蒋介石が日本からの賠償金を断った時の言葉です。蒋介石の懐の深さを示す言葉ですが、老子からの引用です。

・飄風は朝を終えず、驟雨は日を終えず
 大雨、大風はそんなに長続きしないから、悪いことは長続きしないという教えです。しばらく耐え忍べ。これをいつも老子の言葉の最後に使うのですが、最近の台風はやたら長引きますから、ちょっと使いにくいですね。 老子の道徳経には、まだまだ多くの名言が残されています。合理的に考えれば納得できないと思われる論述も多く、矛盾も多いため、現代的なメンタルヘルス論にするためには、まだまだ工夫も必要かと思います。しかし、老子特有のアイロニーも加味すれば、人間の生き方へのヒントが浮き彫りにされるはずですし、老子にはそういう再発見の楽しみもあると考えています。 老子流カウンセリングの運び方、それから私が最近出した本をご紹介して、おしまいとしたいと思います。

 老子流カウンセリング、これは老子学者の田口佳史先生の著書を参考にして、クライアントの生き方をチェックする視点を例示したものです。ある人が行動を起こそうとしている時に、その行動の目標をチェックしてみろ。得ようとしているものは何か。それは大きすぎないか、適度な大きさかどうかチェックしろ。
*行動の目標:欲張り過ぎていませんか?
*動機:偉くなる、注目を集めることが実際の目標ではありませんか?
*名前:学校、会社、家柄を剥がしてみて一回考えてみよう。
*努力:努力しすぎてませんか?疲れるし、非効率であるとお話しています。
*過去の成功:引っ張られていませんか?
*社会活動:私利私欲ではありませんか?世の為になりますか?
*生活:普通ですか?淡々と過ぎていますか?
*心の在り方:心を山奥や宇宙に置いて、問題を考えることによって、問題が問題ではなくなる可能性があるのではないか。

 もちろん、老子がすべての感情のいかなる時にも適用できる訳ではなく、その言葉を状況に合わせて柔軟に適応させていくたたき台としての色彩もあると考えています。 私が今年1月に出した『人生に上下も勝ち負けもありません』(文響社)は老子哲学を元にしてユーモアというかギャグを入れて書き直した本です。あまり売れてないんです(笑)。尤も老子の本ですから宣伝して多くを売ろうとすると老子の本ではなくなります。あくまでもメンタルヘルスの実用本であり、ご関心のある方に手に取っていただければきっと何かがつかめる、そんな水のような存在かもしれません。


  ※2019年11月27日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです