卓話


俳句の国際化

2005年12月14日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

ホトトギス社
ホトトギス編集長
稲畑廣太郎氏

今日は「俳句の国際化」という大それた題名をつけさせていただきましたが,私は一介の俳人でございます。国際人としての素養も全くございませんので,話が趣旨から外れてしまうと思いますが,何卒ご了承いただきたいと思います。

日本人であれば「俳句」という言葉を知っていますし,実際に俳句をたしなまれる方もたくさんいらっしゃいます。

俳句をなさる方は,俳句についてのイメージをもっておられますけれども,俳句をたしなまない方々が俳句についてどんなイメージをもっていらっしゃるか。

それを申しあげるために,「恋は五・七・五」という映画のことをお話しいたします。この映画は,今年の3月に封切られ,今でも,どこか地方の映画館でやっているかもしれませんが,題名からみて俳句の映画であるとご想像いただけると思います。

「恋は五・七・五」という映画は,毎年8月に,愛媛県松山市で行われている「俳句甲子園」というイベントが舞台になっております。松山市は高濱虚子、正岡子規の生まれた所で,俳句のメッカといわれている所です。

「俳句甲子園」は,何人かの高校生が学校単位のチームを組んで俳句を詠み,その俳句を相手校のチームが批評します。お互いの作品と批評について全体的な優劣を競い,トーナメントで優勝校が決まります。このイベントを映画化したもので,ドキュメンタリーではなく,俳優を使って,ちょっとコメディータッチに仕上げた作品です。

この映画の,あるシーンで「俳句なんてジジイのうわ言。ババアのたわ言よ。…」という主人公のセリフが出てきます。

 このセリフが,俳句をたしなまない人が俳句についてのイメージを語った場面だと思います。映画では,このセリフを言った主人公がどんどん俳句にのめりこんでいくという設定で,結局,この子の学校が優勝してしまうというストーリーですが,一般的には,俳句は年配の方々の趣味というイメージが強いかもしれません。

俳句というのは,古典的なものというイメージがありますが,その歴史はそれほど古いものではございません。

俳句という名前は明治時代に正岡子規が言い出した言葉です。江戸時代に流行した「俳諧」は,五・七・五から七・七とつないで,また次に五・七・五となり,それがつながっていく詩です。つなぎ方にもかなり厳しいルールがあります。私は,そのほうは門外漢ですが,連句に似たようなものです。

俳諧の最初の五・七・五を「発句」といいますが,「俳諧の発句」という言葉を縮めて「ハイク」と呼ぶようにしたのは正岡子規です。正岡子規は名前をつけるのが上手だったといわれている人で,「野球」も彼がつけた名前だという説もございます。

俳句には二つの特徴があります。私は伝統俳句を営んでおりますので,あくまでも,その立場から申します。

俳句は,五・七・五の十七音でまとめ,その中に「季題」が含まれていないといけません。みなさんには,季題より季語という言葉の方が、なじみがあると思いますので,季語という言い方で先ず話しを進めます。

 日本語で季節の言葉として昔からいわれているのは「雪月花(せつげつか)」という言葉です。雪は冬のシンボル,月は秋のシンボル,花は,桜の花のことで春の代表的な言葉です。俳句には必ず季語が含まれていなければいけないという約束事がございます。

俳句というのは,五・七・五で季語が入っていなければならないと,書物にも書いてありますし,そのようにも教えられましたが,それをひとつ進めまして,五・七・五の十七音で季題を詠むというのが,伝統俳句の神髄ということになります。

今「季語」ということを申しました。そして先程「季題」ということを申しました。季語というのは,いわゆる季節の言葉です。花の名前,天候,天文など,たくさんの言葉がありますが,その言葉の中でも洗練されて,詩の趣のあるきれいな言葉として歳時記に採用されている言葉を,伝統俳句の世界では特別に「季題」といいます。

