卓話


高校野球と学校教育

2010年11月24日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

財団法人日本高等学校野球連盟 会長
早稲田大学 名誉顧問
奥島孝康氏
 

 ジャン・モリスという人が『帝国の落日』という本で「イギリスが,ローマ帝国を凌ぐ大帝国をつくれたのは何故か。また,どうして今日のようなイギリスになってしまったのか」について述べています。

 私は,この本を読んで「イギリスが七つの海を支配し,日の没することのない国といわれるような立派な国がつくれたのは,その根本に教育がある」と感じました。

 「Si vis pacem, para bellum(平和を欲するのであれば戦いに備えよ)」というローマの格言があります。私はこの言葉がたいへん好きであります。イェーリングの『権利のための闘争』で述べられた有名な一節「法の目的は平和であり,それに達する手段は闘争である」との言葉は,実は,この格言から出た言葉なのです。

 こういう思いを持ったからこそ,ローマは一千年帝国を築くことができたのです。
 このことを,モンテスキューが『ローマ盛衰原因論』で,「ローマ人にとって,戦争は省察のときであり,平和は訓練のときであった」と論じています。

 「富裕なカルタゴが貧乏なローマに挑戦した時は,最初からカルタゴが不利であった」とも述べています。「金銭は枯渇するけれども,気力や勇気という精神は枯渇することを知らないからだ」というわけです。

 『スポーツ』は,イギリスの議会政治800年のなかで創り上げられたものです。では何故,イギリスで,民主主義といわれる思想とスポーツが生まれたかを考えてみましょう。

 民主主義が単なる多数決だとすれば,それは愚衆政治に通じます。本当の民主主義が成立するのに,どういう条件が必要か。それは「Noblesse oblige」の精神です。

 貴族たるものは,一般の人たちよりはるかに重い義務を負う。戦時においては第一線に立ち,平時においては,最もボランティア活動に励む。これが,イギリスで一般的に言われている「Noblesse oblige」です。

 自分の利益よりも他の利益を重視する,そういう精神を持った人たちがイギリスの議会政治を支えて民主主義を創り上げたのです。つまり,公共の精神を持った人の集まりでないと,本来の民主主義は成立しないのです。

 同じように,スポーツが好まれる理由はフェアプレーです。フェアプレーは,個人の利益や勝敗を優先するプレーではなく,「自分たちが,どうあるべきか」を考えたプレーです。だからドラマ性があるのです。

 この点が「スポーツ科学」につながります。スポーツは「作為がなくて,しかも,人の心を打つようなものを創りあげることができる重要な要素」を持っています。

 ここで,世の中のリーダーが,どのようにして作られるかを考えてみてください。
 前述の『帝国の落日』は「イギリスがあれだけの大英帝国をつくったのは,祖国や公共心に対する熱い心を持った若者たちが居たからだ。その若者たちはパプリックスクールの出身者たちだった。つまり,パプリックスクールの教育の成功が,大英帝国の建設の礎になった」と説いています。
 
 国家に必要なリーダーはどういうリーダーか,という命題とのかかわりで,私はスポーツに関わる取り組みを始めました。

 私が,高野連やボーイスカウトの他に,富士山クラブとか自然体験活動推進協議会とか,全国大学体育連合とか,スポーツ関係の役職をお受けしているのは,私の「スポーツに対する思い」がリーダー養成にあるためです。

 そこで,「高野連」の話です。ひと頃,大変な騒ぎがありました。野球部に入るために入学する特待生問題です。

 特待生問題の本質は,無条件入学,無条件進級,無条件卒業です。私は,そんな形で,勉強もしない,高校生でもないものに高校野球に参加する資格があるかを問うたのです。

 高野連には野球憲章があります。過去の関係者たちが見識をもって,野球を「教育」の一環として位置づけた野球憲章を作りあげたのです。これを無視した一部の高校の「特待生問題」が生じました。

 世界の高校生の様子を見てみましょう。まずはアメリカです。アメリカの大学の運動部の運営費は,アメフトの入場料で賄われていました。アメリカの大きな大学には,どこでも神宮球場クラスのグラウンドをもっています。それらは,全部アメフトの競技施設です。大勢の観客を集めて高額の収入を得ていました。大学のアメフト選手は大変な名声も得ます。そういう状態に対して,プロのアメフトの選手が文句をつけました。

