卓話


新世代のための月間例会
「教育現場を離れて5年」

2006年9月6日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

カトリック サレジオ修道会
サレジオ工業高等専門学校(旧育英高専)
元校長 フランス・ヘンドリックス氏 

第4115回例会

 私は50年間,学生と共に学んできました。その間,戦争を経験している親の子供たちが入学してきた時期と戦争を全く知らない親の子供たちが入学してくる時期がありました。

 1985年〜1995年の時期に入学してきた学生たちです。私は,学生たちをV型・U型・L型の三つのスタイルに分けて考えました。

 V型は,初めは張り切っていますが,入学して2〜3カ月して新しい環境に慣れてくると落ち着きます。自分の才能を活かせる場所が学校にあると考えて,一生懸命やります。

 U型のタイプは,入学して2〜3カ月の間は新しい環境に悩み,それからも,同じところをぐるぐる回るような感じで時を過ごします。でも結局はりっぱに卒業していきます。
  
 もうひとつのL型の生徒はV型・U型の生徒と同じように入学してくるのですが,中学では遊んでばかりいて先生にも相手にされなかった子供たちです。L型の子供たちは家庭でも着陸しない(居場所がない)学校でも根をおろせなかったという子供たちです。卒業するまで,ずうっと同じような調子,気持ちを掴めないと思うことばかりでした。

 親との関係ですが、戦前・戦中派の親を持つV型の子供は25%、戦後派の親を持つV型の子供は15%でした。戦前・戦中派の親から生まれた子供の中でU型タイプはコツコツタイプです。伸びてきます。いろんなことに興味を示します。クラブもやります,なんでもやります。そういったグループは40%でした。掴みところがなかったL型のグループは35%でした。

 それらの子供たちにも変化が起こります。V型タイプの子供たちは,真面目で成績のよい子たちですが,成績の下がる子が増えてきます。U型タイプは戦争体験の無い戦後派の親を持つ子供の中で65%を占めています。L型タイプの子供たちもさらに成績が落ちる子がでてきます。

 なぜこういう変化が起こるのかが問題のポイントです。学校に入ってくるということは,学ぶために来るということです。学ぶには能力と意欲が関係します。能力は行動力と判断力をつくります。意欲は喜びに関係します。

 U型タイプの子供たちは迷うことの方が多いのですが,後にリーダータイプになる若者だと思っています。このタイプの者は自分が何に向いているかということを,なかなか掴むことができないでいるのです。でも頑張っています。クラブ活動のなかでも人間味があふれてくるのです。堅さがなくなります。人間味が出てきます。だから私は,U型タイプはリーダーシップをもっていると思いました。

 L型タイプの子供たちは,家庭の問題だ,学校の問題だとはいえません。明確に私たちの社会のなかで現れた問題だと思います。

 V型タイプの子供たちは能力と意欲があります。頭はいいです。努力しなくてもできるタイプです。何の手助けもいらない、自分だけで成功します。何の支えもいらないということで、冷たい人間になることもあります。

 もう一度,親のことを考えてみましょう。

 戦前派・戦中派の親は学校に対して希望がありました。子供たちにも夢がありました。その希望と夢は具体化できました。例えば電気工学科に入学すれば,そこを卒業して,必ず、学んだ電気工学を基礎力として会社に就職しました。

 一方の戦後派は、親も子供も、自分が中心です。親も子供も自分が生き甲斐で,親子の交流があまりありません。

 社会の変化もありました。中間管理職が消えてしまったことです。テクニックエジュケーションを受けたグループは着陸できないのです。自分の将来はどこにあるのだ,せっかく勉強したことは古くなっていて役に立たないという状態です。

 家庭が崩れます。子供たちが家庭から離れます。学校と家庭の連絡も薄くなります。

 この状態が1985年〜1995年の時期に教育現場のなかで起こった危機でした。私も切り替えに悩みました。教師の側から教えることと若者から応えることの接点を探るのは苦労を要することでした。

