卓話


最後の超大国インドと発展する日印関係

2018年10月17日(水)

)(公財)日印協会
代表理事・理事長 平林 博氏


 『最後の超大国』というのは拙書のタイトルです。インドが現在超大国であるというのではなく、15年、20年後に超大国になるかなという私のガッツフィーリングです。現在、超大国としてはアメリカについては異論なく、多分、中国、ロシアも種々問題はあってもそうだろうと思います。その後にいずれインドが来るという私の確信に近いものがあります。インドの後には超大国は生まれないでしょう。ブラジル、インドネシア等も大きな国ですが、超大国の条件の大事な所を欠いています。したがって、インドが「最後の超大国」となるというわけです。

・インド理解の五大基本
 簡潔にインドを理解するうえでカギとなるのは、私見では5点に要約できます。

 まず国の大きさです。面積はEU並みです。EUは29ヶ国でインドは29州ありますからメンバー構成も似ています。違うのは、インドの人口がEUの2.5倍位あることです。国連の予測では、2028年には世界第1位の人口になると言われています。

 2番目は「世界最大の民主主義」。インドは独立以来今まで民主主義の原則を踏みにじったことはない、途上国でも珍しい国です。軍事政権もなければクーデターもない。政治制度は安定し、国会も州議会も選挙は原則として5年ごとに行われ、選挙違反は多々ありますが、選挙結果は尊重されます。

 また、カースト制度の問題はありますが、法制上は自由その他、基本的な人権は確保されています。民主主義を支える支柱は、国民の政治参加への強い意思、これを担保する軍の文民統制、マスコミの政治監視と批判で、こうしたものがインドの民主主義を守っていると考えています。「最大の民主主義」とは人口が民主主義国の中で一番多いからです。 第3に、「多様性の中の統一」 “Unity in Diversity”、これはネルー首相が唱えました。インドは気候風土、民族、歴史、言語、地方色、宗教などがヨーロッパの2倍も3倍も多様で、州の独自性を維持しながら国家の統一を保つのは難しいのですが、うまくシステムが機能しており統一が保たれています。

 第4に、後述するように伝統的に親日です。

 第5に、世界ないしアジアの戦略的・地政学上極めて重要な位置にあります。日本にとっても重要な国です。

・多様な宗教と政教分離主義
 宗教は、ヒンズー教が80%、次いでイスラム教が15%、ほかにシーク教、仏教、キリスト教、ジャイナ教、ゾロアスター教など挙げられますが、ヒンズー教、シーク教、仏教、ジャイナ教の4つはインド生まれの宗教です。

 ヒンズー教は昔バラモン教と呼ばれており、ヒンズー教に洗練・転化して今日に至っています。イスラム教はヨーロッパにも広まりましたが、東にもやってきました。キリスト教は十二使徒の聖トマスがインドに来たと言い伝えられており、現にチェンナイ(元マドラス)には墓もあります。それからシーク教はヒンズー教とイスラム教の悪いところを除いて折衷したようなもので16世紀に発足し、男性はターバンを捲くのが必須です。

 仏教は、ヒンズー教を宗教改革したお釈迦様が紀元前6世紀に樹立し、一時はインドを覆いましたが、ヒンズー教やイスラム教に押されて、現在ではかろうじてヒマラヤ一帯にラマ教として残っている程度です。仏教の本体は大乗仏教として中国、日本に来ましたし、小乗仏教としてスリランカから東南アジアに広まって、世界の三大宗教の一角を占めています。

 ジャイナ教はお釈迦様と同じ頃に同じ場所、北インドのガンジス河流域でマハービーラが興した宗教で、一言でいえば仏教を厳格にしたような宗教です。ゾロアスター教はイラン原産の宗教で、現在は少数で6万人強です。

 インドではすべて政教分離の原則により共存しています。

・多様な言語
 言語は方言を入れると数百といわれています。ヒンディー語が公用語で、他に憲法公認の州言語が22、そして英語が準公用語です。100ルピー紙幣の裏には世界第三の高峰カンチェンジュンガ山が描かれており、その左に上からヒンディー語を始め主要な言語で全部100ルピーと書いてあります。

・インドの「影」と課題
 まず、カースト制度です。これは独立以来憲法違反となっていますが、ヒンドゥー教の教義と一体化したところがあるため、社会的には牢固として存続し、実際に差別があります。政府はこれを緩和し根絶するための様々な政策、特に最下層のダリト(以前は不可触民と呼ばれた)の地位を向上させる施策を執っています。その結果、政治指導層にも下層階級がたくさん進出しています。私が大使のころの大統領はダリト出身ですが、まことに立派な方でした。

 次に、大きな貧困層があります。しかし、貧困層は徐々に減っています。注目すべきは中間層で、毎年マレーシアの人口に相当する約2600万人の中間層が誕生しています。

 他に成長のボトルネックとして、インフラ不足、規制、格差等があります。

 国内の不安としては、政教分離を国是としていながらも、イスラム原理主義、それに対応したヒンズー至上主義の台頭が懸念されています。

 対外的な懸念は、宿敵である隣国パキスタン、それを応援する中国との関係に非常に難しいものがあります。中国の一帯一路によるインド洋への進出につき警戒心を持っています。

・超大国の条件
 面積や人口の大きさ、成長著しい経済力、国際的発言権の大きさなどが超大国となる条件ですが、インドについて強調したいのは、「戦略的自立Strategic Autonomy」の精神と外交路線です。外交面では右顧左眄しない、特定の国に傾き過ぎないことを一貫しております。もっとも、現在も冷戦以来の関係でロシアと極めて友好です。冷戦後は、アメリカを含めた多くの欧米諸国とも良好な関係にあります。しかし、あくまでも自立の精神を貫いています。

