卓話


ロータリー財団月間例会  私にとって英国留学とは

2008年11月5日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

1971-72年度ロータリー財団奨学生
住友商事(株)
化学品・エレクトロニクス総括部
投融資担当部長 本城 信氏

 前回,私がこの壇上に立ちましたのが1972年の今頃でしたから,36年前のことです。非常に懐かしい感じがいたします。その時も確かロータリー財団月間例会でありました。

 あれから40年近く経っておりますので,それなりにイギリスに関する印象も精製されてきたと思いますので,今日は,「私の人生において1971〜72年の英国留学はどういうものであったか」という大枠の中で,幾つかのテーマについてお話しいたします。

 まず結論から申しますと,私の人生において,英国留学の1年間は間違いなく人生最良の1年間でありました。この1年間を過ごすことができたことを,本当にありがたいと感謝しております。

 私は,Paul Harris Fellowになっておりますが,これも,ロータリーに対する感謝の気持ちを多少なりとも形にしようという,心ばかりの御礼の気持ちの表れです。

 では,いったい何がよかったのか。まず私の留学の1年がどんなものであったかを振り返ってみたいと思います。

 当時も今も,イギリスの大学は10月が新学期です。ケント大学は,秋学期が10週間あって冬休みが1カ月。冬学期が10週間あって春休みが1カ月。その後,10週間の最終学期という学年構成です。イングランドの大学は3年制です。ちなみにスコットランドは4年制です。ケント大学の場合は,3年生の最終学期は 試験学期になるので授業はありません。

 私は履修していた科目が3年生の科目が多かったのと,ロータリー財団から親善第一と言われていたことをよいことにして,試験を受けませんでした。というわけで,第3学期の10週間は全く束縛のない自由な時間でした。

 地元のDistrictの方も,そのへんの事情をよく知っていて1週間のSouthern Tourを組んで英国南部各地のRCを訪れ,卓話をする機会を設けてくれました。さらに,隣のロンドンのRCまで行って話をしたり,アイルランドを旅行したりして過ごしました。地区に帰ってからも,卒業試験の終わった寮の学友たちと一緒にイングランドやスコットランドをドライブして回りました。

 私のこれまでの人生で,こんなに満足な自由時間に恵まれた時期はなかったわけです。

 3学期はそのようにして過ごしましたが,その前の冬休みの1カ月は,遠縁の叔父と父の友人のドイツ人がいる西ドイツに参りました。当時の西ドイツは,まだ東西ドイツがある時代ですが,万年不況に苦しむイギリスとは対照的に,経済高度成長独特の雰囲気を感じられる状況でした。感覚的に日本に近いと思いました。

 その西ドイツで,大量の外国人労働者が働いている事実に遭遇します。当時,イギリスにも外国人労働者がいましたが,主としてインド,パキスタン,西インド諸島から来た,いわば旧植民地出身者が多いのですが,西ドイツでは,トルコ,イタリア,ユーゴなどの近隣諸国出身者が多く,純粋に経済的理由で西ドイツに来ているという感じです。

 「いずれは日本も,外国人労働者問題に遭遇するであろう」と思いました。幸いなことに,ケント大学の研究所にはBohningさんという,この問題のオーソリティーである研究員がおられたので,いろいろとご教示を受けることができました。

 お陰で,日本に帰国した翌年,1973年の3月に日本評論社の「月間労働問題」という雑誌に『労働移動と外国人労働者』という論文を掲載することができました。

 この論文は,西ヨーロッパの外国人労働者問題について,外国人労働者を導入するとどういうことになるかということを総合的に俯瞰した,日本で最初の学術論文になりました。

 帰国当時は,各地のRCで卓話をする機会を得まして,その都度,この外国人労働者問題を取り上げたのですが,正直なところ,会員の皆様は,この話題にはピンとこないという感じでありました。

 一昨年,浜松に行って,お会いした会社の方が,日本を代表する製造業の現場で,外国人労働者がいないとラインがもたないと話された昨今と比べると,えらい違いです。
当時の私の得た結論が,今日に至っても有効なものですので,僭越ながら敢えて紹介させていただきます。

