卓話


東日本大震災から1年−何がこの国を支え、何が必要なのか? 

2012年4月11日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

前陸上幕僚長
火箱芳文氏

 東日本大震災は戦後最大の国家的危急事態でした。想像を絶する広域かつ激甚な災害でした。道路・ガス・水道・電気といったインフラはことごとく破壊され,一瞬のうちに生活の基盤がすべて喪失しました。

 地震の被害よりも津波の被害の方がひどいという特性の東日本大震災への対応は,我々も初めて体験することでした。これが事後の捜索活動の困難性に極めて大きな影響を及ぼしました。

 一部の自治体では機能が喪失しました。司令塔が不在という自治体もありました。

<複合事態での2正面の作戦>
 地震と津波という災害に,さらに重なったのが原子力災害です。この複合事態に対して,自衛隊は2正面作戦を余儀なくされました。初めてのことでしたので,直接に何をしてよいのか分からない状況のなか,放射能下における行方不明者の捜索や避難者の誘導が活動に加わり,非常に複雑な様相でした。

◎自衛隊の実施したチャレンジ
<史上最大の戦力集中と長期に亘る作戦>
 大震災発生直後に,私は陸上の派遣する部隊と残置する部隊を区分して直ちに派遣を命じました。陸上幕僚長としては矩を超えたことをしたと思いますが,1週間のうちに陸海空合わせて10万人の兵力を東北の地域に集中することができました。

 原子力災害が起こった場合に,自衛隊はモニタリングや被災者の支援をすることが定められていますが,まさか発電所の中に入って何かをやることは想定していませんでした。

 実際には,大規模震災派遣命令は3月11日から9月9日まで,原子力災害派遣命令は3月11日から12月26日まで続き長期に亘りました。

<初の統合任務部隊の編成による5コ同時作戦>
 3月14日に,陸海空部隊を一元的に指揮できる様,君塚東北方面総監を長とする統合任務部隊を編成し,五つの同時作戦を実施しました。

1)人命救助・行方不明者捜索
 インフラが壊滅している状態の中に施設科部隊を投入して,橋を架け,道路を啓開しながら,救助活動・捜索を実施しました。

 目を疑うほどの大量の瓦礫,冠水した地域,水没した地域,随所にある水溜まり,倒壊した家屋での捜索は,困難を極めました。

 側溝の中までも全部捜索しました。救出された方は2万7千人ほどいたそうですが,その中の1万9千人ほどが自衛隊によって救出されました。残念なことに9,505人の方が自衛隊によってご遺体で発見されました。

2)被災者の生活支援
 避難所の方々は水や食料に非常に不自由しました。いち早く対処したのですが,当初は政府からの物資の流れが悪く,悲鳴の様な声が届いていました。

 ガソリンスタンドが壊れているため,物資を運んだトラックが帰っていく燃料がないことが原因だと分かりました。そこで自衛隊で全国規模の物流システムを構築しました。当初の生活支援に大きく寄与できたと思います。

 勿論,給食・給水,医療支援,入浴支援,防疫支援なども,従来以上に実施しました。

3)応急復旧と道路啓開
 応急復旧は,大量の瓦礫除去,仮設住宅建設用地の整備,埋葬地の整備支援など,機械力が必要です。自衛隊員が統制して,民間のオペレーターと一緒に復旧にかかりました。

 当時,海岸付近の南北の道路は悉く断たれていました。自衛隊は,いち早く橋を架け,道路を造り,最終的には総延長約400キロの道路啓開を実施しました。

 自衛隊本来の使命は人命救助ですが,今回は緊急の埋葬も支援しました。

4)原発安定化への活動と避難地支援
 最初は,東電に対して支援するという立場でした。先ず電源車を運んでほしいという要請が3月11日の夜にあり,対応しました。

 翌12日の朝には,冷却水が切れたので自衛隊で運んでくれという話がきました。5トントラックの給水車でよいということでした。

 この後12日の15時に1号機の水素爆発が起きました。この時でもまだ,政府・東電からは「原発が危ない」という悲観的な情報はなく,大丈夫だという認識でおりました。それが14日11時の3号機爆発が起き,隊員が負傷した時点で「これは大丈夫ではなく,危ない」という認識になりました。

 17日にはヘリからの放水が行われましたが,14日夜から16日朝頃にかけて何をすればいいのか大変悩みました。原発の状況は誰も分かっていなかったのではないかと思います。