 「大学のアメフト選手も我々プロの選手と同じではないか。勉強をしているわけでもない。それでいて,大学だけでリーグを作って稼いでいるのは,おかしい」というものでした。そして「大学リーグも我々プロのリーグと一緒になってプレーをすべきだ」と提案しました。

 大学側はNCAA(National Collegiate Athletic Association)という団体を作って,「その学年に応じた学力を持たない者は出場資格がない」というルールを作りました。トップアスリートでも例外ではありません。

 要するに,やるべきことをきちんとやった人間がちゃんとしたことをやるから値打ちがある,というわけです。そのルールが高校へも及んでいます。

 私は,早稲田大学でも,それを実行させました。最近の学生は勉強もしっかり頑張っている。そのうえで,スポーツ各部も強くなってきたと考えています。

 日本の高校野球は「野球は教育の一環である」という明快な位置づけのもとにやっています。だから,勉強をしなくてもよいというような制度は認めるわけにはいかないという強い姿勢で取り組んでいます。

 一部の高校に優秀な選手を集めてしまうというのが,韓国の例です。
 韓国では,1972年に体育特技生制度が作られました。韓国の国威を発揚するためにはスポーツを強くするのが近道であるとの考えで当時の朴大統領が作られた制度です。これはある意味卓見です。

 その結果,どの大学でも体育の優れた学生を入学させる一定の枠を設けました。
 韓国には,約2,200の高校があります。その中で野球をやっている高校は52校です。高校の体育部活動で一番多いのはサッカーで約80校,3番目はテコンドーで約30校です。野球は2番目になります。

 日本の高校野球は,約5,200校のうち硬式野球が約4,100校,軟式野球が約500校。高野連加入数は約4,600校です。軟式野球は日本だけが行っている固有の文化ともいうべきものですから大事にしたいものです。

 日本では,高校生の50%近くはスポーツをやっていますが,韓国では,中高大を合計しても1%です。しかし,国家が徹底的に指導するので韓国は強いのです。この人たちはプロを目指します。それ以外に道はありません。ですから,スポーツをやる人は多くないのです。

 私たちが考えねばならぬことは,韓国のような道を選ぶのか,アメリカのような道を選ぶのか,ということです。

 スポーツは生涯教育であり,大事なものを持っています。パブリックスクールでは,午前中は勉強して午後はスポーツに励む。つまり知性と野性,文武両道を備えている人間を養成します。このような訓練を受けたエリートが世の中でリーダーシップをとるのです。

 そうした教育が,戦後の日本にはなくなりました。私は,そういうことでよいのかを,いつも,大学でも問い続けています。

 私は高野連の方針は正しいと信じております。日本のスポーツの有識者もよく考えてほしいと思います。高校生はまず高校生らしくちゃんと勉強し,そのうえでスポーツに精進するのが肝要です。

 サッカーのJリーグは,よい指導者を育てるために相当な努力をしています。よい指導者がいれば,よい選手が育ちます。そうすれば,単にサッカーが盛んになるだけではなく,サッカーの質がよくなります。

 よい指導者とよい選手の関係は,かくの如しですが,これは相撲にも当てはまります。

 相撲で何が問題かというと,指導者が問題です。相撲の世界では巡業は大事です。巡業では手配師に接触せざるを得ません。賭博に関わる機会も増えます。

 今回の野球賭博の問題では,相撲協会は,全力士から「今までに関わった賭博全般についてのアンケート」を取りました。ほとんど全員から,関係ありの回答が来ました。麻雀,花札まで含んでいますから当然です。新聞もさかんに書き立てました。賭博がいけないことは分かっていますが,普通なら問題にならないことまで大騒ぎになりました。力士たちが自尊心を痛めつけられるのは当然です。

 部屋の親方もこのような時の対策は不得手です。賭博をやめさせることは比較的簡単ですが、そのバックグラウンドである相撲部屋の体質や力士の生活を改善することは大変です。協会も未来を見据えた経営を考える必要があります。その基本は人間教育です。相撲の改善も,学生スポーツと同じく,教育の観点から考えるべきだと思っています。