卓話


戦後ドイツの70年−その戦後処理と歴史認識

2015年11月11日(水)

情報通信医学研究所 主幹研究員
元ロータリー財団奨学生 穴山朝子


 今年に入り世界中の注目がドイツに集まっています。今年前半は、ギリシャ債権を巡る問題でドイツはEU内での主導的役割を内外に印象付けました。

 また、9月にはメルケル首相がシリア難民の受け入れを発表し、押し寄せる難民対応でドイツ社会は大揺れに揺れています。国内の極右勢力の動きも活発化し、10年に及ぶメルケル政権は発足以来最大の危機を迎えています。

 ドイツはここ数年、かつてない好景気に恵まれる一方で、不況にあえぐ他のEU諸国からは批判にさらされてきました。今年は、第二次世界大戦が終結してちょうど70周年、また東ドイツが西ドイツと統一して25周年を迎えました。

 1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊したのは、当時のソ連の弱体化、自由化が大きな原因でしたが、東ドイツから西側諸国へ人々が流出し続け、出国の流れを止められなくなったことがきっかけでした。東ドイツの社会主義政権は武力闘争を経ることなく崩壊しました。今、難民を迎え入れるドイツ人達にも、メルケル首相の脳裏にも、25年前の記憶が蘇っていると思います。

 独裁政権にとってその国の住民がいなくなるほどの打撃はありません。かつての東ドイツのように、大きな人口流出が一度始まってしまうとそれを止めることは難しいのです。  日本にとってドイツは、明治維新以来、政治、経済、文化芸術あらゆる面で近代化の模範でした。両国間には150年以上の長い交流の歴史があります。その一方で、膨大な犠牲者を出した二つの世界大戦は、どちらもドイツによって引き起こされたものです。

 1945年5月、アードルフ・ヒトラー率いるナチ党の一党独裁が崩壊し、5月8日にドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の連合国軍に降伏しました。このドイツ降伏をもって、ヨーロッパにおける世界大戦は終結したとされます。その10日前にヒトラーは自殺していました。

 「ナチス」というのは複数形でナチ党員やそのシンパ集団のことを指します。ナチ党は、1933年に選挙によって政権を取り、一党独裁を行いました。この政権が過激な「人種主義」により、初めからドイツ民族によるヨーロッパ征服を目的にして近隣諸国への侵略を始めた「戦争国家」であったことは多くの研究より既に明らかになっています。そしてこの政権が東ヨーロッパ地域にアウシュヴィッツなどの強制収容所を建設し、ユダヤ人など数百万もの人間をガス室で大量に虐殺したことは、ユダヤ教の言葉にちなんで「ホロコースト」と呼ばれます。

 ナチ・ドイツの犠牲者の内訳は、ユダヤ人が600万人、ジプシーと呼ばれるシンティ族・ロマ族が20万人、ドイツ人で障害を持つ人々等が約7万人、ソ連やポーランドの住民にも大量の犠牲者を出しました。さらに、囚人や住民から没収した資産を含めれば被害総額は膨大となります。さらにナチスの迫害を逃れてアメリカ合衆国や中近東に多くの亡命者や難民が生まれ、その後の世界の人口分布図までが大きく変わりました。

 戦後、ホロコーストの事実が明るみに出るにつれ、加害者側に立たされたドイツ国民の心には深い傷あとが残りました。自分の親や祖父母がもしかするとナチスのユダヤ人迫害や犯罪に責任があったかもしれないという疑念は、現在まで多くのドイツ人を苦しめています。そのため今日までのドイツ社会は、ナチ時代に存在したあらゆる要素を否定する方向で進んできたといってよいと思います。

 1949年に東西ドイツが成立するまで、終戦後のドイツには政府がありませんでした。国内は4占領地域に分けられ、連合国のアメリカ、イギリス、フランス、ソ連による統治が行われました。この空白期間により、ドイツには戦前のナチ体制や官僚組織と断絶することが可能となりました。

 連合国4ヶ国のドイツ占領方針で最も重視されたのが、「非ナチ化」と「民主化」でした。「非ナチ化」とは、社会の上層部や公務員等からナチ党関係者やナチ政権に関与した人物を追放することで、これは簡単に進まず、人材不足もあって解雇後に復職した人達もいましたが、連合国主導により実施されていきました。

 また、独裁政権下で12年を過ごしたドイツ人のメンタリティや考え方が、ナチ政権崩壊によってすぐに変わるわけではなかったため、人権を重んじる民主主義を社会に根付かせることが連合国主導で進められました。さらに、中央集権制だったナチ時代から決別するため、地方自治が促進されました。

 一方日本では、アメリカ単独の占領下に置かれ、沖縄を除き間接統治という形で日本政府も天皇制も続行されました。日本の場合は、憲法第9条に代表される「非軍事化」に重きが置かれたといわれます。そして「非ナチ化」にあたること、つまり前政権に与した人物の追放は重視されませんでした。このように連合国の占領方針の違いによって、日独両国は1945年の出発点で既に異なっていたことになります。

 1949年、ドイツには、ソ連占領地と米英仏の占領地とに分かれる形で東西二つの国家が成立します。このうち市場経済と自由民主主義的体制をとる西ドイツでも、初期の1950年代までは、戦前の反ユダヤ主義やヒトラーを肯定的に評価する風潮が人々の間に根強く残っていたといわれます。

 しかし1960年代から70年代になると、戦後教育を受けた世代が親達の戦争世代を批判することで過去の犯罪を客観的に見つめる動きが生まれました。この頃はベトナム反戦運動の影響もあり、世界的に学生運動や環境保護、女性解放運動が高まった時代で、民主化は西ドイツで徹底されていきました。