 対策案として,燃料プールが干上がったのでそこへ給水する,若しくは,最悪の場合原子炉の格納容器が破裂するかもしれないので,まだ建屋の残っている2号機の裂け目からホウ酸を撒くという方法などを検討しました。ヘリをホバリングさせ,ホウ酸を入れたスリングネットを隙間に入れる訓練もしました。

 結局,最終的には,ヘリから放水をし,その後地上の消防車からの放水を優先しました。この必死の作業の様子を見てアメリカの反応も変わってきました。

 我々は,原発安定化への対応と同時に,30キロ圏内に残っている住民への支援やケアを行い,捜索活動や瓦礫除去も4月18日から行いました。

5)初めての本格的な日米共同作戦
 当初,米国はJTF(Joint Task Force)という組織でやってくるということを聞いていましたが,すぐにJSF(Joint Support Force)という名称に変えてきました。いわゆる「トモダチ作戦」です。

 アメリカは,最初に空母を展開して,演習に出ていた海兵隊が急遽帰ってきて支援をしてくれました。オペレーション「TOMODACHI」は大なる抑止効果があったと思います。

 原発への放水がきっかけとなり,日米の同盟関係を深化するという意味で,政府間の関係,特にアメリカ軍と自衛隊の関係は非常に緊密になったと言ってよいと思います。

<国家としての教訓事項>
 これから,首都の直下型地震や,東海・東南海・南海などの連動型地震が起きる確立が高くなっているという状況があります。

 今回の大震災では,陸海空の自衛隊員10万7千人が現地に出動しました。

 私は後方支援を含めすべての自衛隊が動いたと思っています。学校の教官も,補給処の技官も,現地の業務隊,即応予備自衛官も動員して,やっと今度の仕事ができたという思いです。

 しかし私は,今回の業績に対して「よくやった。やれるじゃないか」という称賛を得たとすれば,「ちょっと待ってください」と言いたいと思います。自衛隊は余裕をもって今回の活動をしたと思ってはおりません。ギリギリの状態であったと思います。そこで日頃から,もう少し備えを整えておくべきだということを申し上げたいと思います。

 今回は震災を対象にして得た教訓ですが,この延長上には国の防衛という大きな問題が見えています。

 果たして,今の状態で更に難しい事態が生起した場合,国の防衛ができるかということを考えると,先ず最初に国家としての意思決定の整理が必要です。

 今回,巷間で言われたことは,中央防災会議という大きな枠組みで動いたけれど,安全保障会議は招集されなかったということです。

 また,中央防災会議の決定は,本当に為されていたのかが疑問です。例えば,物資の補給についても明確な答えが出ていません。

 自衛隊は,とにかく被災者を一刻も早く救出,救援せねばと自分たちの権限の中でやりましたが,これでは不充分なところがあります。今後は,このような意思決定のあり方はしっかりと整理しておく必要があると思います。

 これに伴って,各省庁の連携が求められます。例えば今回は,ガソリンの補給を自衛隊に依頼されました。ガソリンスタンドにタンクローリーを運転してガソリンを入れてくれないかというのです。

 ところが,タンクローリーの運転には特別の免許が要るのです。また,民間フェリーには部隊とガソリンは混載できないことになっています。今後は,そういった法律上の問題も解決して,防災計画に反映してほしいと思います。

 機能が喪失した地方自治体に対する国の支援,自治体相互の支援も必要です。非常の際には機能を補完し合う仕組みを作っておくことが必要でしょう。その他様々な問題がありますが,時間の関係上省略させて頂きます。

<自衛隊としての教訓事項>
 もっと強靭な自衛隊を造っておかねばなりません。統合運用の更なる深化も検討したいと思います。海上機動力を含む機動力の確保は絶対に必要です。政府レベルでは日米同盟を更に深化させることですが,日本の自衛隊が動かないとアメリカは絶対に助けに来ません。今回はシーバーフという特殊部隊を派遣してくれました。これも,我々が行動した後をフォローするという役割分担で,最後まで使われることはありませんでした。

<自らの国は自らが守る>
 今回の自衛隊の目覚ましい活動を「成功体験」として終わらせることなく,今後の日本の防衛を考えることに繋がる自衛隊の在り方を考える機会であってほしいと思います。

 自衛隊は精一杯の支援をしました。苦しい戦いでした。5名の殉職者も出しました。

 我々国民は,先ずは自助です。次いで互助,最後に公助です。国家はそんなに早く動けません。自らの命は自らが守るのが鉄則です。また,近隣が助け合う組織づくりも大切です。しかし,最後には国家全体で当たらねばなりません。そうでなければ人の命は救えないと思います。