卓話


海老蔵襲名・歌舞伎401年目の事件 

8月4日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

演劇評論家
犬丸 治氏

第4019回例会


 東京に続いて,先月大阪の松竹座で新之助改め十一代目市川海老蔵の襲名興行がありました。私は24日朝 6時から当日売り切符を求めて並びました。10時に発売開始なので,6時に行けば大丈夫だろうと思って並んだのですが,結局補助席でした。

 歌舞伎を見始め30年になりますけれども,これ程人気の高い襲名興行は初めてだと思います。

 海老蔵は,9月は名古屋の御園座,10月はパリのシャイヨー宮で 襲名興行を行う予定です。海外で襲名興行を行う役者は彼が初めてでしょう。「世界の海老蔵」,世界の歌舞伎ということになります。12月は京都の南座,来年の6月には,博多座での興行と,実に1年に及ぶ襲名の大イベントが行われるわけでございます。

 晴海通りや銀座通りの喧噪から僅か離れた,歌舞伎座の櫓を通り抜ければ,その向こうには,日常とは全く違う,非日常的な「江戸の世界」が拡がっている。その非日常の空間を取り仕切っておりますのが,十一代目市川海老蔵,26歳の若武者でございます。

 「歌舞伎401年目の事件」と題しましたのは,丁度,昨年が江戸幕府が開かれて400年目、同時に歌舞伎が始まって400年であったわけです。

 初期歌舞伎を担った人たちは,当時,江戸幕府の体制からはじき出された浪人者とか勃興してきた新興町人でした。彼らは,当時の体制に背を向けて,奇を てらった派手な格好をして町を練り歩きました。そういった人たちのことを, 「傾き者(かぶきもの)」と申します。

 今は,「歌舞伎」という絶妙の当て字で表されていますが,元々は「傾(かぶ)いた」アウトローの集団、それがかぶき400年間の源泉であったわけです。当然のことながら「かぶき」は弾圧の対象でありました。

 しかし,江戸時代の「かぶき」は,庶民の最大の楽しみであって,最大のメディアでした。そして,現代劇であったわけです。歌舞伎は江戸民衆のエネルギーを吸い取り吸い上げて成長していったわけであります。

 こうして,400年を経て今年,5世紀目に入ろうという時に,新之助改め十一代目海老蔵という俳優が現れたわけであります。

 襲名興行は,追善興行と並んで,たいへんな売り物です。来年は,勘九郎改め勘三郎の襲名があり,今の鴈治郎が,元禄時代から絶えていた坂田藤十郎という名前を継ぎます。「襲名」というのは日本にだけある伝統。何故「襲名」 を,「名を継ぐ」と書かないで,「名を襲(かさね)る」と書くかと申しますと,つまり,海老蔵は十一代目の名前を継ぐだけではなく,その前にいる十人の海老蔵が創って来た市川家の伝統を,自分の肉体に重ねていくというのが「襲名」の奥義です。そこには,歌舞伎の持つ宗教性,先祖の御霊を慰めるという精神が脈打っております。

 襲名には,脱皮していく,新生という意味もあります。伝統を継ぎ,生まれ変わっていく。では,新之助改め十一代目海老蔵が何を受け継いでいくのか。市川家というのは代々歌舞伎の宗家のような存在で,初代團十郎のお父さんは,もとは甲斐の武田家の浪人堀越重蔵という人です。顔に傷があったので「面疵(つらきず)の重蔵」と呼ばれた町の親分でした。その重蔵の長男の幼名が海老蔵。名付け親も唐犬十右衛門という侠客でした。

 この初代團十郎が,芝居に入って役者になった時は,体を真っ赤に塗って,今でいうスーパーマンの役で,超人的な力で敵をとりひしぐという役柄で一躍ヒーローになりました。この芸が「荒事」と称して,市川家にずっと家の芸として続いているわけでございます。

 團十郎は,そういう超人的な力を持った役を務める一方で,成田山新勝寺のお不動さまを篤く信仰しました。團十郎が「身を慎んで精進するから自分を立派な役者にしてくれ」と誓った「願文」が残されております。

