卓話


豊かなロータリーライフは「友」とともに

2006年4月5日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

ロータリーの友事務所 
所長
東京みなとRC
 本行 輝雄氏

第4095回例会 

 私は学生時代からYMCAのボランティアにかかわっておりました。その直接のきっかけは、1966年の新潟の大地震でした。当時大学3年だった私は「学生集まれ」の呼びかけに応じて、上野から新潟にまいりました。大変な状況でした。自衛隊の隊員の方々と夜中じゅう倒壊した家を一軒一軒回りながら,災害救援にあたったことでございました。その体験から地域活動や青少年活動をしたいと思いまして,YMCAの門を叩いたわけでございます。

 YMCAの仕事に携わって忘れられない体験は、1995年の阪神淡路大震災でございます。当時日本YMCA同盟総主事であった宮崎幸雄氏(現東京RC・米山奨学会専務理事)がすぐに我々を集められまして,できるだけ早く現地入りして救援本部を設置し,YMCAのあらゆるネットワークを使って,支援活動をすることを命じられました。

 私もすぐに現地に入りました。大変な混乱で,西宮北口の駅には,神戸方面から荷物を持って歩いていらっしゃる方々,縁者の安否を気遣い大阪方面から神戸に向かう方々で,ごったがえしている状況でございました。

 私は,宮崎総主事に向けて毎日レポートを送りましたが,その中の一つ,1月19日のものは次のように言っております。『西宮から三宮までの間,半壊した家屋やほとんど瓦礫化した住宅が数多くありました。道路も寸断され,復旧の見通しはまったくたちません。道路に,車,バイク,自転車,徒歩の人があふれ,そのあいだを救急車がサイレンを鳴らしながら何台も行き過ぎて行きます。私は援助者としてここを通っていますから,肉体的にも精神的にも一時の頑張りで乗り切ることができますが,被災した方々の苦しみを思うと胸がふさがります。その人々に向けての救援活動を考えたいと思います。東灘区役所前には救援物資が山のように積み上げられているのを目撃しました。自転車やバイクを使って,被災した人々に救援物資を配達することができないでしょうか。』

 このレポートを受け取った,本部の宮崎さんは,これをロータリーに流してくださいました。一週間ほどの間に,現地の私どもの拠点にオートバイと自転車が届けられました。その時のことは『ロータリーの友・1995年9月号』に「先頃ガバナー事務所から神戸YMCAに運ばれたバイク12台が救援物資の配達に大活躍している…」という記事が掲載されましたのでご記憶の方も多いと思います。

 私は,一週間も経たない間に,全国のロータリーがこのような形で支援の手を差しのべてくださったことに感謝するとともにロータリーがすばらしい団体であることに感銘を受けたわけでございます。

 1995年3月号の『ロータリーの友』の[ABCだより]の中に「RI規定審議会で支援決」という記事があります。1995年1月23日から26日の間,ベネズエラのカラカスで開かれたRI規定審議会で次の決議が採択されました。「日本の神戸地域における壊滅的な地震で,この地域の人たちに多くの犠牲者負傷者そして甚大な損害が発生した。(中略)この会議に出席しているロータリアンそして全世界のロータリアンは神戸地域の人たちを支援したいと思います。よって全ロータリアンがこの地域の被害を軽減するために全世界506地区は日本のロータリアンを支援することを決議するものであります。」

 1月17日の震災から5日後に開かれた規定審議会でのことでした。私は被災地に数カ月おりましたが,家を壊された留学生の方々のために,フレンドシップハウスを建てようと計画しました。プレハブでしたが,留学生のための会館は,世界各国から贈られてきたロータリーの支援資金のお陰で建てることができました。私はあらためてロータリーという団体のすばらしさに感銘を受けました。

