卓話


ストレスマネジメントについて 

2007年12月19日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

慶應義塾大学教授
保健管理センター 教授
精神科医 大野裕氏

 精神疾患や精神障害は,特別な人が罹るものだと思われていますが,実際は,多くの人たちが,精神的な悩みをかかえています。

WHOの研究として,厚生労働省で私たちが,全国の4千人を対象に,お一人2時間〜4時間
の面接調査を行い,結果を研究したデータが,昨年まとまりました。

それによると,うつ病の方が15人に1人。うつ病の他,不安障害やアルコールに依存する状態の人を合わせると,大体,5人に1人は,一度は治療が必要となっています。
調査した人は特殊な人ではなく,ごく一般の人です。ですから,5人に1人というのは,非常に多い数だと思います。

最近の十年,日本での自殺者は,G8の国々の中では,ロシアに次いで2番目に多い,3万という数ですが…。

 今回の調査で,「真剣に死ぬことについて考えたことがありますか」という問いに「はい」と答えた人は10人に1人でした。

自殺企図,つまり「実際に自分を,そのことで傷つけたことがありますか」という問いには50人に1人が「はい」と答えました。これも非常に多い数です。

ところが,実際に医療機関に行って,相談した人の数は,全体の3分の1です。残りの3分の2の人は「なんか調子がへんだ」と思いながら,自分ひとりで悩んでいるのです。

変調を感じた時にどう対応するかということが大事ですが,ひとつ頭に置いてほしいことは,「うつとか不安の症状には,それなりの意味がある」と考えることです。

例えば,発熱は細菌に抵抗しようとする体の働きです。ですから,あまり早く,熱を下げる のはよくないとされています。抵抗力が落ちるからです。心の熱,心の痛みも同じです。なんらかの「意味」があるのです。

 人間関係がうまくいかない,仕事がうまくいかない時に落ち込むのは自然なことです。そんな時には,ちょっと立ち止まって考える必要があるのです。そのサインが,うつの状態なのです。
どんな場合でも,ほどほどの緊張(うつや不安)は必要ですが,しかし,それがゆき過ぎると手当が必要になってきます。

その時は自分も,その「意味」を考える。相談を受けた人も一緒に考える。落ち込んでいるのは,どういう「心のメッセージ」なんだろう。不安なのは,何に注意をすればいいのかを考えるのです。

辛いとか不安だとか言って,自分の中に入ってしまうのではなく,前に向かって何ができるかと考えていくことが大事なのです。

「ストレス」は,うつの要因のひとつです。企業では,特に人間関係でのストレスが多いでしょう。

 最近の成果主義では,自分にだけ目が向いて,他の人と一緒に仕事をする場合が少なくなっています。本来,私たちは一人ではありません。ですから,一人でばかりいるとストレスがたまります。

普通,良好な人間関係があるなかで,何か仕事を仕上げた時には,「やった」という感覚が出てきます。それが次ぎに何かをしようという意欲になります。意欲は,何かをすることで生まれます。何もしないで,ただ休んでいては,次のやる気は出てこないことが,最近の脳科学でも分かってきています。

うつの状態やストレスを強く感じている時は気力がわいてきません。頑張ろうとしても,頑張れません。その時には,まず休むことが大切です。周りの人も,ゆっくり休むようにと,声をかけてあげることが必要です。

少し何かができるようになってくれば,少しずつ,やれることを増やしていきます。そこに自信ができますし,さらに一歩進もうという気力がわいてきます。

私たちは,どうしても,辛くなると,一足飛びに,辛い所から逃げ出そうとします。辛い時ほど,ゆっくりしないといけないのに,逆の心理になってしまうわけです。

辛くなった時は,あせらないで,少しずつやる。小さな成功体験を積み重ねて自信をつけていくことが必要です。とても時間のかかることですがあせらないことが大事なのです。
  
 企業でも、個人が自分を守るだけではなく,会社という人間関係の中で,心の健康を考えていくプログラムは,日本の社会では特に必要です。最近では,精神科医やカウンセラーが企業の中でこころの健康支援をする例も増えてきています。しかし、まだまだ充分だとは言えませんし,日本人の特性に合わせた支援のあり方を考える必要があると思います。