 私がどんな教育を準備しているのかということをイメージとして理解しください。

 戦後,西洋の考え方がどうして日本にうまく浸透しなかったかを考えてみましょう。

 西洋の特色として麦をイメージしてください。麦を一人で畑に播きます。麦は土の中で育ちしばらくして,真っすぐ太陽に向かって伸びます。

 日本で米をつくる時はどうでしょう。苗床をつくって,そこから水田に植え替えます。その違いがポイントです。

 西洋の考えで日本の教育をすれば失敗します。日本の伝統、日本の文化、日本の文明は日本人の心の底,家庭の中に生き残っているのです。生き残っている伝統を土台にして,教育現場で育てていくことが必要です。

 西洋の子供は,いつも独立姿勢です。真っすぐ,真っすぐです。軸になっても,りっぱな麦になっても必ず真っすぐです。

 日本では,水田に植えた稲は,りっぱになると同時に頭を下げてきます。ここでキャラクターの違いがあります。

 日本の若者は,「真っすぐ」と「個人」を身につけました。これは間違っていると思います。自分の文化,文明は無視することはできません。今の日本の若者は自分の国,自分の文化,自分の文明を知りません。いちばん弱いところです。

 歴史を知らない,プライドがない。だから喜びがない。そういうなかで私はいくつかのキーワードを残しました。

 画像人間。子供たちは画像人間になってしまいました。コンピュータのスクリーンと自分,携帯電話も画像です。すべて画像です。そうなると,親は子供が分からなくなります。子供たちもコミュニケーションは苦手です。人間と人間の付き合いができなくなりました。これは恐ろしいことです。

 親という漢字を,木のうえに立って見るという意味ととらえると,親としての新しい角度からの役割があると思います。

 私が校長をしていた時,問題を起こした生徒の親は決まって「もう,うちの子は大人だから…」と言います。その言葉を聞くと私はがっかりします。子供も立場がなくなります。そこで私は,オヤジの会を作りました。お母さんは呼びません。夜の7時が開会です。ウイスキーを飲みながらお互いに話を聞く。そこで初めて、お父さんは自分の息子に話すことができたのです。

 オヤジの声を聞くという大切なことを始める出発点でした。やっぱり,お父さんの役割は,失ってしまった社会の中にありました。

 次は,板かまぼこ型です。今の若者は板かまぼこ型の人間です。かまぼこの板には匂いがありません。その上に,魚のすり身が一かたまりになって乗っています。キャラクターはありません。

 今の子供たちは,特色がありません。赤信号も一緒に渡れば恐くないという感覚です。左に行けばみんなが行く。一人では存在できない。そういうところで私たちは、自分たちの大人としてのイメージがあるはずだと思います。ところが,はっきり言って大人のイメージ、親の姿がないのです。

 今の板かまぼこ型の子供たちは親の姿がほしいのです。

 三つめのキーワードは,コンビニエンススタイル,便利屋です。努力しない、我慢しない。ほしいものはすぐに手に入れる。そういう子供たちが増えています。

 私は若い者を通して人間になりました。私はある学生に、「我慢しなさい。我慢できない人は役に立たないのだよ」と何回もくどくど言っていました。ある時,研究室で学生全員がそろうのを待ちました。だいぶ時間が経ちましたが私は何も言わずに我慢しました。やっと全員がそろったので授業を始めました。授業が終わった時,私がいつも文句を言っている若者が「先生。今日は我慢しましたね。」

 その時から私は,先生たちにも学生たちにも口やかましく注意することを止めました。

 人間は言葉で教えません。人間は自分の生きた態度で教えるのです。これがポイントだと気づいたからです。

 私は,戦争を知っている世代と戦争を知らない世代の移り変わりの中で,多くの変化が起こっていることをお話ししました。

 見失ったのは,家庭の雰囲気です。そして昔と今と明日のつながりが薄くなりました。子供たちは,なんでも欲しいものはすぐに手に入ります。我慢しなくてもいい社会です。周囲が便利屋さんの世界では,親がどんなモデルになるかがポイントです。

 教育は物を作る場ではありません。人間の将来についてのチャンスを与える場です。だからこそ今の教育に興味と希望をもったほうが将来は明るくなるのではないかと思います。