卓話


渡辺雀亭…幻の絵師の甦りに立ち会う

2023年2月8日(水)

(弁)緒方法律事務所
代表社員 緒方延泰君


 「渡辺省亭」は、幕末の嘉永4年(1851年)に、江戸神田佐久間町に生まれ、大正7年(1918年)に浅草にて没した日本画家です。省亭は、日本が開国してヨーロッパにわが国の文化を最初にプレゼンする機会となった1878年のパリ万博に、美術部門代表団の一員として派遣され、ドガやルノワールら多くの印象派の画家と1年余交流し、印象派の息吹をたっぷりと吸って、帰国後独自の日本画の世界を切り拓いていきました。

 私が、省亭に出会ったのは、2014年になります。五月雨に濡れ身を寄せ合う燕の軸と、やはり身を寄せ合う5羽の兎の軸でした。不可思議な毛描きなど類稀な技法で、身を寄せ合って生きる命の儚くも溌剌とした美しさを描き出す省亭の画に、私は異様で鮮烈な美を感じ、即座に購入してしまいました。省亭の作品をもっと見たいと思いましたが、当時省亭の画集は存在せず、いくつかの美術館でときに数点飾られる以外に、鑑賞する術はありませんでした。

 自分で集めるしかない、と単純な私は思いました。そして画商たちに、「省亭の作品がでたら全て持ってきて」と告げました。連絡があるたびに、すっ飛んで行き、「異形といえるほど鮮烈な生命感、逡巡なき筆運び、時の流れを封印したような印象」を受けるものだけを選んで、片っ端から購入し始めました。真贋そっちのけの「好き嫌い一刀流」です。すると軸の値段がドンドン上がっていきました。値が上がるほど良い作品が出てきて、益々欲しくなります。

 著名な美術品コレクターに、どうやったら安く買い集められるのかと尋ねました。答えは、「良いと信じるものを安く買うのは、自らを否定するのと同じ。良いものは誰より高く買うべし。」というものでした。私は、この金言を胸に、ドキドキしながら、高騰していく軸を値切らず買い進めました。

 何かコトがおきるときは、意思疎通なく同時多発的にシンクロするといわれます。丁度その頃、日本美術を担う著名な先生方が、「若冲の次は省亭だ」と、省亭の研究を進めておられ、省亭を夢中で買っている奇妙な男のことをお聞きになり、私は先生方とのご縁を得ました。

 先生方は、これほど力ある画家が忘れられていったのは、院展や文展などの展覧会を、力量のない画家が市場評価を上げるための装置だと軽蔑して出品せず、画壇に属さなかった孤高さ故に、排除されたことが原因だと教えてくれました。しかし、彼には、隠然たる力を持つ目利きの旦那衆がおり、その絶対的な支持の下で、生涯画家として描き続けることができたのでした。

 大岡信は、日本の文学は、「孤心と宴」とが織りなしてきたと語っています。省亭には、まさにロータリーのような、旦那衆といういわば「宴」の場があり、それが彼の「孤心」を支えたといえましょう。省亭の「孤心」の輝きを再び表舞台に引き上げるべく様々な人が奔走した末、ついに著名出版社からの画集の刊行、著名美術館における巡回展覧会、NHK日曜美術館における特集など省亭ブームが巻き起こるに至りました。

 省亭には、水巴という息子がおります。水巴は、省亭に大切に育てられ、父を愛し、優れた俳人となりました。水巴の俳句は、省亭の詩情を受け継ぎ、言葉の世界でさらに見事に磨き上げた、まことに鮮やかで、儚くて、美しいものです。

てのひらに 落花とまらぬ 月夜かな
かたまつて うすき光の 菫かな

 省亭が捉えようとした美を、水巴は僅か17文字に見事に描きだしています。 孤高の美の探求を支えた旦那衆という「宴」に守られ、生涯「孤心」を追求し続けた父。息子は父の「孤心」を愛し、受け継ぎ、父の遺した良いことも悪いことも全てを受け入れて、自ら新たな世界を切り拓き、ときに父を懐しみました。忘れられた絵師を甦らせるプロジェクトのささやかな一翼を担った最大の報酬は、コレクションそのものではなく、省亭と水巴親子の生き様に触れ、生きる上で本当に大切なものとは何かを知り得たことでありました。


