卓話


大正生まれの若者は現代日本に何を残したのか 

2012年6月6日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

ノンフィクション作家
門田隆将氏

 私は4月20日に『太平洋戦争 最後の証言』第3部「大和沈没編」(小学館)を発表しました。これで,既刊の第1部「零戦・特攻編」,第2部「陸軍玉砕編」と合わせて『太平洋戦争 最後の証言』シリーズは完結しました。

 私が何故このシリーズをやりたかったのかというと,まさに「大正生まれの方々」が現代日本に何を残したのかということを,みなさんに知ってほしかったからです。

 私の伯父伯母の世代は,すべて大正生まれです。私は子供の頃からずっと長い間,大正生まれの方々が如何に毅然としているかということに強い感銘を受けていました。

 黙々と,こつこつと,文句を言わずに懸命に働くのが大正生まれの人たちです。その人たちは今の日本人のように権利ばかり主張したり,癒しを求めたりはしません。太平洋戦争の主力になって戦ったのも,そうした大正生まれの男子たちでした。

 日本は非常に不思議な国です。戦後ジャーナリズムはずっと,そんな彼らを一方的な悪玉論の対象として扱ってきました。要するに,あの戦争に参加した人たちを犯罪者あるいは侵略者という一言で片付けてしまうのです。

 私はその評価について憤りをもっているジャーナリストの一人です。この人たちは本当に犯罪者なのでしょうか。私はずっと疑問に思ってきました。私の知っている大正生まれの人たちはすばらしい方々です。その人たちが犯罪者である筈がないというのが,もともとの私の発想の原点でした。

 一方で,大東亜戦争聖戦論というのがあります。あの戦争を聖戦ととらえて,それを流布し主張する人々もいます。

 私はそのいずれにも与しません。戦争を聖戦であるとか,一方的な犯罪であるとかいう単純な見方には私は与しません。

 正義は複層的なものです。物事を一面から見れば善であるものが,別の角度から見れば悪であったりします。善と悪が光のあてかたによって変わっていくのが物事の基本です。しかし,日本の戦後ジャーナリズムは,一方的に犯罪であると決め付けて,死力を尽くして太平洋戦争を戦った人たちを貶めてきたと思っています。

 私はその人たちの本音を聞きたくて,全国を訪ね歩いて百数十人にお会いして,真実の声を集めて,『最後の証言』シリーズにまとめました。

 大正生まれの男子は1,348万人います。そのうち戦死者が約200万人です。同世代の約7人に1人が命を落としています。このようなことは日本の有史以来,戦国時代にもなかったことです。

 大正生まれの若者は悲劇の中にいました。この人たちは,戦争の時は前進と突撃を繰り返し,戦後に生き残った者は亡くなった人たちの無念を胸に,戦後,さらに前進を続けました。エコノミックアニマルとか,さまざまな批判を浴びながらも怯むことなく前進と突撃を続けました。太平洋戦争の地獄の戦場で繰り返したことと同じことを続けたのです。

 その結果,戦後の復興どころか,彼らは,世界から20世紀の奇跡といわれる高度経済成長を成し遂げました。そのことを今の日本人は忘れています。

 昭和20年の終戦時,19歳から33歳までの人たち,すなわち太平洋戦争時代の主力はすべて大正生まれの人たちでした。その大正生まれの人たちが,社会の第一線から退いたのはちょうど昭和の終わり頃でした。終戦時に20歳だった人が,平成の初めには64歳になっていました。

 この人たちが第一線から退いた後の日本はどうなったでしょうか。失われた10年が20年になり,今では失われた30年が始まっています。

 バブルがはじけて,経済が駄目になったから日本は崩壊の一途を辿っているといいますが,私は,大正生まれの人たちが社会の第一線から退いたから,日本は今のような状態になったのだと思っています。

 この人たちは,日本人の最もすばらしいものを持った人たちでした。この人たちが持っていたモラル,勤勉性そして闘志,気迫などがそこで途切れていったと思います。

 戦争犯罪論を唱える人は,当時の若者が軍国主義教育に洗脳されていたと言います。

 私はこれにも異を唱えています。大正生まれの人たちは確かに軍国主義教育を受け,厳しい軍隊教育も体験しました。戦場では地獄の突撃を繰り返しました。しかし,それにも増して大切なのは,大正生まれの人たちは「恥を知る人たち」だったことです。恥を知ることを明治生まれの父母から教えられた世代でした。

