卓話


美神に愛されて 

2009年5月27日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

画家
田村 能里子氏 

 『風河燦燦 三三自在』は私の50番目の作品です。この作品は京都嵐山の天龍寺の塔頭宝厳院本堂が350年ぶりに建立されるにあたって, 58枚60メートルの襖絵の制作として依頼されました。

 私は本来,油絵の絵かきです。まさか,襖絵を描くようなお仕事,それも,日本の伝統を代表するお寺の襖絵を手がけるとは思ってもみませんでした。

「どうして,貴方にこの仕事の依頼がきたのか」というお尋ねがよくあります。

 実は,1988年に文化庁在外研究員として北京の中央美術学院に留学したとき,西安市に日中合弁で建てられたホテル「唐華賓館」のメインロビーに全長60メートルの壁画を描きました。これが私の第1作『二都花宴図』なのです。たまたま,中国を旅行して西安に立ち寄り唐華賓館に宿泊されたお坊様の団体の方々がこの作品を見てくださいました。「だれの作品だろう。中国人だろう…」「いや日本人の作品だそうだ」と話がはずんだそうです。

 その時に,その中の宝厳院の和尚様が,「いつかは自分たちのお寺にも,この人に絵を描いてもらおう」と思ってくださったようなのです。20年前の話でした。

 お寺の建立はそう簡単にできるものではありませんが,それから15年を経て,ちょうど私は45作目の作品に取り掛かっている頃。和尚さんがわが家をお訪ねになりました。

 「日本の伝統では,女性はお寺の中での仕事はしないものなのだ。まして貴方は油絵の画家だ。どうしたものかと思ったが,…しかし,これからの代表的なよい形の禅寺を残していきたいので,宝厳院本堂の襖絵の制作に手を貸してくれないか」とのご依頼です。

私はその熱意にお応えして,それからの2年を渋谷のアトリエで制作に没頭しました。

 60メートルのキャンバスが簡単に立つようなアトリエではありません。普通のアパートを改造したアトリエです。2メートル程の高さの物を立てると,壁面の冷暖房の器具が障害物になりますので,それらの器具はすべて取り払いました。寒い時は,手がしびれて筆がぽとりと落ちるようなこともありました。時々は,沸かしたお湯で手を温めたりしながら制作した絵は裏表を描いて58枚でした。この作品が私のちょうど50作目になりました。

 この作品は,2008年「大本山天龍寺塔頭宝厳院本堂再建襖絵完成記念『田村能里子展』」として東京・名古屋・大阪で開催し,皆様にご覧いただきました。

 宝厳院本堂の襖絵ではアクリル絵の具を使いました。この絵の具は速乾性ですから仕事が早く進みます。唐華賓館の『二都花宴図』60mを描くのに1年半かかりましたが,今回は2年ほどですみました。

 伝統的な手法での襖絵は和紙に描きます。私はせっかく油絵の絵かきが描くのだからと,麻の布のキャンバスを使いました。そのキヤンバスにアクリル絵の具で描きます。アクリルは水に溶かして使うので,油彩とは違う,岩絵の具や墨に近いところがあります。

 筆はローラーです。実はローラーは壁画のマチエール(絵肌)をつくるのに編み出した私の手法なのです。ただしローラーだけでは絵はできません。細い面相筆や普通の太さの筆も使わないと線描が描けません。

 素描といっていますが,それは線描です。私の絵は時々,日本画のようだといわれるのですが,実は素描(線描)をとても大事にしているからなのです。

油絵は,本来,面と面で構成されますが,たっぷりと水を含ませて,軽やかに描いていく線描の手法は,手先の器用な東洋人にしかできない技といわれています。

描いたのは,雄大な自然の山河と,全体にながれる風紋。燦々と輝く太陽と月。黄漠と群青の空。鳥たちと三十三体の木綿の生成りに包まれた人形(ひとがた)。それだけです。

 人物の顔や形は,特定の人のイメージや説話・物語を描いたものではありません。人以外のものは箱なのか,花なのか,見る方の心の中に映し出されます。

 女性や老人子供たちはさまざまなポーズをしていますが,観音様が変化したお姿と感じていただいてもいいし,身近な人の面影を探して話しかけてもらってもいいと思います。時間や空間を越えて,国や時代を問わず,絵と向き合う人が想像力や感性を働かせて,自由に,自在に,解き放たれた心で語り合っていただくことができるように,三十三体はポーズの骨格がしっかりしていて,手足が何をしようとしているかが見てとれるように,しっかりと描きました。

