卓話


コロナ後のオーケストラ

2022年5月18日(水)

(公財)日本フィルハーモニー交響楽団
理事良 平井俊邦氏


 日本フィルハーモニー交響楽団(以下、日本フィル)は「温かさ、人に寄り添う」をモットーに「芸術性の向上」と「社会性の拡充」を目指し、「オーケストラ・コンサート」、「エデュケーション・プログラム」、「リージョナル・アクティヴィティ」を活動の3本柱に、さらに「被災地に音楽を」を4つ目の柱として活動を続けてきました。

 オーケストラ・コンサートが年間150回、室内楽等の活動が年間200回程度と、所属する約80名の演奏家と20名超のマネジメント・スタッフは年間フル稼働です。

 こうした活動は2020年度、コロナ禍によりおよそ4ヶ月にわたりすべてストップし、その後も続く影響から72公演以上が中止になりました。結果、芸術、コミュニケーション、財政の3つの面で、楽団は大きく毀損しました。

 4ヶ月にわたりアンサンブルができず、その後は弦楽器が1.5メートル、管楽器は2メートルの舞台上のディスタンスをとっての演奏になり大編成曲はできず、海外からの指揮者やアーティストは入国制限で共演できず、2019年4月、36年ぶりに実現したヨーロッパ10公演の成功をばねに飛躍する時を失ってしまいました。

 毎年2万人の親子が楽しむ「夏休みコンサート」、46年続く地元ボランティアと作る九州全県オーケストラ公演、60才からの楽器教室、被災地訪問はじめコミュニケーションの面での影響も甚大でした。

 コロナ禍による演奏中止や入場者数制限等は、大きなスポンサーを持たず演奏収入を主たる収入源としている日本フィルにとって、財政面で特に大きな打撃となりました。2020年度は計画した演奏収入のうち6億円を失い、年間収支で約4億円の損失、3億円を超える債務超過を覚悟せざるを得ず、「楽団存続の危機」を迎えました。

 活動継続のため、キャッシュフローを確保する一方、文化芸術の必要性、重要性を積極的に社会に訴え、全国の多くの方々からの温かいご支援を頂きました。国・自治体・民間団体・企業等からの助成を頂いたお陰で、存続の危機を脱し、今皆様に演奏をお届けできています。感謝の気持ちで一杯です。

 コロナ禍初期、文化芸術に対する社会の風は厳しく、「音楽文化は不要不急だ」という声が起こり、演奏家の心は激しく動揺しました。しかし、4ヶ月後、無観客オンライン配信で演奏活動を再開した時、多くの方が喜んでくれました。私もこの時、直接演奏を聴き、思わず、「凍てついた氷が解け、水が流れ出し、その麓に草花が芽吹き、昆虫が戯れる」そんな情景を想像しました。

 そして、2020年7月のお客様を迎えての演奏活動の再開の時は、「演奏を聴いて涙が流れてしょうがなかった」と多くの方々の声を聞き、このような非常事態だからこそ、音楽や文化芸術の存在が人の心には必要なのだと強く実感しました。

 このコンサートでは、2階席に「日本フィル 音楽をありがとう」という横断幕が出ました。演奏家にとっても本当に嬉しい声で、本当に心が通ったという思いをしました。このような体験を経て、「オーケストラが何をなすべきか」という課題が、日本フィルにも改めて突き付けられました。

 演奏会にお客様が戻らない状態は、コロナ禍から2年を経た現在も続いています。
 これまでも日本フィルは、演奏会場に来られない方にも生の音楽をお届けする活動を行ってきました。「音楽過疎地」と呼ぶべき地域の問題、障害や高齢で外出が難しい方、家庭などの環境で「文化的格差」が生じている子供たち、病気の方々に向けて、様々なプログラムを開発、実践してきました。文化的弱者、高齢者、遠隔地への音楽鑑賞機会の提供は社会共通の課題になったと考えています。

 アフターコロナのオーケストラの活動をいくつか紹介します。
 まず「被災地に音楽を」です。東日本大震災から11年が過ぎました。震災発生直後、自分たち音楽家に何ができるかわからない中、東北の皆さまの心に寄り添いたいと、避難所や仮設住宅などに音楽を届ける「被災地に音楽を」の活動を始め、10年間で300回を超えました。

 震災から数年後には、被災地での生活が仮設住宅から災害公営住宅へと移ることで生じた課題への取り組みとして、新しい地域コミュニティづくりと、子供たちのための多様な活動を実施しました。

 2019年、子供たちの笑顔を応援し、新たな文化発信と交流の場を作る「東北の夢プロジェクト」を開始しました。岩手県沿岸部で伝統芸能や吹奏楽に励む子供たちを招き、オーケストラと共演する企画です。これからも津々浦々にある伝統芸能を引っ張り出し、発信していきたいと思っています。