 アメリカの文化人類学の女性学者ルース・ベネディクト氏が『菊と刀』で,「日本の文化は恥の文化である」と書いています。彼女は「恥の文化」を欧米の「罪の文化」と比較して批判的に書いています。私は,評価はともかくとして正しい分析だと思います。

 日本人は「恥を知れ」ということを教えられてきました。去年の大震災でも,世界が驚嘆したのはあの混乱の中でも略奪が起こらないことでした。

 アメリカ陸軍に日系442部隊という日系人部隊がありました。この部隊は,アメリカ陸軍史上で最強の部隊だと言われています。3,800人で編成された日系442部隊の死傷率は300%を越えています。1万人近い人が死傷しているわけです。突撃,突撃を繰り返すので戦闘の度に補充します。だから死傷率が300%を越えるわけです。

 日系442部隊は,日本の軍国主義教育を受けた人たちではありません。日系移民の両親に育てられたアメリカ人です。日本に来たこともない日系442部隊の人たちがどうしてそんなに強かったのでしょうか。この人たちは,両親から「恥を知る」ことを教えられています。仲間が突撃するときに,塹壕の中で膝を抱えて震えているわけにいかない,それは人間として恥だということを知っていたのです。

 私は多くの大正の人たちの話をうかがって,思ったことが一つあります。それは「大正の人たちは洗脳も何もされていない」ということです。家族のため,国のためには命を投げ出すことを厭わなかっただけです。

 男子たる者,国の一大事に,家族が危ないときに命を投げ出すのは,恥を知る人間にとっては当然のことだったのです。

 彼らのもとにあるのは,やはり家族でした。その家族を守るために頑張った大正生まれの人たち,黙々と働き続けた人たちを戦後ジャーナリズムは犯罪者と決めつけてきたのです。

 私は今しかないと考えて,90歳前後の方々百数十人にお会いして,『太平洋戦争 最後の証言』3部作で世に問いました。

 「戦艦大和」には3,332人の乗員がいましたが,生き残ったのはわずか276人でした。そういう悲劇の中で,彼らは自分たちのやったことを誇りに思っています。大和の乗組員たちは一丸となって沖縄を助けに行ったのです。そして圧倒的なアメリカの航空兵力の前に沈んでいきました。生き残った人たちは,沖縄を助けることができなかったことを今でも悔やんでおられます。

 現在は岐阜県下にお住まいの亀山利一さん(現在90歳)にお話しをうかがいました。

「大和が沈むときに万歳をした。私は前方の主砲の所でしましたが,あちこちから万歳と叫ぶ声が聞こえてきた。船が横倒しになる直前,私は右舷の喫水線の所に辿り着いた。大和はそのまま沈んで行ったが,大和はまだ動いていた。」

 亀山さんは意識が失われて行く時にお母さんの顔が思い浮かんだそうです。「昭和17年にたまたま一日だけ休暇を得て帰郷した時に村葬があった。その時の模様を思い出して自分の葬儀を想像した。」

 気が付くと重油の海に浮いていました。大和が爆発して,その圧力で多くの人が吹き上げられ,それで彼は助かりました。

 亀山さんは九死に一生を得て,呉に戻ってきて残務整理に従事します。家族からの手紙を整理する仕事でした。出撃する日の朝10時に全員が最後の手紙を家族に出しています。その返事が次々に来ていますが,その中身を開封して確かめて整理するのが仕事でした。亀山さんは「肉体はな亡くなったが,魂は愛する人のもとに帰って行ったということを知った」と言っていました。

 「昨夜,ドンと足音がしたので,外に出てみたら誰もいなかった」とか「貴方が帰ってきた夢をみた」という話が手紙の中にたくさんあったそうです。

 「仲間たちの肉体は滅んだが,魂は愛する人のもとに帰っていったのだ。自分たちの思いは愛する人に届いたのだ」と,90歳の亀山さんはしみじみと語ってくださいました。

 そういう人たちが大正の人たちです。その人たちが現代日本に残したものは何か。大正生まれの人たちの誇りと毅然とした生き方,気迫,使命感,責任感を現代日本人が思い起こして,すぐ隣にいる「誇るべき人々」に耳を傾けて功績を振り返ってほしいと思います。それがいま混迷の中にいる日本の再生に繋がると,私は信じています。