 他方東ドイツでは、第二次世界大戦でナチ・ドイツと戦ったソ連に組み込まれたため、早い時期にナチスの過去は清算されたと考えられました。東ドイツは独裁制で言論報道に制限があったため、ナチズムの犯罪を直視するという教育や情報も圧倒的に不足していたのです。

 続く1980年代には1986年ソ連チェルノブイリの原発事故が起き、ソ連が解体していくのと同時に一挙に東西の冷戦が終結し、ベルリンの壁は崩壊します。1990年、ドイツは再び統一されました。

 さてドイツ人が過去の犯罪の歴史と向き合い、歴史認識を形作ってきたかを説明する際、「過去の克服」という言葉が使われます。ここに重要なポイントを3つ挙げます。

 1つはナチ犯罪の追及です。ドイツは戦争を起こした責任だけでなく、戦前からナチ政権が多くの人々を弾圧・殺害した人道的責任を追及されました。1979年に西ドイツでは殺人罪の時効が廃止され、現在もナチ戦犯の追及が続いています。

 またナチズムの犯罪を否定したり、ナチズムの被害者を冒涜、ナチズムを賛美したりする行為は法的に禁止され処罰の対象となっています。いわゆるヘイトスピーチのようなものについて、表現の自由は明確に制限されています。

 次に被害者、被害国への賠償金、補償金の問題があります。  東西ドイツの時代も統一後も、補償金や年金の支給、そしてナチスドイツが没収した財産の返還など様々な形での支払いが行われています。戦後ドイツが二つに分かれてしまったため講和条約は結ばれず、賠償問題は法的に解決したわけではありませんでした。そのため1990年にドイツが再統一した時点で再度話し合いが行われ、いわゆる連合国4ヶ国との間で賠償問題について合意がなされています。また西ドイツは1952年以降、イスラエルをはじめとする周辺12ヶ国政府に多額の賠償金を支払い、東ドイツもソ連やポーランドなど広範囲にわたり支払いました。ギリシャにも当時の西ドイツが1952年以降98億円を支払いましたが、今年、ギリシャはそれをはるかに上回る2684億ユーロ、約36兆円(同国の債務が34兆円)を要求し、話題になりました。

 また、最近では企業が捕虜や外国人を強制労働させていた責任が追及されるようになってきました。2000年、フォルクスワーゲン、ジーメンスなど大手企業を中心に経済界とドイツ政府が折半して出資して基金「記憶責任未来財団」を作り、これらの強制労働の被害者への補償に充てることになりました。現在約100ヶ国の強制労働者達への支払いが行われているところです。

 被害者への支払いは、ドイツ自身がその地位を復権し、周辺国の理解を得るためには必要だと国内でも考えられてきました。これは国民の税金から拠出されるので、負担させられることへの不満の声も多々あります。しかし、失われた命や絶ち切られた人生は賠償金によっても戻らないため、ドイツの罪はどうしても償えないというドイツ人に共通した考えが根底に流れています。

 最後の3つ目の重要な柱として、次世代への教育があります。過去の歴史を直視する教育は、二度も戦争を起こし国際的信用を失ったドイツに徹底的に民主主義を植え付けるためには必要だと連合国によって考えられてきました。例えば西ドイツの子供達は、小学校段階からナチスによるユダヤ人殺害の残酷な歴史とそれに対するドイツの責任を学ばされます。また、強制収容所見学などの若者向けのプログラムも充実しており、2006年には、ドイツと被害国フランスの共同歴史教科書が出版されました。ドイツ政府としてはフランスとの和解がここまで進んだことを世界に示す良い例となっています。

 一方、旧東ドイツ時代の市民には、当事者意識や加害者だった過去の自覚がそもそもなかったため、今日も補償のために諸外国への納税義務を負うという考え方にも抵抗があるようです、こうした東西のメンタリティの違いは、統一後のドイツに大きな問題を生みました。特に東部では、外国人排斥や移民攻撃、かつてのナチスを信奉する「ネオ・ナチス」という極右集団を若い世代の中で生む精神的土壌にもなっています。

 現在欧州社会が抱える最大の難問は、中東難民の受け入れと各国で巻き起こる移民排斥の動きです。ドイツでは1990年代に失業にあえぐ若者の間で外国人に職を奪われるという危機感が強まり、外国人排斥運動やネオナチの動きが活発化しました。先程お話したように、ヘイトスピーチには法的規制があり、ここのところドイツ政府やメディアは非常に些細な事件についても警戒感を緩めていません。

 また、シリア難民の受け入れによって外国人への不安を口にする住民も増えています。これまで人種や外国人差別にことさら厳しく対応してきたドイツが、急速に移民社会に移行する中で、どのようにこの問題に対応していくか、注目する必要があります。

 この70年のドイツを振り返ると、「過去政策」という言葉があてはまります。かつてのドイツにも、次の世代にまで過去の過ちやナチスの犯罪の責任を負わせたくないという心情が強くありました。そのような中で歴代の政治家達は、ドイツが過去の歴史を直視し、犠牲者への補償や次世代教育に取り組むことを一貫して国内外に強くアピールしてきました。周囲を9ヶ国に囲まれるドイツは、かつての侵略の被害を被った国々の厳しい目にさらされつつ、過去を忘れない姿勢を崩さず国際的信頼を勝ち得て、EUを主導する国に成長してきました。これは歴代の首相達の冷徹な計算もあり、一つの政策でもあったといえ、日本の我々も大いに触発される部分もあると思います。


       ※2015年11月11日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。