卓話


イニシエイションスピーチ
チャレンジ100委員会報告は東北すくすくプロジェクトに掲載しております。

2012年8月8日(水)の例会の卓話です。

河本 武 君
橋本有史 君

ドイツと日本と バウムクーヘン

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代表取締役社長 河本 武 君

 私はドイツを50年程ウォッチしております。バブルの頃はJapan as number oneと持てはやされて、錯覚して日本中が浮かれておりましたが、よくよくドイツをウォッチしますとトラック競技の1万m走に例えますと、日本はドイツに1周遅れて先頭を走っていたことに気付きました。ドイツの産業界では例えば自動車が突出しておりますし、食品産業ではビール、ハム、ソーセージ、黒パン、洋菓子ではバウムクーヘン等が代表選手です。

 そしてドイツはエコ先進国であります。「エコ・バランスシート」という考え方がございまして、例えば牛乳のビンは50年程前に紙パックに変わり、途中でまたビンに戻り、今はまた紙パックに戻っています。リサイクル、洗浄コスト、輸送コスト等を比較してエコバランスを考えて、より良い道を模索しております。

 ドイツ人の好きな言葉が二つございます。一つはZweckmäßig「合目的々」で、もう一つがDeutsche Gründlichkeit「ドイツ的徹底性」です。
日本の歴史の中で最初に登場するドイツ人は1651年生まれのEngelbert Kämpferです。今から320年程前に江戸を訪れたケンプファーは「生類憐みの令」で有名な5代将軍徳川綱吉に江戸城で1691年(元禄4年)3月29日に謁見しました。

 次に登場するドイツ人は医師として有名なシーボルトです。当時ドイツ人は入国出来ませんでしたので山オランダ人(Bergholländer)と偽って1823年に入国しました。
話が115年前の中国に飛びますが、1897年、清国の山東省でドイツ人宣教師2人が殺害されました。ドイツはこの事件を口実に力ずくで独清条約を結び、膠州湾を99年間租借することにしました。

 1908年に一人のドイツの菓子職人が呼び寄せられ、バウムクーヘンを青島のジャーマン・タウンで焼きました。ところが、1914年に第一次世界大戦が勃発し、日本は同盟国イギリスの要請をうけてドイツに宣戦布告。11月7日青島は陥落しました。4,791人のドイツ人捕虜が日本全国12ヶ所の収容所に護送されました。5年後の1919年6月28日にヴェルサイユ条約が調印され、釈放されたドイツ人の大半は祖国へ帰りましたが、パン職人、菓子職人、ソーセージ職人等の中に、日本に定着するドイツ人がいました。

 日本人が最初にバウムクーヘンをたべたのは90年程前の1919年3月4日でした。ちなみに、3月4日はバウムクーヘンの日として登録されています。

 バウムクーヘンの名前の由来は、焼き上げる際の芯棒が木で出来ていたから「木のお菓子」バウムクーヘンになったようです。もし、芯棒が竹なら「竹のお菓子」バンブスクーヘンになっていたと思われます。丁度日本の「竹輪」のような命名の仕方です。ちなみにバウムクーヘンの「バウム」は「木」、「クーヘン」は「お菓子」という意味です。

 洋菓子の中で特にバウムクーヘンが好まれるのは、味はあっさりしていますが、木の年輪のように見えるこげ目が美味しいからだと思います。バウムクーヘンは「おこげの文化」と言うことが出来ます。
 
 ドイツには古くからジャーマン・コードがあります。例えば500年程前の1516年にバイエルン国で制定された「ビール純正令」があります。ビールの製造に麦芽とホップと水以外の材料を使うことを禁ずる法律です。バウムクーヘンについても油脂はバターを使うことと、ベーキングパウダーは使ってはいけないと決められています。

 また、職人養成の為のマイスター制度があります。以前は例えば菓子屋を開くにはKonditor Meister(菓子職人の親方)の資格がないと開業できませんでしたが、非関税障壁となり、今ではマイスターでなくても店を開くことが出来ます。ドイツの銘菓バウムクーヘンはドイツ菓子協会のシンボルマークです。