卓話


iPS細胞がひらく新しい医学

2017年2月8日(水)

京都大学iPS細胞研究所
所長/教授 山中伸弥氏


 私の一番の恩人は父です。昭和5年生まれで生きていたら86歳になります。父に感謝していることは、私を医学の道、研究者の道に導いてくれたことです。

 父は東大阪で小さな町工場を経営していました。私は一人息子で父の会社を継ぐのが定めだと思うのですが、私が高校生ぐらいの時から、「仕事は継がなくていいから、医者になれ」と言うようになりました。父は仕事中の怪我で輸血し、それが原因で肝炎になってしまいました。当時、原因もウイルスもわかっておらず、肝硬変になり、みるみるうちに健康を失っていきました。そうしたことがあり、医学に対して興味を持ち、息子に医者になってほしいと思ったのかもしれません。私は医学部に進みました。

 そして、1987年に研修医になりました。その頃、父は随分悪くなっていました。医者になりたての私が点滴などをしてあげると、苦しい中でもとてもうれしそうな顔をしていたのを覚えています。しかし、残念ながら、私が医者になって2年目に父は亡くなりました。57歳でした。せっかく臨床医になったのに、父の命さえ救えなかった。そのことが本当に悔しくて、今の医学では治せない病気や怪我の患者さんを時間はかかっても将来治したいと思うようになり、その結果、医学研究を始めました。

 父が亡くなった年、アメリカで父の命を奪った原因がC型肝炎ウイルスだと同定されました。原因がわかり、世界中の医学研究者が治療法を探しました。その成果として、最近、ハーボニーという特効薬が日本でも販売されるようになりました。一日1錠3ヶ月飲むだけで(治験では)99.9%の患者さんからC型肝炎ウイルスが消失する薬です。この薬が開発されるまでに、原因がわかってから26年かかってしまった。これは他の医学研究も同じで、20年、30年かかるのがざらです。これが、私達が戦っている仕事です。

 私は臨床医を終え、研究者になろうと大学院に戻りました。さらにトレーニングを積もうと、1993年、31歳でサンフランシスコに行きました。留学前、米国の研究環境はどれほど日本と違うのだろうと思っていましたが、米国のほうが古い機械を大切に修理しながら使っている印象でした。しかし、トレーニングや教育の面で、やはり非常に優れていました。そのお陰で研究は順調にいき、いくつか大切な仕事で成果を出すことができました。自分では研究者として才能があると自信を持ち、1996年、34歳で日本に戻りました。

 ところが帰国すると、うまくいきません。留学中に何度も論文を掲載してくれていた米国の科学雑誌に投稿しても、拒絶されることが続きました。そこでやっと、留学中はボスや大ボスの力で論文が通っていたことに気づいたのです。後ろ盾がなくなると全然駄目だというそんな大切なことがやっとわかり、呆然としました。研究者としてやっていく自信がなくなり、病気になってしまいました。「PAD (Post America Depression)」という自分達で勝手に名付けた、いわゆる鬱病です。元々研究を始めたのは、父のような当時は治せない病気を将来治したいという思いからでしたが、そんなのはとても無理だと思いました。臨床医に戻って病院に勤めようとする直前までいきました。

 そこで踏みとどまったのも、父のお陰です。母親から電話がかかってきて「昨日、お父ちゃんが夢枕に立った。伸弥にもうちょっと考え直すようにと言っていた」と言われたのです。研究を続けました。

 その結果できたのがiPS細胞です。正式名は「人工多能性幹細胞」です。人工的に作り出した細胞で、特徴は多能性。平たく言えば、万能細胞です。4つの遺伝子をネズミや人間の皮膚の細胞に同時に送り込むと、見た目や性質が変わり、万能細胞になります。

 iPS細胞は、二つの能力を持っています。一つ目はほぼ無限に増やすことができること。場所とお金さえあれば、1億個、100億個、何兆個と増やせます。

 二つ目の能力は、増やした後、いろいろな刺激を加えると、iPS細胞から脳、心臓、血液、関節の軟骨などのあらゆる細胞を作り出せることです。万能細胞と言われる所以です。

 最初は皮膚の細胞から作りましたが、今ではいろいろな細胞から作ることができます。今最も多いのは血液です。

 この技術を10年前に手にし、今、私達は再生医療と薬の開発に取り組んでいます。
 今、父と同じ病気は薬で治るようになりましたが、そうした薬がなかった頃だと仮定します。肝臓の病気で原因がわからない。研究者は当然、肝臓の細胞を使い原因の追及と治療法の開発をしたい。しかし、人間の肝臓の細胞はなかなか手に入りません。細い針を刺してごくわずかな肝臓の細胞を患者である父親から取ることはできても、ほとんど増えないためすぐ無くなってしまいます。また、父親の肝臓は病気になった後のため、病気になる過程は見ることができません。