 それが高じて,自分が舞台に立って不動明王を演じるという芝居をしました。そうしたら,お客さんから賽銭が一日十貫文飛んできました。「これは成田さんのお陰だ」と,賽銭を成田山に寄進、自らも「成田屋」と名乗りました。士農工商の身分制度のなかで、当時の歌舞伎役者は虐げられた存在です。そのなかで,なんとか自分の地位を上げたいということから屋号をつけたという意味もあったのだと思います。

 当時の歌舞伎役者は,家によって演じる役柄が違っておりました。屋号というのは今で言えば「のれん」と思ってもいいと思います。
 歌舞伎の荒事で出てくる,たくさんの見得はほとんどが仏像のポーズです。腰の入り方とか見得の切り方を見ますと,明らかに運慶とか快慶の形が入っています。そこにも,團十郎の影響,つまり自らが神や仏になるという「カリスマ性」があったわけです。ところが,團十郎は性格も厳しかったのでしょう。元禄17年(1704年)2月,舞台で同僚の役者に刺し殺されてしまいました。

 その息子が17歳で二代目を継ぎました。この人は立派な人で,最後には「役者の氏神」といわれるほどに尊敬されました。「千両役者」という掛け声がありますが,初めて千両をとったのが,この二代目團十郎でした。

 彼は,荒事に加えて、上方の持っている「和事」即ちリアルな芸,柔らかい芸を加えて江戸歌舞伎をよりリアルなものに洗練していきました。

 二代目のカリスマ性のエピソードとして「睨み」というものがございます。ある時,大坂で,團十郎は「熱病に冒されたお嬢さんを助けてくれ」と頼まれました。團十郎は寝ているお嬢さんを起こしまして,不動明王のポーズをとって睨んだそうです。忽ちお嬢さんの病気が治ったということで…,それ以来,團十 郎の「睨み」は名物になりました。

 今でも,海老蔵の襲名披露口上では,必ず「ひとつ睨んでご覧に入れます」と言って客席を睨みます。これは,海老蔵の眼の力によって,お客さんの邪気を払うという、市川家だけに許された行事です。

 26歳の若者に,これだけの重圧,市川家の歴史が覆いかぶさっていくのですが,そのなかで,彼はどういう形で歌舞伎を変えていくのか。私が海老蔵の芝居を見ていて,どの役を見ても,今そこにその登場人物がいる、切ったら血が出るという実在感では,空前絶後の存在だと思います。

 これまでの歌舞伎というのは,どうしても名人芸を正しく継承する「守りの芝居」でした。その芸は素晴らしいものですが,守りは常に古典化と表裏一体にあります。先人の持っていた歴史の呪縛がそこにあったわけでございます。

 幸か不幸か,海老蔵は生まれながらにして市川家の若旦那です。そういったことからは全く自由です。そして彼は歌舞伎の古典と向き合って,役を解釈し,演じ得るという才能を持っていました。

 例えば,彼が演じた「勧進帳」の弁慶は,芝居のもっている緊張感と本質を掴んだ見事なものでした。また「助六」では,粋で伊達で格好のよい助六ではなく,古い権威をたたき潰すという傍若無人な,からっとした反骨精神をもった助六を,海老蔵は,私に初めて分からせてくれました。

 彼は奇をてらった演出法をとったわけではありません。正攻法で,原作を忠実に読めばちゃんと分かる話なのです。それを今までは「誰々がこうしてきたから」とか,「これは誰々さんの型だよ」とか,型だけを教えてきたということがございました。しかし,海老蔵はそれらを越えて役柄の性根をびしっと掴まえたわけでございます。

 彼の出現によって歌舞伎は変わっていきます。歌舞伎は一部の人たちのものではなく,真の現代人の演劇になっていくだろうという予感が私にはしております。彼は,弁慶の一方で光源氏も切られ与三など「和事」もできます。

 それは考えてみますと,二代目團十郎が,荒事に和事を加えたというところにつながります。実は市川家は途中で初代からの血統が絶えています。二代目團十郎と海老蔵には血縁はありませんが,不思議な暗合で,300年の時を経て,市川家の精神が海老蔵のなかに宿っていることは,歌舞伎の世界で,芸名・家の名に培った芸の力・DNAというべきかもしれません。

 團十郎の「團」という字は「国を専らにする」という意味です。つまり歌舞伎という国の盟主。海老蔵は,これからその王道に向けて「茨の道を歩む」わけですけれども,必ずや歌舞伎の新世紀を担ってくれる異才であると、私は確信しております。