卓話


救急医療の現状と問題点,そして今後

2009年9月30日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

埼玉医科大学総合医療センター
高度救命救急センター センター長
教授 堤 晴彦氏

1.高度救命救急センターの活動
 救命救急医療の特徴は、1)時間との戦いであり、2)診断と治療が同時に行われることであり、そして、3)チーム医療です。チーム医療では、救急隊と医療機関の連携も重要です。私が大学を卒業した70年代以前は,救急医療は、各科の医師が日常診療の片手間で行われていました。これでは,「助かる命」も助かりません。それで、救急医療を専門に行う組織・システムを作るというプロジェクトを夢に、これまで頑張ってきました。
その結果、私の勤務している高度救命救急センター・ER(救急)科は,多くの医師、看護師、コメディカルのもと、68床のベッド数を有し、ドクターヘリも配備され、北関東最大規模のセンターの1つとなるまで発展してきております。
 私がこのセンターに赴任したのは平成7年でした。その前年,平成6年の年間救急患者の数は約1万人でしたが、「断らない救急医療」を目指して運営してきた結果,平成16年には4万6千人に達しました。組織は順調に発展してきたところです。
たとえば、埼玉県の交通事故死亡者数は,平成15年には 369名,全国のワースト2という数字でしたが,平成19年には年間250人を下回るところまで減少しております。さらには、災害医療にも力を入れてきました。新潟中越地震など国内にだけでなく、海外においても、アルジェリアの地震、あるいは、イランの地震(死者3万人)にも,JICAの一員として、現地での医療活動に従事しました。救急医療にかけた私の夢は、順調に実現しつつありました。
2.救急医療の崩壊
 ところが、「突然の医療崩壊」です。忙しい病院から医者が疲れて去って行くという現象が,特に救急医療の分野で顕著になりました。
平成19年3月20日の読売新聞によると,全国で 432の病院が救急指定を返上しております。救急病院が少なくなると受け入れがさらに難しくなります。平成18年8月,奈良県で「18病院に拒まれ妊婦が死亡する」事件が起き、平成19年12月には大阪府で「89歳の女性が29の病院に断られて死亡」、さらには、東京の真ん中でも「妊婦のたらい回し」事件が起こり都民は衝撃を受けました。 マスコミはたらい回しの現状を見て,医療機関を責めますが,事はそんなに単純な問題ではありません。
3.救急医療崩壊の原因
救急医療崩壊の原因としては,1)医療費の抑制 2)医療従事者の待遇・労働環境の悪化 3)医事紛争・クレームの増加、が挙げられます。
 これまで、救急医療の現状をいろいろな学会やマスコミにも真剣に訴えてきましたが,国も国民も,その実態に気づいてくれません。そのような時,「ジェネラル・ルージュの凱旋」という映画の医療監修をしないかという話が私のところあり、思わず、引き受けてしまいました。映画は、何十万人の人が観ますから,救急医療の現状を多くの人に理解してもらえると思ったからです。
 この映画は病院を舞台にしたミステリーですが,堺雅人演じる救命救急センター長にかけられた収賄疑惑をめぐる物語のなかに,センター長のすさまじい奮闘ぶりとともに、救急医療の現実がリアルに描かれており、その問題点が的確に示されております。 
 この映画は、今年の3月7日に公開されましたが、5月1日に、埼玉テレビがニュースの特集としてその内容を取り上げてくれました。救急医療に取り組めば赤字が累積する現実を具体例で紹介し、アナウンサーは「堤教授が伝えたいことは救急医療の現場で働く者が直面している問題であり」「医師不足、訴訟の不安、医療費の抑制による経営難は,近年,社会問題となっている医療崩壊の原因になっている」と解説、番組は、「最前線で働く人達が希望をもって働けるようなバックアップが求められています」というアナウンサーの言葉で締めくくられておりました。
ある救命救急センターの医師の当直回数を調べてみたことがあります。大体,毎月12回から14回です。それだけ働いていて、何かあったら訴訟です。これでは、現場の医師の士気が低下するのは、当然でしょう。