 11年間にわたる活動の中で、地域の課題にもたくさん向き合い、対話を重ねてきました。「被災地で生まれ育った」子供の心の問題のほか、現在、沿岸部各都市の人口減少と少子高齢化、高齢者の孤立の問題もあります。福島県での原発事故による影響も大きな課題です。時間と共に変化する東北地方のために何ができるか、再び問いかける時が来ています。

 コロナ禍になって初めて、東北という一部の地域だけの問題ではなく、社会全体の問題になっている思いを強くしています。「文化の弱者」にこそ音楽は必要であり、音楽の力によって人々を慰め、癒し、励まし、生きる力を与えることができる、そのために必要な活動を、コロナ後の今こそ日本フィルはさらに充実させなければならないと考えています。

 さて、コロナ後の新しい社会において、日本フィルは、「生の音楽がどうテクノロジーを活用できるか」を課題とし、2つのテーマに取り組んでいます。

 一つは、「社会からの要請」に応える事業を回復し、より力強いものにすることです。この2年間、直接お客様と向き合えない中で、オンラインでの楽器レッスンや交流会などで試行錯誤を重ねてきました。これからも、生の音楽の体験を、リアルとオンラインのベストミックスに取り組んでいきます。

 もう一つは、DXによって新しい芸術表現を切り拓いていきたいという、より積極的な芸術上のビジョンの策定です。

 この大きな事例として、2018年より継続している、メディアアーティスト落合陽一さんとの取組みから3つを紹介します。

 まず、「耳で聴かない音楽会」という、聴覚障害のある方を対象としたコンサートです。「テクノロジーを用いてオーケストラの体験をアップデートする」を趣旨とする落合プロジェクトでは、聴覚の障害の有無に関わらず、共に楽しめるコンサートを開催しました。

 コロナ禍で大きく影響を受けた2020年は、リアルとオンラインの双方で違った体験を味わおうという趣旨で、同じコンサートが全く違う体験になるという演出を、ARを活用して行いました。

 この音楽会ではすべてが生のため、オンライン配信のAR演出も生の音楽に会わせてライブで創出するという大掛かりなチャレンジでした。会場に集まった奏者が約70人、スタッフが約100人という、冒険的な公演となりましたが、生まれた作品は非常に面白いものとなりました。

 同じ演奏会で、世界中のオーケストラ・プレーヤーと日本フィルが東京で「オンライン共演」するチャレンジも行いました。ロンドン在住の作曲家藤倉大さんがこの年、オンラインアンサンブルのための新たな作品「Longing from afar(遠くからのあこがれ)」を発表しました。オンライン通信では遅延の問題がありますが、これを逆手にとり、ずれまで楽しむという作品です。落合プロジェクトでは、この作品をアメリカ、ヨーロッパ、アジアのオーケストラ・プレーヤーが東京の日本フィルと共演しました。各奏者の音が舞台上に並べた30台のスマートフォンから聞こえるという刺激的な演奏会になりました。

 コロナ禍で、それまで当たり前だった「お客様の前で演奏をお届けする」ことが初めてストップした日本フィルは、このような時代であっても生の音楽の持つ力が重要なのだと改めて気づくことになりました。そして、音楽は生のコミュニケーションであることも深く感じることができました。生だからこそ人の心に届く、目の前で届けるからこそできる、人(音楽家)と人(聴き手)とのコミュニケーションを大切にしていきますが、これまでコンサートホールだけにコミュニケーションの場を頼っていたことが弱点だったと感じます。

 今、音楽を再びコミュニケーションの場へと引き戻すこと、そしてこの生のコミュニケーションによって、音楽の様々な力、生きる力、レジリエンス、IQからEQ(心の知能指数)を人々に与えることが、文化芸術に携わる者にとって変わらぬ使命です。これをますます大切にしながら、テクノロジーやDXにより、音楽の世界を拡げていきたいと考えています。

 生の芸術を扱う文化団体は概ね、DX化の領域では社会に遅れをとっていますが、活動のDX化とは、芸術表現はもとより、音楽の素晴らしさの伝え方においてこそテクノロジーを積極的に活用し、「リアルとオンラインのベストミックス」を模索することだと、コロナ禍を経て痛感しています。

 テクノロジーやDXによって、会場でない場、対面でない機会に音楽を届けていくこと、またそれらの可能性は、社会からの要請に応えることで広がっていくことを認識し、社会と共同する活動を速やかに実践していきたいと考えています。

 最後に、加藤様からご紹介頂いた今回の後藤新平賞受賞の決定は大変光栄に存じております。賞の名に恥じぬよう、また、東京ロータリークラブでの講演の機会を頂いたことを肝に命じ、芸術性を追求するとともに社会の要請にしっかり応えていかねばと改めて心に誓ったところです。


   ※2022年5月18日(水)の多枠をクラブ会報委員会が纏めたものです。