卓話


911を経験して

2017年8月30日(水)

ステート・ストリート信託銀行(株)
取締役会長 高橋秀行氏


 最初にステート・ストリート信託銀行について簡単にお話しします。アメリカのボストンに本社があり、設立は1792年で、アメリカの上場企業で250年以上続いている8社の一つです。当初は海運に対する銀行業務をし、投資信託が発明されるとその管理業務に特化するようになり、現在は機関投資家向けに株、債券等の管理等を行う専業銀行です。全世界で約3300兆円をお預かりしています。日本には30年前に拠点を開き、東京と福岡で合計400名14ヶ国の人間が働いており、私は3年前から勤務しています。それ以前は35年間野村證券に勤め、2000年から2007年まで勤務したNYで911を経験しました。

 当時、野村證券のオフィスは飛行機が突っ込んだワールドトレードセンター(WT)の真向かいのワールドフィナンシャルセンタービルの17階から22階を使っていました。朝8時半頃、突然地面が大きく揺れ、マンハッタンは地震がないと聞いていたので、「一体何が起きたんだろう」と思いました。すぐに「WTが火事になっている。心配しないでそのまま残って下さい」と館内放送がありました。100階建てビルの最上階が燃え、そこからガラスの破片や書類などの燃えた物が、雲一つない青空に雪のように降るのが見えました。

 やがて鎮火するだろうと思っていたところ、轟音がして隣のビルに飛行機が突っ込み、真横に火柱が吹き出しました。その時、館内放送が変わりました。「飛行機がこっちに向かっている。今すぐ避難してくれ」。22階から避難しました。2つある非常階段の片方はとてもスムーズなのですが、私が降りていた方はゆっくりで人がたくさん詰まっていて、反対側に手すりを乗り越えて行ってしまおうかと思ったのですが思いとどまりました。結果、スムーズに降りている非常階段は飛行機がぶつかって燃えている方に出口があり、私が降りた非常階段は反対側の安全な方でした。

 携帯電話で一切連絡がとれなくなりました。当時、私達のオフィスのすぐ前がハドソン川で、対岸のニュージャージー州に小さなオフィスを借りていました。そこなら電話もできるだろうと、フェリーに乗り込みました。最後のフェリーでした。途中で振り返ると、既にWTビルは倒壊し、あたり一面もの凄い粉塵と煙でした。

 対岸に渡ると、既に警察、消防等の緊急車両以外立ち入り禁止になっていました。タクシーも一切ありません。そうした中で、路上に停めた車を出そうとしている人がいたので、車の前に立ちふさがって初めてヒッチハイクをしました。「いやだ。急ぐんだ」と言われ、「金ならいくらでも出す。とにかく乗せてくれ」というやりとりを20分以上して、そのヒスパニックのお兄さんは根負けして車に乗せてくれました。そこで初めて、「ペンタゴンもやられている、これはテロだ」と聞きました。

 オフィスまで辿りつきましたが、そこも立ち入り禁止。近くのホテルまで歩きました。しかし、ホテルも同じような人で溢れて、宿泊予約がある人しか中に入れない。予約があると言い張って、押し問答していた時に携帯電話が鳴りました。ロンドンの同僚からで、携帯電話がつながり始めたこと、多くの社員が無事だと連絡がきていることを聞きました。

 テロから3日後、特別にオフィスに入れてもらいました。電気も何も来ておらず、地下2階から22階まで沿岸警備隊に守られながら上がりました。全ての階のWT側の窓ガラスが爆風で吹っ飛び、室内はWT崩壊時の破片が散乱し、役員会用のテーブルの上には、隣のビルの柱の一部だった大きな鉄の塊が乗っていました。FBIから証拠保全の為に立ち入り禁止を命令され、半年以上オフィスに戻れない状態になりました。

 当時、ニュージャージー郊外、ニューアーク空港から車で一時間以上行った所に2000年問題の危機管理用にオフィスを借りており、そこに行くことになりました。社員は1200名ですが、入れるのは250名。そのため、マンハッタン、ロングアイランドなど全部で10ヶ所に仮オフィスを大急ぎで借りました。

 落ち着く間もなく、今度は炭疽菌騒ぎが起きました。不安から、「炭疽菌感染者が出た場所を通った、寒気がする、絶対うつっている」と口走る人間が社員に出ました。これで炭疽菌だったら行く場所がないと、避難した時よりも追い詰められた気持ちになりました。医者に連れて行くと風邪でしたが、皆が疑心暗鬼になり、困りました。