 基調色の赤は襖絵として,あまり例がないかもしれません。私にとって嵐山という大自然に包まれた本堂の中は,自然界の体内のようなものを感じ,命が宿り燃えている色,赤以外の色は思い浮かびませんでした。

 襖絵はあくまで寺院のしつらえとして,寺院を荘厳にするものですから,そこを大きく踏み外さないようにしたことは言うまでもありません。

 別の話題になりますが,豪華客船「飛鳥」にも3000号(11.5m×9.1m)という大きな壁画を描きました。世界でたった一つの壁画『季の奏』という作品です。今は地中海で青い目をした人達を楽しませていると思います。私も会いたいときは,地中海に足を運んで観ることにしています。

 「飛鳥」の壁画を描いたのは,1991年。長崎の造船所でした。現場ではゴンドラに乗って絵を描きました。3000号の壁画を描くゴンドラは2基。ビルの窓拭きをするお兄さんを想像してください。腰には天井から命綱が着いていました。

 名古屋にある古河美術館で天井画をお受けした時は,制作中の様子を公開でやってもらいたいというのが依頼の条件でした。

 1カ月半の間,朝から晩まで人に見られるパンダのような心境での仕事でした。日本では壁画がポピュラーなものになっていません。めずらしいので,たくさんの人達がやって来ます。来館する人達の会話が私の耳にも入ってきます。毎日熱心に見に来る人。私に問いかける人もいます。長時間じっと見ている人。いろいろな人達の中で楽しく仕事をさせていただきました。今は「古河美術館に行けば田村さんの部屋がある…赤い部屋がある」「田村レッド」の部屋があると,多くの人々に愛され親しまれています。

 青梅の慶友病院に,『春秋遊々』と題した2m×13mの壁画があります。2001年の作品です。外に,なかなか出られない車椅子の方々のために描いた壁画です。

 港区の北里研究所病院の吹き抜けの2階に,4m×7mの『萌ゆるとき』があります。1999年に制作したものです。

 来年早々には渋谷区広尾の日赤病院のロビーに4点の壁画がお目見えします。

 これらの壁画に描いている人物は,おおむね等身大です。人物を描く時,私の絵には下絵がありません。その代わりに普段ためこんだデッサンがあります。

 宝厳院本堂の襖絵では,引き手の箇所もデザインしました。動物が5種類描かれています。是非実物でご覧になってください。宝巌院は毎年,春と秋に一般公開されます。

 私は,69年から73年までインド,86年に中国,95年から98年までバンコクに住みました。「壁画」の仕事を,日本でも世界でも,誰もしていない程たくさんさせていただきました。約20年,いろいろな方々との交流を含めて楽しく仕事を進めました。その壁画が,皆様のお役にたっていることを実感しています。

 展覧会で異口同音に伺うのは,「心が和む」という言葉や「明日からまた元気に働きます」といった感想です。

 私の作品が,このようにして,観る人の心に入りこんで「和ませたり,楽しませたり,喜ばせたり」していることに喜びを感じます。

 壁画は,そこに行けば誰でも観ることができます。誰もが自分の物だと思って話しかけることもできます。

 壁画に話しかけると,壁画は何かしら応えてくれます。私は,壁画は永遠の心のセラピーではないかなと思います。

 これからも,まだまだ仕事を続けたいと思います。最近,私は絵のことを「わが子」と呼んでいます。最近の我が子に『美神のざわめき』という作品があります。この作品は今年の10月15日(木)から11月6日(金)まで東京・銀座の和光ギャラリーで,壁画として収める前に,展覧会でご披露したいと思っています。是非ご覧になってください。

 また,ホームページ,「http://tamuranoriko.yukigesho.com」には,いままでの壁画の情報やこれからの予定などを掲載していますので,一度ご覧になってください。