卓話


AIは社会をどう変えるのか? 〜ワトソンンの現状と展開〜

2017年4月12日(水)

日本アイ・ビー・エム(株)最高技術責任者
工学博士 執行役員 久世和資氏

 コンピューターの知能は、集計機の時代から始まり、プログラム可能なシステムの時代を経て、学習するシステムの時代へと移ってきました。これは、「コグニティブ・コンピューティング」と呼ばれ、そのきっかけは、本日、ご紹介するIBMのワトソンです。 これまでは、コンピューターにさせたい仕事を定義し、設計し、プログラムを作成し、データを入力し、コンピューターを動かしてきました。今では、データの量が爆発的に増え、種類も増え、コンピューターにさせたい仕事も多岐にわたっています。このような状況では、人がプログラミングしていては間に合いません。そこで、自ら学習するシステムであるコグニティブ・コンピューティングが重要になっています。コグニティブは「認知する」という意味です。

 IBMはAIを人工知能(Artificial Intelligence)とは呼ばず、拡張知能(Augmented Intelligence)と呼んでいます。拡張知能は、「人の知能を拡張したり、サポートしたりするもの」です。拡張知能システムは、最終的に人間を追い抜くのではなく、必ず人のかたわらで、人を支援するシステムとして使います。

 2011年2月、今回のAIブームを呼び起こすきっかけになったイベントがありました。「ジェパディ!」というアメリカで50年以上続いている人気クイズ番組で、ワトソンが歴代最強チャンピオン2人に勝ったのです。

 ワトソンは、辞書や新聞、聖書など、あらゆるジャンルの情報を読み込み、分析して学習しました。2億ページ分の情報を持っています。新しい問題が出題されると、これは何を聞かれているのか、答えの候補は何かなど、その情報から取り出して答えます。

 ワトソンの研究開発プロジェクトは、2006年に始まりました。世界8カ所の基礎研究所から最先鋭のチームと人を集めて5年間で完成させました。日本の研究チームもワトソン・プロジェクトに参加し、自然言語分析機能の研究開発で活躍しました。

 番組が全米で生放送されると、全米中の企業、大学、病院から、「ワトソンを事業や医療に使えないか」という問い合わせが寄せられました。複数の企業や病院と共同で、4年間にわたって事業検証を実施しました。その結果、IBMとしても事業化の目処が立ち、2014年にワトソンの事業部を設立しました。

 ワトソンの応用が多いのは医療分野です。医療の世界では新しい薬、治療法、症例が急速に発見され、5年で、その数は二倍になると言われています。片や現場の医師は新しいことを勉強する時間が月に平均5時間しかないそうです。そうすると、経験があって優秀な医師でも最新の情報を知らないことにより、誤診があったり、最適な治療法を提案できなかったりすることが起こります。膨大な量の最新医療データをワトソンがあらかじめ学習しておき、その情報を効果的に使って、人間の医師が診断や治療をします。このような医療支援への応用を、アメリカのメモリアル・スローン・ケタリング癌センター、MDアンダーソン癌センター、クリーブランド・クリニックなどと行ってきました。

 日本では、東京大学医科研究所付属病院でワトソンを使っていただいています。2500万件の医療情報と1500万件の薬の情報をワトソンが学習しておき、診療を支援しています。診断が難しい60代女性患者の白血病の診断支援を行い、適切な治療法候補とその判断に至った情報を医師に提示することにより、女性の命を救いました。

 女性は2015年1月、急性骨髄性白血病と診断されて入院し、複数の抗ガン剤を組み合わせる標準的な治療を数ヶ月にわたって受けましたが容態は悪化し、その原因もわかりませんでした。そこで患者の遺伝子の変化のデータをワトソンに入力し、分析が行われました。遺伝子の変化の情報とワトソンが読み込んだ2500万件以上の論文のそれぞれから関係するものを選び出し、さらに複数の論文を分析することで、病気の根本的な原因となった遺伝子の重要な変化を突き止めます。この結果、ワトソンはこの女性が二次性白血病という別のガンにかかっている可能性を医師に提示しました。抗ガン剤の種類を変えることも提案し、女性は退院するまでに体調が回復しました。

 2500万件の論文をA4の紙に印刷し積み上げると4000メートルの高さになり、富士山よりも高くなります。それだけの数の論文を短期間に読んで理解することは、人には不可能ですが、コンピューターであれば数時間から数日で分析できます。人の得意なところとコンピューターの得意なところをうまく組み合わせて、医療支援などの重要な課題を解決していくことが、今後、大切だと考えています。

