卓話


EUと東アジア共同体

2010年6月2日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

元駐ドイツ日本国大使
伊藤忠商事
顧問 高野 紀元氏 

1.ギリシャ問題とEU
 一昨年の八月,私はドイツを離任する際にフランクフルトで欧州中央銀行総裁に挨拶致しました。2009年にユーロが10周年を迎えるという時期でしたので,いろいろと準備をしておられました。総裁は,経済成長,雇用など,あらゆる面でユーロは成功だったという話をなさっていました。

 その時,既にアメリカのサブプライム問題が始まって1年程経っていました。今年になり,ギリシャなどの財政危機が大変な状況になりつつあります。三月には300億ユーロの支援,加えて5月には8,600億ユーロの支援を重ねるなど事態が急激に変化しています。

 ユーロの導入そのものについてのメリットは,特段に申しあげるまでのことはないし,EUの成立によってヨーロッパの経済が発展し,生産性も上がったのも事実です。

  同時に,ドイツの皆さんといろいろと話をして,ユーロがちょっと早かったのではないか,財政支援は慎重に,という議論をよく聞くわけです。

 第一に,財政危機にあたり、結局は,EU内の一部の国から他の国へ財政支援する,資金を移動しなければなりませんが,これは最終的には政治的な統合までいかないと,しっかりとした運営ができないという趣旨の議論です。ドイツでは,国民の86%が南欧支援に反対しているという世論調査もあります。しかし,メルケル首相はやらざるを得ないと決断して支援に踏み切ったわけです。

 二つめは,世界不況が沈静化しているなかで,財政規律をさらに強めて,経済を縮小させることが欧州のみならず世界にとって好ましいことなのかという議論です。

 他方,これだけの財政支援をすれば悪性インフレになる恐れが強い,財政のバランスが最も重要な原点だとする考えからすれば大問題だという議論もまた残っています。この議論はこれからもまだ続くと思います。

 三つめは,共同体をさらに統合していくことによって,果たしてEUあるいはヨーロッパの経済全体の均衡ある発展ができるかどうかという議論をする人もいます。さらなる自由化によって格差の是正が果たしてできるかという根本的な問題への不安です。

2.EUの生い立ちと発展
 EUについての否定的な問題点をお話ししましたが,60年をかけたヨーロッパの統合が生んだ成果について現代史的な意義について考えてみたいと思います。

 今のヨーロッパは,旅行してもパスホートのチェックもありません。若い人は,就学,就労の面では,ヨーロッパワイドで考えています。インターネットを通してヨーロッパ3千以上の大学を調べて,希望校に申請を出すことができます。若い世代は経済的社会的メリットを喜んでいます。全体として,EUはよかったと高く評価されています。

 ドイツ国内で,あなたは何人だと質問すると,私はヨーロッパ人だと答えるドイツ人が3割もいるという状況になってきています。

 そもそも何故,EUができたかを考えてみると,二つの側面で「戦争」と「平和」の問題が関わっています。

 6千万人の欧州人が第一次第二次の両大戦で死にました。今の英国やフランスの人口がそのまま亡くなったような人の数です。

 たいへんな陸上戦闘を人生の中で2回も経験したフランス人とドイツ人は,戦争後に,とにかくヨーロッパでは戦争をやめようという意識を高めたのが成立の第一の要因だと考えています。1940年代末から1950年代初期での,石炭・鉄鋼共同体成立に至るまでの経過を見れば分かります。

 二つめは,ソ連共産主義の脅威です。46年から48年まで,ポーランドからブルガリアに至るまで共産党政権になり,チャーチルの言う「鉄のカーテン」がおりた時期です。

 ちょうど,50年に朝鮮戦争が起きました。この事件も,ドイツやヨーロッパにおいて共産主義に対する強い恐怖感を与えました。共産主義への防壁をどう作るかという命題のなかで,やはりヨーロッパがまとまらなければいけないと考えたことがEU結成につながりました。

3.東アジア共同体論の胎動
 翻ってアジアでは,このような共同体創設の強いモメンタムは現在ありません。

 2007年,ASEANは40周年を迎えました。2015年までに単一の共同市場を作ることを目標にしましたが,これは1992年にヨーロッパがマーストリヒト条約で共同市場を作ったのと同じ段階で,20年遅れという感じがします。