俳句では,四季を,二月から四月までが春,五月から七月までを夏,八月から十月までを秋,十一月から一月までを冬に分けます。季題もそれに従って分けられています。

 日本語には,独特の季題があります。例えば冬になると冷たいので手がかじかみます。「悴む(かじかむ)」も季題です。春になると,眠たくなったりして,ゆったりした時間が流れます。このような状態を「のどかな」といいます。「長閑(のどか)」も季題です。夏になると涼しい,というのは変ですが,暑いなかでも木陰に入ると涼しさを感じます。夏であるからこそ涼しさを感ずるという意味で「涼し」が夏の季題になります。秋になりますと,空気がとても澄んでいてさわやかです。「爽やか」は秋の季題です。

日常では,春でなくてものどかなという時があります。秋でなくてもさわやかなという言葉を使う時もあります。本来は,日本語は季節感をもった言葉で,その季節に使う言葉が多いのが特徴だと思います。

サラリーマンの方々が,歳時記を重宝しているという話を聞きました。営業の手紙を書く時に,書き出しの季節の言葉を探すのに重宝しているということだと思います。

ここで,突然,国際化の話に移ります。

 俳句が西洋に伝わったのは江戸時代だそうです。その頃は,俳句という言葉ではなく,俳諧の発句としてのそれでありました。それが各国で独自の発展をして現在に至っておりますが俳句の国際化は現に行われています。英語の俳句,フランス語の俳句,ドイツ語そして中国語の俳句もございます。

中国語の場合は漢字で五・七・五と書く漢俳といっていますが,漢字ばかりですから意味が膨大になります。英語の場合はシラブルで五・七・五の韻を踏むという形です。
 
国際俳句シンポジウムという会合も時々行われておりまして,最近は韓国からも参加されています。英語の俳句は五・七・五のシラブルでは長すぎるので,二・三・二にしようとか,いろいろな討議があります。

 俳句に興味をもつ海外の方が多いのですが,実ははっきり申しあげて,俳句自体が国際化するのは無理な話だと思います。

英語では、HAIKUとローマ字で表した書物もあります。中国の漢俳も日本の俳句をベースにしていることは確かですが,やはり,それぞれの国自体の文化として,ひとつの短詩形文学として発達することはあっても,俳句自体が国際化することは難しいと思います。

日本語で詠まれる俳句には,季題のように日本人のもつ独特の季節感と,だいじなこととして日本語の美しい響きというものがあります。朗詠とまではいかなくても,披講(ひこう)という,詩歌を声に出して読みあげて楽しむことによって,日本語の調べの美しさを味わうことも大切なことです。

例えば、芭蕉の『古池や 蛙とびこむ 水の音』が,世界中でいろんな言葉に訳されています。英語だけでも,いろんな訳があるそうです。それを外国の方が読んで意味はわかりますけれども,日本語で読んだときの響き,日本語独特の響きは伝わらないと思います。やはり,俳句に興味をもっておられる外国の方は,俳句を日本語で聞くということがだいじだと思うのです。

 俳句をとおした国際化というのは、日本語の美しさを,俳句に限らず大切にしなければいけないと思うわけでございます。

町なかを歩いておりましても,また,経済活動での用語にしましても,なんでもかんでも横文字にしてしまって,「てにをは」だけ日本語という極端な場面に出くわすことも、しばしばです。

外国の方々と交流する場合に必要な言葉もあるかもしれませんが,その前に,自分たちの日本語を大切にして,不必要な外国語化は避けたいと思います。

 国際化ということが巷で言われておりますけれども,国際化というよりも欧米化の道を辿っているような気がします。まず日本人であることのために、日本語という美しい言葉を身につけることが必要だと思います。そのうえで海外との交流をするということが大切ではないでしょうか。

もちろん、私は、みなさまに俳句をたしなめとは申しませんが,俳句という詩にふれることによって,日本語の美しさ,母国語である日本語をベースにおいてほしいと思います。それは言葉だけではなく文化全体に通ずることだと思っております。