卓話


アンデスから世界に伝わったジャガイモ

2014年4月16日(水)

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代表取締役社長 小池 孝君


 ジャガイモはトマトやタバコ、唐辛子、茄子などと同じナス科の植物で、故郷は中央アンデスの山々です。ここに野生種が育っていました。しかしこれは非常に苦くて毒を持ち、食べられない物でした。それが突然変異を重ね、また苦味を抜く食べ方が開発され、紀元前5000年頃から栽培化されたと考えられています。

 その後15世紀に全盛を誇ったインカ帝国がジャガイモの生産技術と種の開発を一挙に進めました。1532年スペイン人、フランシスコ・ピサロが攻撃をしかけ、あっけなくインカ帝国は征服されます。ジャガイモはこのスペイン人の手で1570年頃アンデスを出て欧州に伝えられ、それがフランス・イギリス・ドイツなどに広がっていきました。

 しかし、欧州に渡ってからのジャガイモは、その無骨な姿と、聖書に記載がないという理由から『悪魔の植物』と呼ばれ、長い間食べ物として注目されませんでした。この流れを変えたのが大飢饉と戦争です。

 当時欧州北部での主作物は小麦やライ麦でありましたが、これらは収穫量が低く飢饉が頻発していました。そのため欧州各国は領土の拡大を図るため戦争を繰り返します。ところがジャガイモは小麦等より何倍も収穫ができ、さらに地中で育つために戦火の影響を受けにくく、戦争が繰り返される度に広がりました。当時、戦争に強かった国、ドイツ・フランスはジャガイモを急拡大させます。この辺から状況が一変し、ドイツ・イギリスでは主食になっていきます。

 イギリスへ行くとフィッシュ&チップスが有名ですが、これは1860年頃から急速に普及しています。18世紀後半、産業革命下の労働者達が安くて美味しいとこぞって食べたからです。産業革命を陰から支えた食品でありました。

 ちなみに当社が生産しているポテトチップスは、ほぼ同時期にアメリカで発明された物です。1853年にジョージ・クラムという料理人が「フライドポテトが厚くてまずい」とのクレームに対し、非常に薄いフライドポテトを作ったのが始まりと言われています。1800年代後半は普及とともに新しいジャガイモ料理が開発された時代でした。

 話を日本に移します。日本へは、1641年以降にオランダ人がジャカルタ経由で持ち込んだという説が有力です。ジャガイモの語源もそこから来ています。すぐには広がらず、長崎から始まり北海道で1700年代後半に拡大しました。そして欧州と同じく江戸時代の大飢饉の度に広がり、特に江戸末期の蘭学者・高野長英が普及に努力しました。明治維新後は、黒田清隆が北海道で急拡大の指導をしています。

 日本でのおもしろいエピソードは男爵イモの話で、「英国人との恋から生まれたジャガイモ」と言われています。

 川田龍吉男爵は土佐の生まれで、明治維新後の明治10年〜17年まで、船舶機械技術を学ぶため英国スコットランドに留学をしました。若かった川田男爵は、その地で英国人女性ジェニーと熱烈な恋に落ち結婚の約束をします。しかし国際結婚が難しかった当時、猛烈な反対にあって失意の帰国をするのです。川田男爵にとって彼女との一番の思い出は、スコットランドの田園を散歩し、温かいジャガイモを一緒に食べたことでした。

 川田男爵は日本に戻り経済界で数々の功績を上げますが、人生の後半、北海道へ渡りその思い出のジャガイモを育成しようと決心し、欧米からアイリッシュコブラーという品種を入れて成功させます。北海道の農家の人達は、男爵様が育てたイモから「男爵イモ」と名付け、今も北海道で最も有名な品種であります。

 最後に、忍び寄る食糧危機とジャガイモの可能性の話です。どの予測を見ても、今のままでは世界的食糧難はいずれやってきます。対応策として、ジャガイモが再度注目されています。それは一定面積から採れるカロリーが穀物より多く、作物の中で最高レベルにあるからです。

 現在、飢餓を救うためアフリカで効率的な生産をしようという動きがあります。また、国連食糧農業機構は2008年を「国際ポテト年」と定め、イモ類の重要性と拡大を説いています。

 日本ではあまり評判の良くなかったジャガイモですが、世界の食糧危機を救う食物として、少し見直していただけたらと思います。