 ところが、iPS細胞技術を使えば、父親から少しだけ採血してiPS細胞を作ることができ、大量に増やした後、肝臓の細胞をもう一度iPS細胞から作ることができます。父親は57歳で、肝硬変の非常に悪い状態になっている訳ですが、iPS細胞を作ると、その段階で一旦、0歳の状態に細胞が若返ります。タイムマシンのように、病気になる前の肝臓の細胞を大量に研究者が使えるようになります。これによって、肝臓の臓器そのものを移植しなくても、健康な肝臓の細胞を移植するだけで機能を再生することができるかもしれない。これが再生医療です。

 再生医療の研究は肝臓以外でも進んでいます。心臓移植は日本ではなかなか行えないため、心臓の筋肉の細胞を元気なiPS細胞から作って移植しようとしています。脊髄損傷の方にiPS細胞から作った神経の元の細胞を移植して麻痺を回復させる、脳内の特殊な神経細胞の機能障害で起きるパーキンソン病の患者さんには、iPS細胞から作った神経細胞を脳に移植して治療するなどがあります。iPS細胞を使った再生医療は日本が世界をリードしています。

 もう一つは、薬の開発です。iPS細胞から作ったそれぞれの病気の細胞を研究者が実験室で使って原因を探す。そして、原因がわかったら治療法を探す。C型肝炎治療薬の開発は、原因がわかってから26年もかかりました。でも、今ならiPS細胞の技術で短縮できると思います。治療薬が開発されていない病気はまだ何百とあります。そうした病気の患者さんのiPS細胞から、病気になっている部分の細胞を大量に作って製薬会社や大学で薬の開発を一生懸命に行っています。

 私自身は、再生医療と薬の開発の研究を日本と米国で行っています。日本では京都大学に加え、1年前から湘南にある武田薬品工業の研究所でチームを作っています。米国は、私の留学先だったグラッドストーン研究所で、2007年から小さなグループを持ち、10年間休まずに毎月行き来しています。

 留学時代から10年ぶりに古巣のグラッドストーン研究所に戻った時、びっくりしました。一つは、留学当時、研究所は築100数十年の古い病院内にありましたが、光り輝くような素晴らしいビルに移っていたこと。もっと驚いたのは、当時、一緒に働いた秘書、動物の飼育をする人や、論文校正者、難しい実験を専門的に行う技術員など研究を支える人がみんな残っていたことでした。日本の大学の研究支援人材は数年単位の有期雇用で、10年もたてば入れ替わり、残っているのは国家公務員と同じような立場である教授と事務職員ぐらいというのが普通です。米国も国立衛生研究所(NIH)からの助成金は日本と同様に数年単位でしか交付されず、NIHも財政が厳しいと聞いていたため、どのように研究支援者の長期雇用や新しい施設建設をしているのかと思いました。わかったのは、米国ではそれらを寄付で行っているということです。

 米国の研究所長、大学の医学部長、総長らの仕事の半分以上は寄付の募集です。私も所長として同じように頑張ろうと、2009年に「iPS細胞研究基金」を創設し寄付募集を始めました。

 その一環がマラソンです。ゼッケンには番号ではなく名前を書いています。iPS細胞の毎年の進化をマラソンでも見せたいので、毎年タイムを上げることを自分に課し、本当に死ぬ気で走ります。大変ありがたいことにマラソン一回で1000万円近い寄付をいただくこともあります。しかし、私達の研究所も500人の大所帯で、彼らの雇用を守ったり、研究環境を整えたりしようとすると、国からいただいている支援の他に最低でも年間約5億円かかります。1回走って1000万円ですと、年間5億円を集めようと思ったら、毎週走る必要があります。今年は4回走るつもりですが、「それ以上は勘弁して」と基金の担当者に泣きついたところ、振り込み用紙請求用のフリーダイヤルを設けてくれました。0120-80(ハシレ)-(−)8748(ヤマナカシンヤ)です。

 こうして話している間も500人近い人間が一生懸命研究活動をしています。iPS細胞はいろいろな難病の方の細胞から作っており、もはや細胞ではなく、患者さん自身です。その患者さんはどんどん悪くなっておられますから、時間との競争です。しかし、まだまだ時間はかかります。マラソンのように長期戦ですが、これからも力を合わせて頑張っていきたいと思います。これからもご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。