卓話


ロータリークラブ100年を貫くもの 

1月19日(水)の例会卓話です。

(財)商工総合研究所
理事長
宮本 四郎君 

第4039回例会 
 
 1905年のシカゴにたった4人で誕生したロータリークラブは,100年後の今日,世界中に120万人の仲間がいます。ほんとうに大変なサクセスストーリーであるし,また大変名誉なことだと思います。

ロータリーに入会した時は,いろいろとRCのビデオを見せてもらったり逸話などのお話をうかがいますが,耳新しい言葉などがあって,なかなか十分な理解ができませんでした。しかし私は,ポール・ハリスがなぜRCを創ったかの核心に触れてみたいという願いをずっと持ち続けておりました。

 たまたま,シカゴに出張する機会がありました。仕事を終えて,シカゴRCメンバーの友人に頼みまして,エバンストンまで連れていってもらいました。RIの本部には,昔,初めて会合がもたれたユニティー・ビルの7階にあったガスタバス・ローアの事務所の扉を,そのままはずし移してあります。「711」のプレートが光っていました。部屋は当時にならって復元されています。またポール・ハリス会長の部屋がありまして会長が愛用された遺品も沢山展示されていました。壁には,世界を廻られたときの写真が取り囲んでいました。そこで私は『ロータリーへの道』というポール・ハリスの自叙伝を買いました。読みますと,いろいろと胸に思いあたるところがありました。

ポール・ハリスはウィスコンシン州のラシーヌという町で生まれ,3歳の時に父親が事業に失敗したために一家は離散します。彼は父方の祖父母に育てられます。その場所がニューイングランドの北のはずれ,バーモント州のウォーリングフォードという小さな田舎町でした。彼は自伝の序文に,「私の70年の人生で大切なものが二つあった。一つはニューイングランドの谷間,もう一つはロータリー運動である」と書いています。また「ロータリー運動に自分が身を捧げるようになったのは,故郷の谷間,村の人たちの温かい人情,政治や宗教にはこだわらない心の広い人々のものの考え方にさかのぼる」と続いています。

私は,ポール・ハリスが生涯の思い出とした故郷ウォーリングフォードという町を一度は訪ねてみたいと思っていました。しかし,地図をみるとボストンから北へ350キロ,行くのに大変不便な所です。やがて機会が来ました。息子がボストンの大学に留学しましたので,無理やり頼んでウォーリングフォードまで連れて行ってもらいました。長い長いドライブでした。途中グリーンマウンティンという国定公園を抜ける道路にかかり11月初めの黄色に色づいた山また山,それはすばらしい景色でした。やっと着きますと,写真で見なれた彼の祖父の家がありました。一軒おいて小さな赤煉瓦の建物は彼が通った小学校です。現在は寄付されて,ウォーリングフォードのRCの会場になっています。この赤煉瓦の建物が緑の樹とつりあって,まことに静かな美しい所でした。

 少年時代のポールは相当の腕白だったようです。しかし生粋のニューイングランド人で信仰心の篤かった祖父母に厳しく育てられ,二人とかわした会話は生涯を通じてポールの胸に残ったことでしょう。

彼は,父親の希望にそって,弁護士を志しバーモント,プリンストン,アイオワの大学を出て弁護士の資格をとりました。その間に敬愛する祖父,祖母を相次いで亡くします。

独りぼっちになった彼は,「自分は世の中を十分に見ていない。これから5年の間,世界を歩いてみよう」と決心しました。蓄えがあるわけではありませんから自活しながら世界を旅するというのは相当な決心です。

 アメリカ大陸を西に向かったときは、カウボーイになりました。カリフォルニアに着きますと新聞記者や学校の先生になりました。引っ返して東海岸に出て今度は大西洋を渡るときには船倉で牛の世話をする仕事をやったそうです。イギリスに行った後,ドーバー海峡を渡って大陸に行き主な国を廻ってから帰ってきました。こうして「馬鹿になった5年間」を経て,逞しくなった彼は再びシカゴに戻ってきたのです。

シカゴに戻った彼は,念願の弁護士事務所を開きました。しかし,事志しと反して,あの大きなシカゴにあって一人の顧客もやって来ません。独りぼっちで友達もなく,寂寥の思いにかられました。平日は仕事があってまぎれましたが,日曜日に教会に行った後,公園に行きますと「これ程寂しいところはなかった。」と書く有様です。彼は「自分には一つ大事なことが欠けていた。それは友人だった。」と気づきます。

もう一つ申し上げたいのは,そのころのシカゴの経済社会情勢です。「経済界は目茶苦茶だった。顧客に対し,同業者に対し,企業の中の上下に対し,道徳的でないことを平然とやっていた時代」でした。「徳義心は地に落ち,人心は荒廃して,これでは必ず社会改良の鐘が鳴るにちがいないと思った」と彼は書いています。

しかし彼はこのシカゴがたいへん気に入っておりました。男性的で荒々しく活力に満ちているシカゴこそ,自分の考えている構想を実行するのに絶好の都市だと考えていたのでしょう。

 その考えというのが,「政治や宗教を離れて,自由に意見を交換できる友達がほしい」そして「そういう友達を,一つ一つの職業を代表する人として選んで親睦団体をつくる。」というものでした。この考えこそがロータリーの源泉になるわけです。

