卓話


最近の英国事情 

4月13日(水)の例会卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

前在英国 日本国大使 
折田 正樹 氏

第4050回例会
 
イギリスは歴史と文化の豊かな国です。歴史の試練を経て議会制民主主義を作り上げましたし,世界最初の資本主義を作った国でもあります。我々は,ともすると古いイギリスということに目がいってしまうのですが,現在のイギリスは,王室制と議会制民主主義を維持しながら,絶えず改革への努力を続け,大きく変わってきています。

5月5日に総選挙が実施されます。予想では,ブレア労働党政権は議席数をかなり減らすとしても,なんとか過半数を維持できるのではないかとみられております。ブレア氏への信頼度が問われて,たいへん厳しい状況にあるのに労働党が有利というのは,イギリスの経済運営がうまくいっているからだといわれています。労働党政権が始まったのは1997年ですが,メージャー氏の時代の92年以降,一度も景気後退がありません。経済成長率は着実に毎年1%から3%の間を維持しています。失業率も5%を切っておりまして,最近のイギリスでは最も低いレベルにあります。

イギリスの今の経済運営方式は市場経済重視,規制緩和,民営化です。サッチャーさんの保守党政権以来の経済路線を引き継いで,さらに社会正義の観念とか教育の平等という観念を加えているという形になっています。

 イギリスの経済は第二次世界大戦直後に大きな変化がありました。アトリー政権は「ゆり籠から墓場まで」という福祉国家をあっという間に作りあげました。主要産業を国有化しましたが,これが段々うまくいかなくなりまして60年代後半から経済の停滞が始まり,労働争議が多発し,いわゆる「英国病」といわれる状況になったわけです。サッチャーさんになった時に政府支出の大幅削減,大幅規制緩和,国営企業の民営化が始まりました。

 ブレア政権の労働党政権では,労働党左派の主張を押さえて,党の綱領から「国有化を目指す」というような条項を外して中道の方に動いておりまして,今回の選挙で,たとえ保守党が勝つようなことがあっても予算配分の重点の違いはあるにしても基本的な経済運営の方向に変化はないとみられております。

 イギリスの経済の姿は90年代から大きく変わりました。製造業から金融・証券,IT産業などのサービス産業へとシフトを変えております。今,製造業で働く人は労働者人口の13%です。20年前と比較しますと30%も少なくなっています。他方サービス産業で働く人は78%で,20年前の38%増という状況です。かつて頻繁にあった労働争議はほとんどなくなってしまいました。統計によると,ストライキによる労働喪失日数は最高時の79年に比べて60分の1になっているということです。

ロンドンのCITY といわれる金融の中心地域で大幅に規制を緩和した結果,市場はたいへん活発化しておりまして,イギリス国内の民間銀行の総資産は10年間で3倍になりました。イギリスで免許を受けた184の銀行,EU諸国で免許を受けた377の銀行の支店,EU以外の国で免許を受けた113の銀行,合計で674の銀行が競い合っています。

 CITYでは,多くの外国企業が活動しています。ロールス・ロイスやジャガーも実は外国資本の下にあります。ニッサン,トヨタも活躍しております。これをウインブルドン現象といわれているのですが,ウインブルドンでのテニスは,プレイしているのはイギリスの選手でなくて外国の選手がいっぱいだというところからきているそうです。

電力供給の免許は地域別に与えられるシステムになっていますが,ロンドンへの電力供給はフランスの企業です。日本の新幹線タイプの車輌がケント州アシュフォードからロンドンまでの間を走ることになりました。

イギリスは階級社会だといわれてきましたが,これがだいぶ変わってきました。

かつて労働者階級と上流階級は分かれていて,着ているものから話す言葉まで違うといわれました。My Fair Ladyの世界です。生まれながらの貴族,地主,資本家などの少数の人たちが子どもをパブリックスクールに入れて,オックスフォード,ケムブリッジのエリート校に送り,その階級が支配するというイメージは,だいぶ変わりました。サービス業が増えた結果,プロフェッショナルな人や知的労働者が増えてきて,昔的な「資本対労働」とは異なる姿になってきました。