 元のオフィスに戻るに当たり、徹底的にクリーニングしました。WTは古いビルでアスベストを使っていたため、爆風と共にアスベストも入っています。もし健康被害が社員に起きたら、訴訟にもなる。壁紙、カーペット、布地のものをすべて交換し、ダクト内も塵が全くない状態までにしました。そのお陰で、「怖いから嫌だ」と戻らなかったのは1人だけで、残りの全員で帰ることができました。

 こうしたことを通して、学んだことがいくつかあります。
 一つは、基本的なリスクに備えたマニュアルは必要ですが、どこにどう避難するのか各自が判断することが重要です。想定外のリスクが起きるためDisasterと呼ばれる訳です。

 それから、10ヶ所の仮オフィスを迅速に借りることができたのは当時本社の社長から全権を委任されたからこそです。通常のプロセスで本社に了承を取っていたら、同じように被害を受けた他社に遅れ、オフィスを押さえられなかった可能性があります。

 仮オフィス起動と同時に、駅からのバスのチャーター、毎日のランチの提供、トイレの掃除を業者を入れてまめに行いました。人間の気持ちが一番萎えてくるのはトイレが汚れた時です。これだけの人数ですから、少なくとも気持ちを落ち込ませないことが重要です。

 そして大変反省していることですが、ただ自宅待機をするだけでは社員の心のケアはできないことがわかりました。当初収容しきれない人数を自宅待機にしたのですが、その社員達はずっとテレビでテロの映像を見続けたため精神的にもたなくなり、用が無くても会社に集まってくるのでした。そのため、カウンセラーを呼んでグループで経験したことや思ったことを互いに話し聞いてもらいました。話しながら泣き出す者もいましたが、そのようにして初めてテンションは下がっていくことがわかりました。

 炭疽菌騒ぎの時は、近くの大学病院から感染学の専門家を招いて、全社員に炭疽菌について話をしてもらいました。その専門家は「大腸菌やO157を知っていますよね。感染力から言えばあちらの方がよほど強く、死ぬ確率が高い」という話をして、皆の中にあったいわれのない不安は沈静化しました。

 それから、全権委任してくれた本社を不安にさせないことも重要だと、2カ月は毎日、復旧状況やアメリカで起きていることのレポートを出し続けました。  落ち着いた段階でもう一度避難マニュアルの見直しを行いました。しかし、避難後の集合場所など詳細にしてしまうと二次災害時に逃げにくいこともあるため、避難マニュアルは大枠だけ決めました。

 それから、当時小さいオフィスで苦労したため、何かあった場合に必要なファンクションが即稼働できるバックアップサイトを設営しました。本オフィスと同時に稼働しているホットサイトだったのですが、2年、3年経つとコストに対する懸念が生まれ、本社においても批判が増え、大変な思いをして作ったものの縮小されていきました。やはり人間はのど元を過ぎると大変なことを忘れてしまうと感じました。

 その他雑感ですが、当日、避難していく人達に近隣の一般の家庭の人々が水や食べ物を手渡していました。困っている人に自然に手をさしのべることが人々の中に根付いていることが大変素晴らしいと思いました。同時に先程お話ししたように、トイレ、食べ物、交通手段などを一日のうちに用意できる。これは常にどこかで戦争をしている国だからこそで、ロジスティックスに対する考え方と備えが一般の人にも身についていると思いました。

 最後に学んだことをまとめます。
 まず、緊急時に現場に権限を渡すことの重要性です。
 次に社員の心のケアの大切さ。自宅待機では精神的なショックは癒えない。しっかりとした専門的なケアが必要です。

 それから、関係者への情報開示の重要性です。これは東日本大震災で原発事故が起きた時の対応に生かされました。当時、私は野村證券でリサーチを担当していました。日本の株式売買高の6、7割を担う海外人投資家が原発事故に対し「チェルノブイリよりもひどく、東京も人が住めない」と過度な反応を示し、投機的な噂が流れ始めた時、専門家も交えて情報を正確に伝えることで沈静化できました。

 そして、ロジスティックスです。社員の勤務生活を最低限支えるものの確保の重要性を痛感しました。

 以上、私が911を通して経験したこと、学んだことです。


     ※2017年8月30日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。