卓話


日本経済の動向について

2013年11月27日(水)

公益財団法人総合研究開発機構 理事長
東京大学大学院経済学研究科 教授
伊藤元重 氏


 長い経済の歴史の中では石油ショックとかプラザ合意、あるいはバブルの崩壊とかリーマンショックなど、非常に大きな変化のタイミングというものがありました。そうした意味で今の日本経済は、間違いなく大きな転換期を迎えているでしょう。

 現在、アベノミクスと言われている安倍内閣の政策でいくつか重要なポイントがあると思いますが、一つは変化が早くなっていることです。政策の変化もさることながら実際の経済・社会の動きも大きく変化して、しかも早くなっているように思われます。

 ご存じのように日本は少子高齢化で、人口構造が大きく変わってきています。またグローバル化ということで、特に近隣のアジア諸国の経済成長が早いこともあって、外の経済と中の経済の相対的な大きさみたいなものが非常に変化しています。あるいはICTと言われる情報通信をはじめとして、様々な分野で大きな技術革新が起こっています。ただそんなことは20年前から分かっていましたが、残念ながらこの20年間、日本の反応は非常に遅かった。それが日本の「失われた20年」の一つの側面だと思うわけです。

 それではなぜ日本の変化が遅かったのか。詳しくは長くなるので一言で片付けてしまうと、要は「デフレ」です。デフレで家庭も企業も慎重になって金を使わないから、金融資産はどんどん増えていく。よく経営者の方と話す機会がありますが、「デフレの時には何もしないのが一番安全だ」と、そうした雰囲気が漠然とあったのだと思います。こういうものはどこかで壊さないといけません。ただ経済がガタガタになった状態ではなく、やはり早い段階で前向きにしっかり変化させていくことが、今の日本に問われている一番のポイントだろうと思うのです。

 アベノミクスの「3本の矢」、特に1本目の大胆な金融緩和が成果を発揮して、政権交代の少し前と比べると株価は大幅にアップしました。今、経済再生担当をされている甘利明大臣が、もうだいぶ前ですが「株価が1万3000円を超えたらいいな」とうっかり言ってしまったことがありました。それで聞いた話ですが、甘利大臣はカラオケが結構お好きで持ち歌に「天城越え」があるとか。だから新聞などはそれ以来、株価が1万3000円を超えると「甘利越え」だと言い始めて、もちろん今はもう少し高いのですが、私も甘利越えにあやかり1万3000円を切らなければいいやと思うようになった次第です。

 こうした中で幸いなことに経済は当初の想定を超え、色んなところに影響が出始めています。金融を大胆に緩和すれば株価や為替が反応するのは当たり前かも知れませんが、例えば不動産だと東京ではすでに少しバブルのような雰囲気さえ出始めて、これが地方の不動産取引にも少し影響が見られるといった報道もつい先頃ありました。

 経済成長率も過去10年間は平均で0.5から0.7%という非常に低い数値でしたが、今年に入って第1四半期は4.1%、第2四半期は3.8%という数字を示しています。そういう意味では、経済のステージがじわじわと動き、いわゆる金融財政の影響が出始めた中で次のステージに行こうとしている段階ではないでしょうか。

 ところで注目されるアベノミクスの第3の矢ですが、どうも誤解をしている人が外国人も含め非常に多いようです。第3の矢は多くの人が成長戦略だと思っているようですが、それは間違いで民間投資を喚起する成長戦略なんですね。成長戦略は我々経済学者の言葉を使わせていただくと「サプライサイド」。規制緩和や市場開放や税制の修正をすることで、企業の競争能力や資源配分やイノベーションを高めて経済を成長させていくのが、まさにサプライサイドであるわけです。

 例えば薬をインターネットで売るようにしてICTの技術をもっと多くの人に使ってもらうようにするとか、農業の改革を進めて日本の農業生産力を高めるとか、あるいは電子カルテとか電子レセプトなどの改革で日本の医療をもっと高度かつ効率的なものにするとか、これらは全部サプライサイド政策なのです。もちろんそれも大切ですが、問題はこれらがすぐさま日本経済に見違えるような効果をもたらすとは思えないことです。そう簡単にはいきません。やっぱり時間がかかるわけです。

 さて、半年前にフランスの大きな会議に呼ばれて、欧州の経済危機について議論をしてきました。欧州はスペインもイタリアも、ポルトガルもギリシャも財政が大変な状況で、要するに政府の借金が大変深刻になっています。それだけではありません。スペインは不動産バブルが弾け株価が崩壊して、住宅ローンで家計簿は大変だし、企業も過剰債務、過剰設備に悩み、金融機関も不良債権を抱えているところがいっぱいあります。10年前の日本に似ているのです。

