卓話


縁に生きる

2013年9月25日(水)

公益財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館
理事長 安岡正泰氏

 私の父、安岡正篤(まさひろ)は戦前戦後の思想家として政財界に色々なかたちで関与してきましたが、その父親から私がいつも言われて育ってきたのが「縁を大事にしなさい」ということでした。人間、生まれて最初の縁は両親ということになるわけですが、縁は両親だけでなく全ての人々との縁がある、その縁を大切にして生きていかなければいけないと、言われ続けて育ってきたような気がしています。

 これまでに読んだ中で縁について一番的確に言い表しているのが、聖徳太子の言葉であるような気がします。聖徳太子は574年から622年まで生きた飛鳥時代の政治家で、大変立派な人物です。

 聖徳太子といえば仏教の興隆や冠位十二階などが知られていますが、中でも最大の功績は初めて十七条の憲法をつくったことだと言われています。その第一条に「和を以て貴しと為す」とあり、いわゆる和というものが一番大事であると書かれています。そして最後の十七条には「国家の大事においては衆意を尽くすべき」とあり、現代にも相通じる言葉をこの時代に残しているのです。

 当時は蘇我氏であるとか物部氏であるとか、そういう豪族の争いが非常に激しい時代でありました。そうした中で十七条の憲法を制定し、国を安定させようした聖徳太子は大変非凡な人物であると同時に、日本の国を初めて国らしい国にした人物であると言えるのではないでしょうか。

 その聖徳太子が残した言葉に「縁について」という一節がありますので、それをここで取り上げてみたいと思います。

 「或は一国に生まれ、或は一郡に住み、或は一県に処(お)り、或は一村に処り、一樹の下に宿り、一河の流れを汲み、一夜の同宿、一日の夫婦、一所の聴聞、暫時の同道、半時の戯笑(げしょう)、一言の会釈、一座の飲酒(おんしゅ)、同杯同時、一時の同車、同畳同坐、同床一臥(どうしょういちが)、軽重異なるあるも、親疎(しんそ)別あるも、皆是(こ)れ先世(せんぜ)の結縁(けちえん)なり」

 内容はそれほど難しい言葉ではないと思いますので、簡単にお話をさせていただきますと、いずれにしてもこの世に生を享け長ずるにしたがって、色々な方と色々なかたちで縁を結んでいく。そうした縁はやはり善縁でなければいけない、つまり悪縁では駄目であると、そういったところの見極めが非常に大事ではないかと思います。

 この聖徳太子の言葉の結びには、「皆是れ先世の結縁なり」とあります。仏教では「けつえん」ではなく「けちえん」と読ませるようですが、こういう教えを、つまり常に縁を大事にして生きろということを私は父親からずっと言われてきました。

 父は、ある意味で漢学者であったわけですが、ただし何々博士であるとか、あるいは何々教授であるとか、そういった肩書というものは一切ありませんでした。ですから私たち兄妹に対しても、まずは縁を大切にしろ、そうした縁の中で自分なりに生きていかなければいけない、いたずらに利己的な肩書を求めるものではないと言っておりました。

 例えば学歴なんかはあろうとなかろうと、それより真人間になれ、人間として正直に生きろ、それでいいのだと言われて育ってきました。そんなわけで私の兄妹4人は、結局別々の道に進むことになりました。もう亡くなりましたが兄は当時の大蔵省に入っていましたし、姉は動物学者と結婚、妹は物理学者と一緒になりました。私はというと民間企業に入社、まさしく4人それぞれの道を歩んできたわけです。

 私は父親から叱られたことが一度もありませんでした。これは兄妹4人とも一致するところで、「家の中でお父さんの怒った顔はついぞ見たことがない、本当に優しい人だった」とよく話したものです。したがって父親は子どもに何かを押し付けるのではなく、子どもらの自主性を尊重し、その中で縁の大切さというものを伝えようとしたのではないかと今では思っております。

 さて、次に取り上げたいのが「縁(えん)尋機(じんき)妙(みょう)、多逢(たほう)聖因(しょういん)」という言葉です。これは仏典から出ている言葉ですが、縁を訪ねる、つまり今まで培われてきた縁を訪ねていくと、そこで誠に妙(たえ)な、不思議なものに巡りあうということです。縁を大事に育てていくと普段から善い人物に出会える、あるいは充実した本を読むことができるだろう。色々な意味で良い結果が得られる、いわゆる聖因(しょういん)をもたらすという意味の言葉です。