 もう一つ、核抑止力の保持です。私は1998年3月に内閣外政審議室長(現在の内閣副長官補の前身)として仕えていた橋本総理の推薦でインド大使になりましたが、5月に核実験があり、ODAの停止等を余儀なくされました。インドとの関係を2年かかって修復したのですが、インドが内外に鮮明にした核抑止力は、国際的特に日本では批判がありますが、私に言わせれば超大国の大きな条件であり、これがないと戦略的自立精神も揺らぐと考えます。

 それから、古くからの独自の文化とアイデンティティーです。やはり超大国には伝統的、歴史的遺産の大きさ、文明、文化の世界に冠たるものが必要で、今で言うソフトパワーの面でもリーダーである必要があります。

・インドはなぜ親日か
 まず、仏教を通じた精神的つながりです。仏教は6世紀、欽明天皇の頃に(一説によれば、継体天皇の頃)、朝鮮半島を経由して入ってきたとされています。その後仏教の教えが定着し、日本は仏教の一大隆盛国になりました。インドで生まれた仏教はバラモン教を改革した宗教ですが、因果応報、輪廻など教義の根っこには共通したものがあります。日印は精神的つながりが大変強いということです。

 近代になると日印関係は、1902年に岡倉天心が横山大観らと一緒に初めてインドに行きました。当時のカルカッタで詩人タゴールと親交を結びました。1903年には、まだ英国の植民地ではありましたが、早々とインドの重要性を認めた大隈重信や澁澤栄一等により日印協会が創設されます。1905年の日露戦争終結当時は、インドは独立運動の最中で、日本が大帝国ロシアに勝ったことは独立運動家たちを鼓舞しました。獄中にいたネルーも大変喜び、娘(後のインディラ・ガンジー首相)に送った手紙に、「日本がロシアに勝った。初めてアジアの国がヨーロッパの大帝国を負かした。これからはアジアの時代が来る。我々も頑張ろうじゃないか」という趣旨を書きました。

 英国によるインド弾圧がますます激化すると、一部のインドの独立運動家は日本に亡命しました。よく知られているのは、二人のボースです。シンガポールでの日本による英国軍の降伏を契機に、約5万人のインド人将兵たちはインド国民軍を創設します。この国民軍とともにインド独立連盟を創設したビハリ・ボースは、新宿・中村屋の娘と結婚して、日本の土になりました。1943年にはもう一人のボース、チャンドラ・ボースが日本にやってきます。当時ドイツに亡命していたチャンドラ・ボースが日本の要請で日本に来ました。彼はインド国民軍の司令官、独立連盟の総裁になり、インパール作戦にも参画しました。

 1945年8月15日に日本が降伏すると、チャンドラ・ボースは行き場所がなくなり、ソ連に行こうとした途中の台北で飛行機事故により亡くなりました。当時、台湾は日本の領土だったため、遺灰は台北で日本人により荼毘に付され、日本に持ち帰りとなり、以来杉並区の蓮光寺に安置されています。

 戦後、1947年8月にインドは独立します。パキスタンも分離独立し、インドは分割された訳です。1949年にネルー首相が上野界隈の子供達の願いを聞いて、仔象を上野動物園に寄付しました。名前は娘インディラの名前がつけられました。

 1952年に日印は国交樹立します。前年のサンフランシスコ講話会議に、ネルーはインドが求めたものがこの講和会議では得られないと参加を拒否します。求めたものとは、日本を名誉ある国際社会の一員として復帰させることでした。インドは台湾も日本の帰属のままにしようと考えていたようです。しかし、インドの主張はアメリカその他の連合国によって退けられましたので、インドは参加を拒否したのです。1年後にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は正真正銘の独立を回復しました。その日本とインドが対等の立場で講和条約を結んだのが1952年の4月です。インドは賠償も放棄しました。

 その後の日印関係はいろいろな出来事がありました。1982年には自動車会社の国営マルチ社と我が国のスズキ自動車が合弁を設立し、自動車産業を活性化しました。1991年に第一次湾岸戦争によりインドは外貨危機に陥りましたが、後に首相になったマンモハン・シン大蔵大臣が来日して橋本大蔵大臣にかけあい緊急融資が行われ、危機を脱しました。今でもマンモハン・シンさんは「日本の緊急融資がなければ今日のインドはなかった」とインド国内あちこちで言ってくれています。

 1998年に核実験があり、日印関係は一歩後退しました。私は日印関係修復のために2年有余努力し、ようやく2000年8月に森喜朗首相に来て頂いて、「日印グローバル・パートナーシップ」を樹立しました。翌年には9.11テロがあったため、インドにテロとの戦いに参画してもらうために対印ODA(円借款)停止を解除しました。この日印グローバル・パートナーシップは、その後、小泉首相の時代に「戦略的グローバル・パートナーシップ」に、2014年には安倍首相に引き継がれて「特別戦略的グローバル・パートナーシップ」に昇格し、今日に至っています。

 最近の日印関係の進展ぶりについては省略させていただきますが、多くのメガプロジェクトが日印間で進んでいます。

 最後に、私の書いた本『最後の超大国』には、スズキ会長の鈴木修さんや田原総一朗さんなどに推薦をしていただいていますが、インドの全体と日印関係を読みやすい形と文章でカバーしていますのでご高覧いただければと思います。