貴族も,世襲貴族もありますが,一代限りの貴族として,いろんな分野から任命されるいます。一代限りの貴族は,去年までで572名おられましたが,毎年新しい人が任命されております。任命される人は,労働組合の出身者であったり学校の先生であったり文化人であったり,いろんな方々です。いわゆる昔の貴族という感じではありません。

Sirというのは準貴族の称号です。いろんな人がSirになっています。オックスフォードやケムブリッジの出身者が世の中を牛耳っているという姿も変わってきました。私が最初にイギリスに参りました65年ごろの大学進学率は7〜8%だったと思います。それが80年代で10%に,今は42%になっています。日本とあまり変わりません。 労働党政権は,それを50%にしようとしています。大学の数も,60年代では,オックスフォードやケムブリッジを含めて17〜18校に過ぎなかったのですが,今や90校。それに加えて大学なみの高等教育学校が70校近くあります。

大学も「象牙の塔」として実社会から一歩おくという形ではなく,世の中と一緒にいこうという姿勢で産業との連携も図っています。最初にアメリカにできたビジネススクールを、オックスフォードは,あれは学問ではないと馬鹿にしていたきらいがありましたが,ついにオックスフォードもケムブリッジも,ビジネススクールを作るに至っております。

このような,イギリスの経済や社会構造の変化によりイギリス全体は活性化されていますが,問題がないわけではありません。確かに民間は活性化しましたが,鉄道,学校,病院といった公共投資の部分の施設の整備や運営に問題が生じています。

例えば鉄道についてみますと,線路を管理する会社と汽車を運営する会社…これは地域別に違うのですが…を全部違う会社にしてしまったわけです。線路を整備する場合の優先度が分かりにくく,必要なところにお金が回らないという状況があります。

 病院については,PFI(Private Finance Initiative)とかPPP (Public Private Partnership)という考え方の下に民間の資金,能力,技術を活用して早めに整備しようとしています。また, Foundation Hospitalと称して,病院に自主運営権を与えて,病院がよい医者を集め患者数を増やし財政を改善するというアプローチをしたりしています。公的部分に民間の知恵と競争原理を導入する考えであろうと思います。

社会構造は階級制度が薄くなり大衆的社会に向かいつつあります。その結果,国民全体の教育水準は高くなったと評価する人が多いのですが,大学が産業に直結することに重点をおきすぎた結果,基礎数学,基礎物理だとか,古典,哲学などの学問がなおざりにされているのではないか。実務的な能力に優れた人間は育っているが「noblesse oblige」の意識をもち,世界のことを考えて,自分がやるんだという気概をもった若者たちが育たなくなっているのではないかというような議論もあります。

イギリス人はいろいろな問題を解決するにあたって,考え方が非常に柔軟です。現実主義的だということです。大胆な社会転換を試みることがあっても,同時に,何か問題があればすぐに改善策を考えます。

新政策の実施には,それぞれの段階で大きな議論をしますが,100点満点主義ではなく,70〜80点ならやってみるという考え方です。

イギリスには憲法の成文はありません。法律のかなりの部分が成文でないところでてきています。過去の積み上げによるものだけです。議会制民主主義といっても,最初は王権と封建領主の対立の中で,王権をどう制限するかというところから始まったものてす。議会制民主主義がいちばんいい制度であっても,多くの人は決して完璧なものであると思っていません。人間のやることは100%完璧はあり得ない,間違いがあるのは当然であって,間違いがあれば正すことが大事なのだという考え方の人が多いのがイギリスです。

イギリス人は感情的にならないで議論をすることに慣れています。小・中学校で訓練するディベートによって,物事には反対の側面があるということが子どものころから分かっていると,現実主義的な,柔軟性のある思考方式になるのだと感じます。新しい局面で新しい考え方を次々と生み出してくるイギリスという国は,小さくなったとはいえ魅力の尽きない国であると思います。