日本の印刷業界について

2023年2月8日(水)

(株)アドピア
代表取締役社長 臼田真人君


 一言で印刷産業と言っても、その裾野は広く、印刷業、製版業、製本業、印刷加工業、印刷関連サービス業の5つの業種を合わせて印刷産業と言われています。

 印刷産業は、日本の高度成長期やGDPの伸びに支えられ、1991年に総出荷額のピークを迎え、9兆円にもう少しで手が届く8.9兆円産業まで成長を遂げました。その後はIT、情報化社会の劇的な進展により、デジタル化・ペーパレス化が進み、その影響から、なだらかな減少フェイズに移行して現在に至っています。

 2020年の工業統計の産業編では、従業員数3人以下の事業所も含めた2018年の印刷産業の事業所数は20,642事業所、従業員数は273,523人、出荷額は4兆9,981億円と発表されました。従業員4人以上の事業所数でいいますと、製造業24業種中、金属製品、食料品、生産用機械、プラスチック、繊維に次いで6番目となり、全製造業の6.1%を占めています。

 品目別の産出事業所数では“オフセット印刷物”は20都府県で第1位、15道県で第2位となっており、印刷産業は現在も日本全国各地の確固たる地場産業であり続けていることが証明されています。

 同時に、印刷産業は中小企業性が非常に高い産業であり、全体の98%が従業員100人未満の企業、53.2%が3人以下の規模であり、100人以上の企業は全体の2%に過ぎませんが、出荷額では42%のシェアを占めています。

 振り返りますと、印刷産業は1963年に制定された中小企業近代化促進法を背景に、設備投資の促進を図るため1999年まで4回にわたる構造改善事業を柱とする機械設備投資といったハード志向の護送船団方式で成長を続けてきました。

 しかし、その後に加速する国際化、高度情報化、少子高齢化、成熟化に対応するために、ソフトサービスへの対応など柔軟性のある業態への変革が必要とされる社会変化に合わせ、1999年には、近代化促進法に代わり、中小企業経営革新支援法が制定され、それまでの業界ぐるみの施策から、やる気のある企業だけを支援するという姿勢に、国が産業成長方針の大転換を図りました。

 このような中で2020年、経済産業省において将来の印刷産業を占う大規模な実態調査が行われました。全国の印刷会社1,009社から回答が寄せられ、この分析から、供給過剰といった需給ギャップ、機械稼働率の低下、製品単価の下落、事業承継などの課題が鮮明となり、その解決策として、足元では個々の企業の得意分野の協調、稼働データの連携、管理コストの引き下げを図るDXを活用し、効率化を手に入れた上で、さらなる事業領域拡大を促進するコミュニティづくりなどを進め、印刷の新しい価値を創出していくと言う指針が示されました。これを受け、すでに印刷産業DXのプラットフォームについては国の支援を得て構築が完了し、現在は本格稼働が始まっているところです。

 皆様がおっしゃる様に、確かに今、印刷産業界は大きな岐路に立たされています。しかし、それは「衰退」か「発展」か、という岐路ではありません。創立100年を超えた印刷会社の創業時の業態が、小さな村や町の情報誌である地方新聞社であったことや、青森県では水産加工業から製缶ラベル製作への業態変革、富山県では地域産業である製薬会社の傍ら医薬品販促物製作といった様に、地域や社会のニーズを当時は印刷物に変えた課題解決型の企業でありました。
 今、この課題解決型の企業へと原点回帰しながらも、新たな情報メディアを扱うことで現在の社会課題解決型の企業へと生まれ変わることが急務とされています。こうした「大きな構造転換を果たした先の成長」が、印刷産業の発展へと続く道であると信じています。印刷産業が地域を結ぶコミュニケーション産業と変わる未来にご期待いただけましたら幸いです。