 ヨーロッパの経済学者が私の方を見て「日本はどうですか?」と聞くので、思わず言ってしまいました。「いやー、日本も公的部門、政府の借金が多いから、これは同病相憐れむところがありますね」と。「しかし申し訳ないけど民間はピカピカなんですよ」と一言付け加えておきました。確かに失われた10年、20年の苦しい期間、もちろん経済は大変でしたが、今の日本の家計部門は可処分所得の4倍と言われている金融資産を持っています。こんな国は世界で日本以外にありません。

 問題があるとすると、お金を持っていながらそれを使わないことです。今、日本の上場企業は半分が無借金だそうです。無借金だけならまだいいのですが、特に未上場の会社なんかは、どんどん内部保留に回して、それを使わないから問題となっています。また金融機関も不良債権処理が終わって、お金は集まるけど貸すところがないという皮肉な悩みを抱えているわけです。ですからこれをモビライズできるかどうか、それが問われる歴史的な転換点に来ていると言えるでしょう。

 もう1年以上前になりますが、ソフトバンクの孫社長が米国の大手携帯電話会社を買収する計画を発表しました。ちょうどその日に、私がコメンテーターとして出演しているテレビ東京のワールド・ビジネス・サテライトという番組で、急きょ対談することになりました。これは約2兆円というすごい買収額で大変な話題になりましたが、しかも驚いたことに1兆5000億円ほどは銀行からの借金で賄うという話でした。

 そんなわけで私が一番聞きたかったのは「孫さん、そんな投資をして大丈夫ですか?」ということです。孫さんの答えも奮っていました。「伊藤さん、ここで勝負をしなきゃ男子じゃない」と。要するに金はジャブジャブに余っている、ソフトバンクがちょっと手を挙げれば銀行は喜んで1兆5000億くらい貸してくれる。今、日本に欠けているのはお金ではなく、リスクをとって投資をするという気構えだということでした。

 女性もいますので語弊があるかも知れませんが、要は長引くデフレで日本の企業は草食系になっていたのです。ところが金は余っていて、今、勝負をするとしたら投資であると、ここで動かないと大変なことになりますよと、そういうことを企業の方々にしっかり感じ取ってもらうことが大事だと思っています。ですからデフレで何もしないことが安全だとすれば、デフレが終わって何もしないことが一番危険だと言えるでしょう。

 そういう視点で政府が色々試みている政策を見ていただくとよく分かりますが、今どうしてもほしいのは投資を増やすことです。例えば今回、電力システム改革の法案が通りました。大変残念ですが福島で事故があって、日本の電力政策というものを大きく見直さなければいけない状況になっています。その方向として当然考えられるのは、原発をどこまで使うか十分議論されなければいけない話であるにしても、やはり今まで以上に火力を使わなければいけない。それで火力を使うのであれば古くなった設備を取りかえ、もっと新しいものを使う必要がある。あるいは国内のネットワークを強化するためには、北海道から九州までの電力を広域で使えるような仕組みの強化も必要でしょう。あと小売りの自由化や料金の多様化などもっと柔軟な対応が求められるし、そうした諸々の取り組みが電力システム改革の柱になっているのです。

 これは何を意味するかと言いますと、大変な投資機会が出てくるということです。たとえば火力発電所を新しくするとなれば、鉄鋼メーカーもエネルギーメーカーも、あるいは製紙メーカーも化学メーカーも商社も、みんなそこに関心を持ち始める。これがまさに民間投資を喚起する成長戦略なのです。

 そして言うまでもなく、2020年の東京オリンピック・パラリンピックも見逃せません。これが決まったのは想定内だったのか想定外だったのか私には分かりませんが、とにかく民間投資を活性化させる意味では極めて有望な催しになるでしょう。さらにはTPPによる自由化、これも私は大変面白いと思っています。日本経済を元気にする時に、やっぱりグローバル化だとかアジアの活力を抜きにしては語れません。

 今日はスピーチの時間も限られていて、オリンピックやTPPで経済の活性化につるながる色々な取り組みについては端折らせていただきますが、いずれにしても昨今は成長戦略がますます注目されています。その重要なポイントとなるのが、デマンドサイドで投資がどれだけ増えるかにかかっていると言えるでしょう。実はこのあと私の大切な研究課題でもある財政健全化の話をしようと思っていましたが、どうも時間がきてしまったようでそれはまた別の機会とし、今日はこれで終わらせていただきます。

       ※2013年11月27日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。