 ASEANは今や国際的存在ですが,東アジア共同体全体ということで言えば,10年ないし15年前から,やっと議論しようという雰囲気が出てきたというところです。

 最近は,中国も日本も,FTAやEPA,ASEAN+3,ASEAN+6の議論を盛んにしていますし,政治的には盛り上がりが見られますが,「戦争と平和」の問題に関して,アジアのリーダーたちが強い関心を示している状況ではありません。

 ヨーロッパにおける「ソ連の存在」といったものはアジアにはありません。体制間のイデオロギー闘争はなくなりました。アジアを外から揺さぶる巨大な政治勢力は当面考えられません。

 アジアの,世界経済における地位も,ナショナリズムもどんどん上がってきています。20世紀中葉のヨーロッパはナショナリズムが最も低下した時期でしたが,アジアのナショナリズムはこれから上がってくる時で,制度的に,主権を委譲する共同体を作ること自体難しい歴史の状況です。

4.東アジア共同体への制約と課題
 緊迫している北朝鮮問題は勿論ですし,台湾の問題,南シナ海の問題,インド亜大陸を巡っての領土問題など,安全保障の面からも未解決の問題がたくさんあります。

 日本と韓国,中国等の間には「歴史問題」もあります。

 「ヨン様ブーム」では,日本人がこれ程韓国の文化に憧れたということに,韓国側もこれを評価して,日韓関係もよくなりました。それが領土問題や歴史問題を契機に,一夜にして変わります。

 日韓関係は,この30年〜40年で間違いなくよくなっていますが,韓国側から見るとまだまだ問題が残っていることを日本人は忘れてはなりません。

 両国民のいずれもが「昔何があったか」という歴史についてほとんど余り知りません。これは,これからも考えるべきことです。

 アジアでは明らかに政治体制が違う国があります。共同体には市場経済を含めて民主主義,法の支配,人権,についての共通の制度が必要です。

 アジア各国の経済発展段階の違いも明らかです。拡大ヨーロッパ15カ国になる時の,1人あたりの格差は3倍でした。現在,アジアでは60倍ぐらいだと推定しています。これだけ違うと,物・サービス・お金・人の移動を自由化して市場統合することができません。宗教や文化の多様性も制約になります。

 米国はASEANの結成を支援しました。かつて,ミャンマーやタイ,マレーシアに対しても,共産主義の政治的軍事的攻勢があり、これに対する防衛を米国は支持していました。ところが今の歴史状況から見て,アメリカは東アジア共同体として差別化し,アメリカを排除する形はおかしいと考え始めています。アメリカは朝鮮戦争で5万人,ベトナム戦争で4万人,合わせて9万人のアメリカの若者を犠牲にアジアの自由を守った。アジア経済の発展が今あるのはアメリカの力に負うところが大きい。そのアメリカを排除するのか。当然ながら,中国の存在も意識しています。このように,米国にはアジア共同体についていろんな思いがあることは理解できるわけです。

5.日本の立場
 日本に,市場,経済,社会を開放する覚悟がどれだけあるか。まずこれが第一点。日本は今まで経済面でアジアのトップランナーでした。トップランナーの一角を占める状態はまだ続くでしょう。そうすると共同体内で構造的に,技術・資金面で他の国を支援して行く必要があるが,そういう準備があるかどうか。

 例えば環境問題でも,インドや中国が新興国として一つの立場をとる。日本はEUや米国と同様の先進国経済として別の立場をとる。その場合,アジア域内での意見の調整は日本が処理できるかという問題もあります。

 もう一つは,東アジア域内での,「力」のバランスの問題です。日本は日米同盟の関係を保ちつつ,東アジア域内バランスも維持するという,政治と安全保障をどう考えていくかが大きな課題として残ります。欧州ではNATOとEUという安全保障と経済の共同体が併存できました。アジアでこれが可能かという問題です。

 グローバリズムと同時にリージョナリズムの流れが続くと思います。日本は少子高齢化で人口が減っています。アジアの活力を入れなければなりません。東アジア地域の統合が進む場合は日本にとって国益に合致する方向にもっていかねばなりません。日本の覚悟と準備については大いに議論すべき問題だと思います。