 次の例は、「シェフ・ワトソン」です。これは、人の創造性を加速するワトソンの応用事例の一つです。NY郊外にあるシェフの学校にワトソンとIBMの研究者が約1年通い、三万件のレシピを学習しました。料理は、レシピだけではなく、文化的な要素が重要です。国や地域で好まれる食材や、例えば、感謝祭には七面鳥が食べられる、日本ではお正月に餅を食べるといった情報が必要になります。また、食材ひとつひとつの化学的な特性や健康に与える影響などの情報も学習させました。

 これはプロのシェフが使うもので、例えば、「牛肉でトルコ風の料理を作りたい」と入力すると、ワトソンが食材の組み合わせの候補を多数提示します。シェフにとっては、思いもつかなかった食材の組み合わせであり、そこから新しい料理を発想し、創作します。 日本でも料理サイトのクックパッドで、日本で手に入る食材で家庭でも作れる三種類の料理を掲載しています。すごくおいしくて健康にもいいということですので、ぜひご自宅でも作っていただければと思います。

 オーストラリアのデイキン大学ではワトソンを活用した学生向けのアドバイザー・システムを開発しました。例えば新入生が入学してきた時、住居、通学、アルバイトなど、あらゆる分野の質問に適切に答えます。また、在校生には履修申請やキャリア相談に対応します。

 他にも世界中で、金融、医療、メディア、製造、流通など全ての産業分野で数百のワトソンの実応用の事例が出ています。

 さらに、広範囲で手軽にワトソンを使ってもらうことを目的に、エコシステム・パートナーというプログラムを実施しています。世界で500以上の大学やベンチャー企業に利用していただいています。

 そのうちの一つ「コグニトイ」は、小さい恐竜のおもちゃです。スピーカーとマイクが付いており、通信ができワトソンにつながっています。小さな子どもの教育に使えます。一人一人の子どもの個性をワトソンが学習し、対話や質問の出し方を変えます。日本からも一万円弱で購入できますが、残念ながら日本語版はまだありません。

 エコシステム・パートナーのもう一つの例は、アメリカのローカルモータースです。自動運転の電気ミニバスを作っており、今、ワシントンD.C、マイアミ、ラスベガスでテスト運転をしています。ボディの一部は3Dプリンターでできていることでも脚光を浴びています。地元の人や観光客を乗せ、車掌の役割をワトソンがします。乗客がどこまで行きたいのか聞き、降りるバス停を教えたり、観光客に対しては天気の情報なども加味しながら観光スポットを勧めたり、バス自体の仕組みなどの質問にも会話で答えます。

 当初、ワトソンのシステムは一つの大きなハードウエアとソフトウエアで構成されたITシステムでした。今は、機能を部品化し、組み合わせればすぐ応用がきくようになっています。また、ワトソンではデータが一番重要で、データの量や質で、有益な人工知能システムができるかどうかが決まってきます。

 現在は、ワトソンを医療、IoT、ロボット、セキュリティ、教育などへ活用するための研究開発に注力しています。M&A支援のワトソンでは、対話をしながら、対象企業の絞り込みや提案などをします。IBMでは購買部門がこの技術を活用しています。

 ワトソンが得意なことは、人間の脳でいえば左脳による論理的に分析したり考えたりする能力です。今後の更なる応用のためには、右脳にあたる、直感や新しい発想をするシステムが研究課題になっています。

 また、コグニティブや人工知能のシステムでは、益々、高性能のコンピューターが必要になってきます。ここで問題になるのが、コンピューターの消費電力です。クイズ番組で勝ったワトソンは20万ワットの電力を使いました。片や人間は一人当たり20ワットと、1万倍違います。それから、コンピューターは、どんどんクロックが早くなっていますが、人間の脳は、低速で10ヘルツ位で動いています。それでも人間の脳の方がはるかに優秀です。そこで、低消費電力でかつ高性能なニューロ・チップの研究開発も進めています。ニューロ・チップは、従来型のCPUの約1000分の1程度の消費電力で動きます。さらに量子コンピューターについても、現在、いろいろな企業が注目しています。日本でも量子コンピューターの研究が進んでいますが、これからは、量子コンピューターの応用分野を探求することが、重要になってきます。

       ※2017年4月12日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。