卓話


イニシエイションスピーチ

2010年1月27日(水)の例会の卓話です。

殿村洋司君

カステラのルーツについて

衒〆讐
代表取締役社長 殿村洋司君

 カステラは、16世紀の中頃に、ポルトガルの宣教師達によって、日本にもたらされたお菓子です。そのルーツといえるお菓子は、まずスペインから生まれました。砂糖は、13世紀には、すでにスペインで生産されていましたが、「アルフォンソ11世の年代記」というスペインの14世紀の文献に「ビスコチョ」という、カステラのルーツとされるお菓子が初めて登場します。「ビス」は二度、「コチョ」は料理するで、二度焼くことを意味し、乾パンのような食物でした。長期保存が出来たので、16世紀のマゼランの世界一周の船にも積み込まれていたといわれます。

 1747年発行のスペインのフワン・デ・ラ・マタという料理人が書いた料理書の「デザートの作り方」に初めて、卵の白身の泡立てが出てきます。白身がメレンゲ状になるまで撹拌する技術が確立された18世紀の半ば頃から、柔らかい「ビスコチョ」が出来るようになりました。また、「ビスコチョ」は、ビスケットの原型とも言われています。この「ビスコチョ」は、イベリア半島中央部に位置する、高原地帯の「カスティーリャ王国」が故郷で、近代スペイン成立の基礎となった国です。

 さて、カステラのもう一つの故郷がポルトガルです。ポルトガルは1143年に、カスティーリャ王国から分離独立して、ポルトガル王国を建国していました。スペインのビスコチョと並び、カステラのルーツとされるのが、「パン・デ・ロー」です。これは現在もポルトガルを代表するお菓子で、マドレーヌのようなものです。名前の由来は、「ロ」の「パン」ということで、「ロ」は当時中国より輸入していた、粗く織った織物の絽のポルトガル語つづりで、絹織物の絽をあらわし、この薄い布地の透けた感じに、お菓子のふわふわした焼き上がりが似ているからと言われています。「パン・デ・ロー」が最初に登場する本は、16世紀に書かれた「王女ドナ・マリアの料理書」です。

 この様にカステラは、スペインのビスコチョとして生まれ、次第にポルトガルに伝わり発展していったお菓子だと言えます。「カステラ」の名前の由来ですが、「カスティーリャ」の事をポルトガル語で「カステラ」と発音するので、ポルトガル人から日本人に伝えられた時に「カステラ王国のお菓子」と伝わり語源となりました。

 次に、カステラの日本への伝来ですが、ポルトガル人の種子島上陸が1543年、フランシスコ・ザビエルが鹿児島を訪れたのが1549年、カステラは、鉄砲の伝来やキリスト教の布教と共に、もたらされました。長崎では1569年にイエズス会による教会も建設され、布教活動が始まり、翌年には貿易港として開港されました。カステラの製法も金平糖やボーロなどの南蛮菓子とともに、はるばる長崎へともたらされました。しかし、1587年の豊臣秀吉によるバテレン追放令の布告の後、ポルトガル貿易が1639年に廃止され、以後幕末安政の開国まで280年間、出島でオランダ貿易がおこなわれました。よく、カステラの故郷がオランダと間違えられるのは、この長崎の出島で行われていた、オランダ貿易の為かと思われます。

 以上の様にカステラのルーツについてお話させて頂きましたが、カステラはスペイン、ポルトガルを生まれ故郷としながら,遠い日本で、永い永い年月の間に日本独特のカステラになりました。防腐剤等を使用した大量生産、大量消費が主流の昨今ですが、卵、砂糖、小麦粉、水飴という、シンプルな4つのみの素材で出来ているカステラは、最近見直されつつあります。カステラが和菓子を代表するものの一つとして、老若男女に愛され、皆様に評価して頂ける様に、今後も製法に拘り、伝統の味を守り続けたいと思っております。