その1.外国人労働者が入ってくるのは,我々の生活水準が上がってくるにつれて,いわゆる3K職場から離職者が出るからです。3Kの仕事をする人がいないと社会は回りません。外国人労働者は,我々が3K職場から去った穴を埋めてくれる貴重な存在です。
その2.経済が好調の時に入ってきた外国人労働者は,不況になったからといって,都合よく帰ってくれるものではありません。
その3.外国人労働者の数が増えれば,彼らのニーズに対応して,食堂や食品店,文化施設などができてきます。外国人労働者は永住し,彼らの社会を形成します。

 経済が発展すると外国人労働者が増え続けるのは,自然の摂理のようなものです。私が行った頃の西ドイツの外国人労働者は200万人,今のドイツは400万人です。

 日本も,もはや外国人労働者は「導入すべきか否か」ではなく,「導入すべし」とはっきり覚悟を決めて,私が申しあげた「普遍的な事実」を念頭に「入ってくるものを如何にキチッと扱うか」という次元での検討が必要ではないかと考えております。

 話をイギリスに戻します。留学して2学期には,友達も増えました。その結果,私は,当時の英国は,階級社会脱却に大変な意欲を持って取り組んでいることが分かりました。

 「イギリスには特権階級がいて,その特権が代々継承されている」という認識は,大きな間違いです。当時の首相ヒース氏は,大工さんの息子です。有名なサッチャー首相は,八百屋さんの娘です。ちなみに,今回の欧米発の金融混乱に対し,他の範となる政策対応を打って名を上げた現首相ブラウン氏の父親は,小さな町の牧師さんです。

 イギリスは一貫して,「階級社会からの脱却」問題に取り組んでおり,私が留学していた当時は,家庭の所得如何では授業料が免除されるばかりでなく,学生の生活費まで政府が出していました。学生はアルバイトをせずに勉学に専念できる環境が整っていました。これが,「沈み行く老大国」と揶揄されていたイギリスの本当の姿であります。

 当時,パーキンズという経済学者が,その著作で「英国と比較して,フランスやドイツの大学の方が高所得者層出身の学生の比率が高い」と述べていましたが,これはエリートがエリートを再生産する状態を示したものです。イギリスは長い時間をかけて,営々と階級社会を打破するための「社会のかき回し」を進めていたと言えると思います。

 外国人労働者問題と大学の奨学金制度による社会のかき回しは一見無関係のようですが,この二つは「多用性を積極的に喚起し,多様性を受容する」という共通項でつながります。

 私は,昨今の日本がすべての面で,あまりにも均一化による効率化を追求したために,社会全体が純粋培養になり,異物に対するアレルギーが強くなり,外に対して閉鎖的になり,変化に対して脆弱になってきていると危惧しています。

 このようなことで,これからの日本は,アメリカの相対的な地位低下に伴って再び多極化に向かおうとしている時代,つまりはさらなる多様化が見込まれるこれからの世界で,果してやっていけるのだろうかという状況です。これに対して,イギリスは大量の外国人を受け入れ,社会の各レベルに彼らを受け入れて,社会を積極的にかき回しています。ひとつの参考になるのではないかと考えております。

 イギリスから帰国した私は,その後26年間,イギリスに行く機会がありませんでした。1998年8月に仕事上のご縁で,久々にイギリスの土を踏むことができました。企業売却の仕事はつつがなく終了しましたが,私が1970年代のイギリスの社会に身を置き,イギリス人について知り,ヨーロッパを旅して,ドイツ人,ベルギー人,オランダ人に対して一定の感覚を持っていたことや,当時の記憶をネタに,未知の相手との会話の糸口をつかむことができた,ということが非常に重要なこととして役立ったと思います。

 要するに私は,70年初頭の留学体験のお陰で,現在のヨーロッパとビジネスがつながったということです。

 私の資産は有形のものではなく,私の中のどこかにある無形のものですが,確実に私の資産として残されていて,いざという時には役立つというものです。この資産を身につけるチャンスを作って下さったロータリー財団と,この財団をサポートされる皆様に再度御礼を申しあげて,結びといたします。