個人と組織や地域のバランスが,うまくとれていないことが問題になることがあります。

私は,東北のある地域で十年近く,自治体と一緒に「自殺対策」をやっております。

1万人ほどの小さな町ですが,高齢者の自殺が多いのです。「孤立」が自殺の大きな原因です。物理的に孤立することもあります。公共の交通機関が少なくなり,お年寄りの外出が難しくなります。家の中で,ぽつんと一人で過ごすことになります。

心理的な孤立も進んできます。働かざる者喰うべからずの思想は,私たちには強いものがあります。高齢者は,自分はただ生きているだけ…,自分なんか,いなくてもいいんだという気持ちになりやすいのです。

そういう人たちに集まってもらって,いろんな活動,映画を見たり,物を作ったりしてもらいます。子供たちにも来てもらって,お年寄りと交流することもやりました。

明らかに,自殺は減りました。人との交流の中に,生き甲斐が出てきます。活動することも大事ですが,その場所に居ることに意味があります。会社でも地域でも,貴方が大切なのだというふうに感じてもらえるような社会を作る。自分でも,そうなるように考えていただくことが大事だと思います。

「認知療法」というのがあります。「ものの考え方が気分や行動に影響する,だから,うつや不安は考え方の影響を受けている」ので,それを少し切り替えることで,気持ちを楽にしよう,行動を,積極的にできるようにしようという治療法です。

私たちは,現実をそのまま見ているわけではありません。自分なりの解釈をしながら見ています。

例えば,ある場所で,知り合いに出会った。ちょっと声をかけようとして,声をかけたが,その人は無視して,行ってしまった。

その時,私たちはその状況を自分なりに解釈しようとします。

 あの人は私を何とも思っていないのだ…と思うと悲しくなります。あの人なにか怒っているのかな…と思うと不安になります。ひどい人だ…と思うと怒りがこみあげます。

つまり,現実とは関係なく,自分の考えで気持ちが変わってきます。悲しくなると引きこもります。ますます,その人との距離ができてしまいます。不安になると,その人を避けようとします。そうすると,本当に怒っているのかどうかを確認することはできません。 一歩踏み込んで,自分の考えていることが,本当に現実にそっているのかどうかを確認する作業が必要です。それが,心の健康の為に大事なことです。

本当にそうなんだろうかと考えてみる気持ちが持てるようにするのが,ストレスマネジメントでの大切な手立てになってきます。

人間関係には,距離の関係と力の関係という二つの軸があります。

距離の関係というのは,こちらが近づけば相手も近づくということです。自分がにっこりすれば,相手もほほ笑む。同じ反応です。

力の関係というのは,逆の反応を引き起こします。こちらが強く出ると,相手は弱くなるということです。自分が怒鳴ると相手は謝るばかりです。これは会話にはなりません。ですから自分の力が強い時には,相手の立場になって弱くもなることが必要です。

問題を解決する場合,三つのポイントがあります。一つは問題を具体的に絞り込むことです。いくつかの問題点の中から,目標を具体的に絞って努力することです。

二つ目は,なるべく多くの問題解決の方法を考えることが大切です。これを「数の法則」といいます。方法を考える時に,できるかできないかの判断は後回しにします。それもひとつの解決法です。「判断遅延の法則」といいます。これが三つめのポイントです。

自分の考えに縛られると,もっとよい解決法が目につかなくなります。解決できない時は,気分転換をして,再びトライします。

いろんな可能性を考えて柔軟に対応していくことが大切です。いろんな人と相談することも結構なことです。そういうことができると気持ちが随分楽になると思います。みなさんも,悩んでいる人に,そういう機会を与えてあげてください。