卓話


泥棒美術学校

11月17日の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

明星大学造形芸術学科教授
画家
 佐々木  豊 氏

第4032回例会 

 ただいま私を紹介してくださった小西錢也君は,私の絵を最初に買ってくれた人です。たいへん恩義を感じております。その後,何度か彼の家に招かれまして,食事をいただきましたが,その絵が壁に掛かっているのを見たことがありません。

 それはそうでしょう。小西君には,3人のお嬢さんがいらっしゃいます。女体に蛇がからまっているような絵は教育上よくない。(笑)

私が『蛇』を描いていたころ,やはり,私の絵を集めてくれていた人がおりました。お鮨やさんです。そのお鮨やさんが,ぼくの顔を見る度に,「飯が不味くなるような絵を描け」と言うのです。「いい絵というのは,飯が不味くなるような絵だ」一方で「絵かきは,旨いものを食わなければ駄目だ。だから,俺のにぎった鮨を食わしてやるから,来い」と言うのです。

 分かったようで分からない話ですが,今となれば,よく分かります。飯が不味くなるような絵を,いちばん多く描いたのはピカソだからです。

ピカソは「壁のカーテンの代用になるような絵は,金輪際描かない」と言っています。今,東京都現代美術館で,ピカソ展をやっております。たしかに天才なのですが,実はカンニングして描いているんですね。

 大原美術館の館長で高階秀爾という優れた評論家が『ピカソ 剽窃の論理』という本を書いています。それによりますと,「立体派時代以外の,すべてのピカソ作品は,先人の絵の構図を盗んで描いている」と解き明かしています。

 芥川龍之介も「あらゆる古来の天才は,我我凡人の手の届かない壁上の釘に帽子をかけている。尤も,踏み台はなかった訣ではない。その踏み台はどこの古道具屋でも転がっている」と書いています。

 では,どのように,ピカソがカンニングしたか,踏み台はどのようなものであるか,私や現代の画家を含めてスライドで示しながら,お話ししてみたいと思います。

 中学3年の教科書にも載っている,このピカソのデッサンが,ルネッサンス期の少し後の画家ドナテッティロのレリーフを見て描いたということは歴然としています。

 ただ,ピカソの偉いところは,線でもって影をあまりつけないで,立体を表すという頑固としたコンセプトがあるということです。

 ルノアールを描いた,このピカソのデッサン。実際にルノアールをモデルにして描いたものとばかり思っていました。ピカソはルノアールの写真を見て描いたのですね。5〜6年前に東急文化村ギャラリーで,ピカソが参考にした写真と,その絵を並べた展覧会を見ました。少しがっかりしました。「踊り子のオルガ」もこの写真を見て描いています。

 ピカソのこの「自画像」は,平面上に形態をはっきりと実現させようとする立体派の強い考えが表れているものです。アフリカの彫刻から影響を受けています。ピカソ自身も,アフリカの黒人彫刻に近いものを,作っています。

 ピカソの『泣き女』ですが,それに刺激を受けて池田満寿夫も,『泣き女』を描きました。2人とも,何度も結婚をしたところが共通点です。(笑) 晩年の池田満寿夫と,僕は3度ぐらい対談をしましたが彼は,二言目には「ピカソ。ピカソ。」と言っていました。

 絹谷幸二も,やはりピカソの影響を受けました。私は対談で「この絵は,ピカソの泣き女からとったのかい」と聞いたことがあります。絹谷は「そうだけど,これは女じゃない。うちの子が夜泣きして眠れない。腹が立って描いたらこういう絵になったんだ」(笑)。そのお子さんは,いまブラジルで彫刻家になっています。

 こういうふうに,ひとつの絵が連鎖反応で新しい絵を生むわけです。それが美術の歴史です。

 絹谷幸二は昨年こちらで話をしたそうで,ご記憶の方もいらっしゃるでしょうが,イタリアのデ・キリコに傾倒しました。

 キリコは,西洋の古道具屋にころがっているような建築物の破片を組み合わせて,この人物像を描いていますが,絹谷幸二は興福寺のそばで生まれ育ち,子どものころから馴染んだ仏像とか木材の破片を組み合わせて描いています。コンセプトは同じで,描かれる題材が変わっているわけです。

 『草上の昼食』はマネの代表作ですが,これをアレンジして描いたピカソの絵は有名です。そのマネもラファエロのエッチングの右の部分からとって描いています。

 ルーブル美術館にある,作者不明である乳房をつまんでいるこの『絵』ほど,みんなが寄ってたかってバリエーションを描いた絵は,ほかにありません。金子國義という画家は,この絵からヒントを得て,いい絵を描いています。

 有元利夫は,5〜6年前に三十何歳で亡くなり,死後も評価の高い画家ですが,彼の安井賞を受賞した絵にも,参考にしたと思われる人物像が見られます。

 私の好きなウンダーリッヒの絵もこのルーブルの名画からのヴァリエーションを描いています。

何が描いてあるか分からないような落書きや壁のしみを見ていると,別なイメージが浮かんできます。私は,そのようにして浮かんできたイメージをもとに描くことがあります。美術雑誌で,僕がライバルだと思っている絵かきを尋ねて,イマジネーションの出所を解明する連載をしました。みんな正直に答えてくれました。

 遠藤彰子さんは,かつての砲丸投げの高校記録保持者です。手本にしている絵かきはボスです。ボスというのは,北欧ルネサンス期の画家で,人物を大画面に無数に描いた人です。遠藤さんの作品を見ると,1つの画面に2千人ぐらい描いている作品があります。子どもを育てるときに,遊園地で,日がな一日,子どもを見ながらデッサンを描きまくって,スケッチブックが天井まで届いたという伝説の持主です。お産した日も描いたそうです。いま,朝日新聞の朝刊の連載小説に挿絵を描いています。

 僕の絵で,東郷青児美術館大賞をいただいた絵がありますが,その元になったのが,この写真です。新聞の鯉のぼりの写真を切り抜きして,一年ぐらい経って改めて見てみると,鯉が女に見えてきたのです。それでこの絵を描いたのです。

 地下鉄に乗っていて,ぼくの席の前の人が読んでいる新聞の写真をこちらから眺めていて,イメージが浮かんできて,描いた絵もあります。

 僕は,写真を見る場合でも,あまり近くで見ないようにしています。例えば,この女が寝そべっている上を鳥が飛んでいる絵。元になった新聞の切りぬきですが,最近近づいて見て分かったのです。ねぎを束ねた写真であることが,束ねた紙ひもの先が遠くから鳥にみえたのですね。ねぎだと分かってしまえば,もう。ねぎの絵しか描けません。

 ぼくのアトリエには,絵を描くときのインスピレーションを受けそうな切り抜きとか,絵葉書などが,ごちゃごちゃに貼ってあって,ネタに困ると,ここで次の絵の構想を練るというのが,ぼくの描き方です。