福島県では、帝王切開で妊婦が出血多量で死亡し,その担当医師が逮捕されるという衝撃的な事件が起きました。この病院の産婦人科の常勤は一人。一人で年間200件のお産を扱っていました。一生懸命地域を支えていた医師が、突然、逮捕されたのです。我々医療の現場の認識と警察・検察の認識、あるいは、マスコミの認識には非常に大きな隔たりがあります。
4.救急医療システムの再構築
  今後の医療体制を考えてみましょう。
アメリカでの医療制度の選択は「Cost ,Access ,Quality, Pick up any two.」というものです。「安い医療費で,何時でも何処でも,質の高い医療を受ける、これは無理だ。だから,医療費を上げるか,アクセスを制限するか,医療の質を落とすか,三つのうちの二つを選べ」と国民にアピールしているのです。
かつて,ヒラリー・クリントンが日本の医療を視察するため来日した時,「日本の医療は,医師の聖職者さながらの自己犠牲によって支えられている」という有名な言葉を残して帰っていきました。アメリカでは実現不可能と思ったことでしょう。
今の日本の救急医療の崩壊に対して,国の委員会・検討会やマスコミの論調はどうなっているでしょう。「医師の使命感の欠如」や「社会常識の欠如」などを指摘したり,「地方への強制配置」を提言したりしています。しかしながら、人間の行動原理を無視しては,解決するわけがありません。人は、「快・不快」「損得」で動くものです。医療従事者に「心地よい」と思わせるもの、「魅力」を提供しなければ人は動きません。
国の医療政策に対して不満を言う医療従事者も多くおりますが、国ばかりに任せていても解決できません。都道府県レベル、地域レベル、病院レベルでの努力も必要です。
埼玉県医療対策協議会は「県知事が、県民に向かって緊急記者会を開き,直接県民に対して、救急医療の現状とお願いを訴えること」,さらには、「限りある医療資源を有効に活かすために,救急医療機関受診のルールとマナーを教育すること」などを提言しています。また、県の財源不足に対しては、救急医療特定税(県税)を新設することも提言しております。県民一人が月100円を負担すれば,埼玉県の人口は700万ですから年間84億の財源が生まれます。これをすべて,救急医療に投入するのです。そうすれば,この危機を乗り切れる可能性があります。
5.救急医療体制の今後
今後の救急医療体制は,「集約か分散か」の選択はなく,「集約するものは集約する,分散するものは分散する」ことを考える必要があります。
集約の一つの方法として,重症患者に対するドクターヘリがあります。ドクターヘリは、当院から15分で埼玉県全域をカバーできます。片道20分とすれば関東一円を網羅します。医療崩壊が起きている地域においては,その地域の重症患者をヘリで搬送する、これが現時点で一番速効性のある方法であると考えています。
ドクターヘリは“高い”と言う人がいます。実際その運営費は年間1億5千万円ですが(国と県が2分の1づつ負担する補助金)、埼玉県の場合,700万の県民が1人月1円を負担すれば導入可能なのです。同じ県民の命を守るという使い道を明瞭にすれば、県民は負担に応じてくれると信じています。
「断らない医療」を目指してきて,救急患者数の推移が平成16年には4万6千人になったことを冒頭にお話ししました。このままいくと6万〜7万に増えるのは明らかです。このままでは、当院もいずれ破綻します。「分散するものは分散する」対策が必要です。
 現在、全国的に、仕事などで日中に受診できない軽症患者が夜間や休日に救急外来に押し寄せる「コンビニ化」現象が起きております。そこで,平成19年の秋に,緊急を要さない軽症患者から時間外特別徴収金として自己負担を求める計画を発表したところ、マスコミからずいぶん叩かれました。しかしながら、一方で、全国から問い合わせや激励の電話が多数寄せられています。国会でも取り上げられました。
他力本願ではなく,国,県,地域、病院の各々が、各々のレベルでアイデアを出し合って,この崩壊の危機を乗り越える必要があると思っています。
 ジェネラル・ルージュは凱旋できるでしょうか。