皆様お察しのように,ロータリークラブを始めた時のポール・ハリスの心の中には,一つは「友情」,もう一つは職業を切り口とした「奉仕」という二つのことがあったろうと思います。

 私がRCに入会したころ,奉仕というからには,社会奉仕のほうがボピュラーでないだろうか,職業奉仕と社会奉仕の違いはどうか…などと考えたものでしたが,実は,ロータリーが生まれて10年ぐらい経った時に大きな危機にさしかかったことがあったそうです。たまたま昨年の暮れの12月の『ロータリーの友』にその話が出ておりますが,それには「職業奉仕」を主とするグループと「社会奉仕」を主とするグループとの二つが対立してロータリーが分裂の危機に直面した,と書いてあります。

当時,アメリカで,身体不自由児の施設訓育運動が各州に拡がりました。それらは新聞でもてはやされ,あちらこちらのRCでもやり始め,社会奉仕を競うという傾向がありました。当時のRIの会長も熱心だったので,ロータリーは慈善団体かと言われんばかりになるという状況でもありました。

 そういう状況をたいへん心配したRI幹部の努力により統一見解が作られました。1923年,セントルイスで開かれたRI会議の第34号議案として採択された「社会奉仕に関する声明」がそれであります。

皆さまもお持ちの『手続要覧』の第6章社会奉仕(Community Service)の冒頭に「社会奉仕に関する1923年の声明」として出ています。長いものなので省略しますが,そのエッセンスは「ロータリーとは基本的には一つの人生哲学である。それは利己的な欲求と義務と奉仕をしたいという感情との矛盾を和らげようとするもので,自我を越えた超我の奉仕の哲学である。」ということです。
 
このようにしてロータリアンが対外的に行動する場合,その仕事は全部が奉仕である。その奉仕には社会奉仕もあれば職業奉仕もあるし国際奉仕もある,クラブ奉仕もあるというロータリーの奉仕の考え方が固まりロータリーは一皮むけて成年になったのだといわれています。

いまお話しした第6章の前が,第5章職業奉仕(Vocational Service)です。ここには,「職業奉仕に関する声明」が出ております。これは,1989年にシンガポールでRIの規定審議会が開かれました時に,採択された「ロータリアンのための職業宣言」によって補正されました。項目が8つあります。社会奉仕の声明と考え方は全く同じでありますが参考までに,その中から三つだけを申しあげておきます。

○職業の倫理的規範,国の法律,地域社会の道徳基準に対し,名実ともに遵守すること。
○自己の職業そのものの品位を保ち,自ら選んだ職業において,最高度の倫理的基準を推進すべく全力を尽くすこと。
○雇主,従業員,同僚,同業者,顧客,公衆,その他事業または専門職務上関係をもつすべての人々に対して,ひとしく公正であること。

さて日本の経済界で,いま,企業倫理(CSR)についていろいろと言われておりますが,今から一世紀に近い前に,ロータリではそれに関する具体的な規定がずらっと並んでいたのです。しかもRCは100年の間それを実行してきたのです。たいへんなことだと,改めて読み返しております。

昨年の秋,職業奉仕月間に飛鳥山の渋沢史料館を見学いたしました。「論語と算盤」という渋沢栄一の書がありました。彼こそは「経済と道徳は合一である」との合一論を展開した明治時代の我が国殖産興業のリーダーです。その渋沢栄一にしてこの言葉がある。時はポール・ハリスより少し前ですがだいたい同時代です。日本にも先見の明のある人がいたのだと強く感じたことでございます。

日本の経済も長い大不況のトンネルの先にほのかに明るさが見えるようになってまいりました。しかし,毎日の新聞やテレビでは,胸の痛くなるようなことがいっぱいです。それにつけても,昔はこんなではなかった。日本人は変わったのかと思うことがあります。私自身は戦前の教育を受けました。その教育は儒教を中心に仏教,神道を加えて,古来日本民族が守ってきた道徳の固まりを教えられました。いうなれば新渡戸稲造の武士道の世界でした。ところが,先の大戦での敗戦以来,連合国は二度と日本が戦争をしないように,物的施設を破壊し,また,そういう考え方を持たないように教育を徹底的に改革いたしました。自由主義と民主主義を日本の津々浦々に植え付けようとしましたが,残念ながら,これを教える先生の方が本当にその何物たるかがわかっていたかどうか。出てきたものは鍍金のようなものではなかったか。一方,守るべきかつての倫理の固まりは,悪の根源として掃き捨ててしまったのではないでしょうか。そういう時代に生まれ育った人が社会の上から下まで日本を動かす時代になりました。戦前と戦後の世代の分水嶺が今から20年ぐらい前だったのではないかと私は思います。

 年齢,世代の交代は如何ともしがたいものではありますが,日本人が昔からこうであったわけではない。私は今政治の改革や企業倫理が叫ばれるのは,日本の自由主義や民主主義が地についてきて,我々がその基本に横たわる問題を悩むような時代に入ったのだと思います。それは丁度,歴史を逆上って100年前のポール・ハリスがロータリーを創ったころに似ているのではないかと思うのです。そうだとすると,100年間これを旗印にして守ってきたロータリーを,いまこそ,この日本で蘇らせる時ではないのかと思います。今の世代そして次の世代、さらには次の世々代にまで何とかして「友情」と「奉仕」の二つのバトンをしかと渡していきたいと思います。皆さまもどうぞお考えいただければありがたいと思います。