 ここで話がちょっと逸れますが、冒頭、私の略歴紹介の方から、父の終戦の詔勅や平成の元号の話も出ましたので、少しばかり触れておきたいと思います。まず終戦のご詔勅ですが、父が原文に対する修正を頼まれて、大きくは2カ所、朱を入れたそうです。「時運のおもむく所、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、もって万世の為に太平をひらかんと欲す」というくだりで、父は「時運のおもむく所」を「義命の存する所」に変えようとしました。

 しかし義命は難しいという理由で認められず原文のまま、そして後半の「もって万世の為に太平をひらかんと欲す」は父の修正案が使われました。しかし「時運」では時の流れに身を任すようでよろしくない、中国の古典から採った「義命」の方がよほど時勢に適っていたと、父は後々までも残念がっていたようです。

 もう一つ「平成」の元号ですが、この言葉の発案者を内閣は一切発表しておりません。したがって本来はお話できませんが、今では父の提案であることがほぼ浸透しておりますので、少し触れさせていただきます。平成という言葉の出所について新聞記者さんたちが真相を探ろうと、私たち兄妹に取材攻勢をお掛けになった時期がありました。しかしその時、父はすでに亡くなっていましたし、私たちは全く知らないと言い続けて事実その通りでした。ただ後々になって政治家が集まるパーティーに出席する機会があり、その時、当時の竹下首相から「平成はお父上の発案ですよ」と耳元で言われましたので、まあ間違いないだろうという気がしております。

 ところで先ほど聖徳太子の「先世の結縁なり」という言葉がありましたが、そこで次はご先祖様との関係についてお話をさせていただきたいと思います。祖先との縁は私の家系だけでなく、もちろん皆様方すべての家系について言えるわけですが、ここでは私の立場を例に考えてみたいと思います。

 私から見て上2代、下2代の時代を眺めてみますと、父方の祖父というのは私が2歳の時に亡くなっていますが、生まれたのは嘉永6年でした。その嘉永6年、1853年がどんな時代かと申しますと、皆様はNHK大河ドラマ「八重の桜」でもよくご存知だと思いますが、黒船が浦賀に来た年です。そして嘉永から安政に変わり、吉田松陰らが安政の大獄で処刑されるといった、そんな時代に父方の祖父は生まれているわけです。

 一方、母方の祖父は明治9年生まれで、西暦1876年というこの年は西郷隆盛がまだ生きていました。西郷は翌年の明治10年に西南戦争で亡くなりますが、母方の祖父が生まれたのはそういう時代でした。

 一方で私の孫は平成生まれですから、そうなりますと私の祖父から孫までは江戸、明治、大正、昭和、平成と5代の元号に及ぶわけです。これは何も私ばかりでなく、皆様方も上下2代をたどれば、そういう家系の方が結構いらっしゃると思います。いずれにしても安岡家の先祖は、そうした激動の時代を一生懸命生きてきたわけで、今日の子孫に受け継がれている縁というものを改めて強く感じる次第です。

 ところで、もし明治維新が成功していなかったら、果たして日本はどうなっていたでしょうか。国土は列強各国に分割支配され、今の日本とはまったく異なる国になっていたかもしれません。しかし幕末の志士たちの活躍が新しい国づくりを成功させ、その立役者の多くが薩摩、長州、土佐などの若い田舎侍であったことも注目されます。彼らが進取の気性と質実剛健の精神にあふれた青年たちであったことは想像に難くありません。

 そういう時代に祖父達が生き抜いてきたことを考え、理解することは、子どもや孫にとって大変な財産になるはずです。したがって今度は私たちが、自分の子どもや孫たちに先祖の逞しい生き方というものを、確実に伝えておく必要があるのではないかと思います。

 家系の歴史を通して、日本の本当の歴史というものを学んでもらう。変に偏った歴史ではなく、真正の日本の歴史というものをしっかり身につけるべきでしょう。そしてこれからは国際化がますます顕著になっていくわけですから、国際人としての見識を備え、日本人の精神を持った国際人として世界に羽ばたいていく、そんな子どもや孫になってほしいし、また親としてはそういう育て方をしなければいけません。

 今日は話が本題から外れてしまったところがあり、またある意味ではちょっと一代記のようにもなってしまいましたが、とにかく縁というものを色々なかたちで結んでいただきたい。このロータリークラブも参加することによって様々な縁が結ばれ、それがまた次の段階に発展していく、そうしたことを常に心掛けていくことが大切ではないかと考えています。

         ※2013年9月25日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。