卓話


平和のための戦争論

2016年4月6日(水)

早稲田大学 アジア太平洋研究科
教授 植木(川勝)千可子氏


 本日のテーマは、昨年2月、安全保障の議論が盛んになった時にちくま新書から出した本と同じタイトルです。今日はその中心部分と、最近、注目されている南シナ海の状況等を踏まえてお話しします。

 まず世界に訪れている変化で一番大きなものは、アメリカの影響力の低下です。昨年、オバマ大統領も「アメリカは世界の警察官ではもはやない」と言いました。財政難に加えて、国内世論が大変内向きになっており、「アメリカは世界各国の問題に介入すべきではない」ことに過半数が支持しています。

 そして、国際的には中国の台頭です。中国は活発な経済活動を続け、政治的にも軍事的にも影響力は大きくなっていますが、まだまだ世界のリーダーにはなれない状況です。その要因は、国内に多くの問題が山積し、国外の問題に目を向ける余裕がないこと。また、最近の習近平総書記の重要講話等では、現在の国際システムや国際法といった国際的制度への不満を言う場面が増えてきており、今の国際システムをリードする役割を担う状況にはないと言えます。

 アメリカの影響力が低下し、ヨーロッパ諸国や日本等先進国の影響力が少しずつ下がり、内向きになり、リードする国がいなくなっています。中国、ロシアは少し反発することはあってもまとめあげることはできません。主要国の外交力が低下し、小規模の紛争が世界のあちこちで出てきています。こうして、中国と協力する必要性が増す一方、中国との対立も増加しています。原因としては、中国は一体何をしてくるのだろうか、逆に中国から見ると自分達の発展を阻害してくるのではないかという戦略的不信が少しずつ強くなっている現状があります。

 さて、ここで戦争が起こるしくみについて考えてみたいと思います。戦争が起こる引き金はいろいろとありますが、何か出来事が起こった後で、政策決定者が戦争するかしないかを選ぶ時、戦争の結果について意見が不一致である状況があると言われています。つまり、A国が「ここで戦争をしたら勝てる」と思い、B国も「これはA国が勝つな」と思えば交渉の道が開ける、あるいは譲歩せざるを得ないのですが、A国が「自分達は勝てる」と思って、B国も「自分達も勝てる」と思った時に戦争が起こる。当たり前のようですが、多くの戦争は、戦争の見通しに対して誤った認識を持った結果起きています。

 特に多いのが短期楽勝の誘惑です。戦争が早く終わり、しかも楽勝であるという見通しを持った時に戦争は起こる可能性が高くなる。例えば、第一次世界大戦。8月に戦争が起こった時、ヨーロッパのリーダー達は「秋頃には兵士達は皆帰ってこられる」と送り出しましたが、実際は長い戦争になりました。最近では2003年のイラク戦争です。3月に始まり、5月にはブッシュ大統領が主要戦闘の勝利を宣言しましたが、太平洋戦争より長いものになり、今でもイラクは安定しているとはいえません。

 これに拍車をかけるのは「早い者勝ちの焦り」です。本の中で私は「タイムセールの危険」と書きました。例えばスーパーなどで「5時から15分だけこのお肉が安くなります」と言われ、そこで買わなければ他の人に買われてしまうと感じ、購買意欲が高くなることです。戦争も同じで、「今やれば勝てる、しかしグズグズしていると負けてしまう」と戦争への誘惑、焦りが増すのです。過去の戦争を見ると、多くの場合、リーダー達はそう認識したのです。

 ここに水晶玉を覗く占師の絵があり、水晶の中に戦争の悲惨な様子が見てとれます。戦争の見通しが明らかになっていれば避けられたかもしれない戦争です。戦争の見通しについて正しく理解し、相手にも正しく理解させることが戦争を予防し、平和を保つ仕組みの一つです。これを「水晶玉効果」と呼びます。

 抑止とは実際の武力を使わず、戦争を防ぐこと、起こさないことです。この水晶玉効果を増すことが、抑止を成功することにつながります。「撃つなら撃ってみろ、倍にして返すぞ」と相手を押しとどめる。あるいは、「撃つなら撃ってもいいが、私は固い鎧を着ているから成功しないよ」と相手に思い止まらせるのが基本的な考え方です。

 抑止には、成功する3つの要因があります。
|かが攻撃してきたら、反撃する軍事能力とそれを使う意図があること。強力な武器を持っていてそれを実際に使うのではないかと相手に思われることです。加えて、抑止が成功するためには、2番目、3番目が重要だと言われています。

∩蠎蠅棒気靴、一番目の軍事能力と意図を伝えられること。こちらからシグナルをきちんと出す、あるいは危機的状況になった時でもきちんと意思疎通できる手段があり、信憑性があることです。反撃すると言ったら必ず反撃する、しないと言ったら絶対しないという信憑性が必要です。

状況の共通認識があること。ある一線を越えれば必ず撃つが越えなければ撃たないという共通認識です。脅しだけでなく、安心供与が重要だということです。どのみち撃たれてしまうならば、相手が線を越えなくても先に手を出したほうが得だと思ってしまうので、片方では攻撃することのマイナス、逆は控えることのプラスがきちんと認識されていることです。

 いろいろな面で△鉢について考えると、今のままでは、抑止は必ずしも増さない危険があるとわかります。

 それでは、南シナ海の状況は、何をめぐる争いなのか、何を守り、抑止しようとしているのでしょうか。

 1つ目は、領土・領海の争いという見方です。
 2つ目は、海洋の安全・自由航行を守る争いです。アメリカは個々の島についての帰属権を支持する立場をとらないが、航行の安全と自由航行はアメリカの重要な国益であると言っているからです。
 3つ目は、アメリカが持つ覇権を巡る争いです。アメリカは長らく世界の海、公海、空域を支配しています。それがアメリカの力の源泉で、どの国にもアクセスを認めるようにしているため、多くの国はアメリカが安全にしてくれている能力に依存しています。逆に、何かあればアクセスさせない力も持っており、それが世界の多くの所に軍事介入する力の源泉にもなっていました。それをCommand of the Commons(公共空間の支配)と言います。これに対し、A2/AD(接近阻止、領域拒否の略)はアメリカが見ている中国の軍事戦略・安全保障戦略で、「中国が自分にとって大事な海域にアメリカを入れさせないようにする戦力を作って戦略を立てている」とするもので、この2つの争いとする見方です。 4番目は台湾。中国がアメリカに特定海域に入ってほしくないのは、台湾が法的な独立を指向した時、中国が軍事的に阻止するのに対し、アメリカが軍事介入すれば台湾は独立してしまう可能性があるため、それを許さないためとも考えられます。

 5つ目は規範です。現状を国連海洋法条約に則って話し合いで解決しようという国際的な規範に対し、実力行使あるいは脅しで現状を変えようとする争いです。

 米中のアジアにおける影響力の争いなのか、あるいは中国がアメリカの国際秩序に南シナ海で挑戦しているのか。小さい岩の帰属の問題から世界のシステムがどうなっていくかまで関わってきます。

 南シナ海の暗礁を埋め立てた人工島に中国が滑走路を作ろうとしています。ベトナム、フィリピン、マレーシアも滑走路を持っており、中国が出遅れていたのも事実で、中国はそれを自分たちが滑走路をつくる正当性を主張する理由にもしています。

 先ほど、何を抑止しているのかが明確になっていないと抑止は成功しないと話しました。「これをしたら攻撃も辞さない」線は南シナ海ではどこに引かれているのでしょうか。埋め立て中止、領有権の主張阻止、台湾への攻撃、日本(尖閣)への攻撃、規範・国際秩序(米国の覇権)など、一線はどこに引かれ、何をしようとして、何をさせまいとして、アメリカや日本は南シナ海で活動していくのか。

 一つの水晶玉で「戦争するとこういうことが起こります」と見せ、もう一つの水晶玉では「戦争しなければこんなにいい世界です」と見せることによって、戦争を防ぐことが考えられます。そのため、一つの戦争を防ぐ、抑止を増す方法としては、戦争が割に合わない世界を作っていくことでしょう。これを私は「リベラル抑止」と呼んでいます。線を明確に引くための国内の議論とコンセンサスが非常に重要になります。「この線を超えたら必ず反撃する。しかし、超えなければ反撃しない」ことについて、国民の間で議論し考えることが大事です。

 民主主義国家は抑止に対してとても強みを持っていると考えられています。水晶玉の中が見えやすい仕組みになっているからです。皆で議論を活発にしあうこと、外から見えやすい国になっていることは、日本が引く線は絶対越えさせないときちんとシグナルで出せることにつながり、また相手の不信感を減らすことにもなり、抑止を高めます。

 抑止を高めるためには、譲歩は得だと思わせる仕組みを作ることも大事です。戦争の原因は「割に合う」認識にあるため、「戦争は割に合わない」という認識を持つことです。お互いに割に合わないという状況、二国間や多国間、そして国際レベルで保証する経済的利益、ルール、依存関係を作り、失うものが大きいという状況を軍事的な破壊以外でも作っていく。そして、プラスマイナス両方で抑止する。そのようにして戦争が割に合わないと考える世界をつくることが遠回りのようで近道だと思います。

 私たちにできることは、自分達の国の水晶玉効果を上げること。こちらが何をしようとしているかが相手に伝わることで戦争の抑止は、半分は成功したことになると考えます。

        ※2016年4月6日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。