 ここで,私が阪神淡路大震災の支援活動のなかから学んだことをご紹介申しあげたいと思います。

 1月17日から,全国の,世界の,若者が阪神地域に集まってまいりました。各地から贈られてきた衣類,飲料水や食料などを,被災したご家庭に配りながら,様子を聞くという活動を続けて,夜はだたっ広い所で寝袋や毛布にくるまって寝るという毎日です。

 夜の10時ごろに,寝る前にミーティングがあります。今日はどんなことをした。明日はどうしようという話し合いをします。

 ある夜,一人の若い女性のボランティアが首うなだれて泣きながら,「私は今日一日なにもできなかった。私は看護師だけれど,ドクターがいないので医療行為はできません。ただ水をもってお年寄りに声をかけて回っているだけです。私はこんなことをしていても無駄だ,私は何もできない」と言いました。

 場が重苦しくなりまして,コーディネーターとしては,なんとか励ましてあげないといけないと困っておりますと,別の一人が立って「だいたい,ここの組織はなってない。やろうとしていることも甘い。自分は雲仙普賢岳で活動してきたが,もっとすばらしいことができた。おまえたちは何をしているのだ」と怒り出しました。若者たちは首をうなだれて黙っています。

 その時に,一人の若者が,にこにこ笑いながら「自分はできることをやろうと思う。おじいちゃん元気ですかと声をかけるだけでもええやないか。小さなことからこつこつとやね」と言いました。その一言で雰囲気ががらりと変わりました。

 阪神大震災のボランティアを支えた思いは,この「小さなことからこつこつと,できることをできる人がやっていこう。特別に大きなことをするということでなくていいんだ」ということでございました。小さなことでも自分のできることを真剣に真摯にやっていく,現実を直視して一歩一歩着実に前進する若者たちに,私は教えられた思いがいたします。

 阪神大震災の体験をした7年後の2002年6月,私はご縁があってロータリーの友事務所のお世話になることになりました。

 所長として関係の方々にごあいさつにまいりますと,「“友”は読まれざるベストセラー」だと異口同音におっしゃいます。私は,悪い点や改善すべきところは教えていただきながら直していこう。読まれないからと諦めてしまってはいけないと思いました。

 私は北海道の生まれです。北海道では雪だるまを作って遊びます。雪だるまは最初は小さな雪の玉ですが,転がしていくと少しずつ大きくなります。一方,玉ねぎは皮だと思ってむいていくと,だんだん小さくなって,しまいには何もなくなってしまいます…。

 何事も,玉ねぎやらっきょうの皮をむくような方向ではなく,雪だるまを作っていくというような考え方をするのがよいのではないかと思うのであります。

 『ロータリーの友』の委員長でありました中山義之氏(現特別顧問)は,「私たちロータリーの願いは,すべての人が善なる想いを持ち,必要とする相手に対して思いやる心が満ち溢れた社会の建設です」とおっしゃっておられます。

 私はこの言葉に強く励まされました。この言葉の中にロータリーの神髄があると思いました。それは「私たちロータリーは,明日を夢見る,信じる。あるいは,そういう人たちの集まりを善しとする団体である」ということだと思います。

 中山氏は「そういう世界が本当に生まれてくるように…。そういう世界を信じるロータリアンが増えてくることを願って,私たちは『ロータリーの友』を作り続けたい」と話してくださいました。この思いこそ『ロータリーの友』を作っている仲間の願いだと思っております。

 『ロータリーの友』は,日本の,世界のロータリアン一人一人の思いや,ご投稿,あるいは,RIから寄せられる情報を提供するものでございます。読みやすく分かりやすくアトラクティブに掲載することを心がけておりますが,私はその底に流れている「小さなことから,こつこつと,自分たちの身の周りに光りを与える活動が大切だ」という思いを,『ロータリーの友』で語られる記事を通してお伝えできればと思っております。

 『ロータリーの友』は大きく分けて「横組み」と「縦組み」といわれているページがあります。「横組み」のページは、RIからのメッセージとか,RIが世界のロータリアンに伝えたい情報などであります。

 「縦組み」のページは,日本のロータリアンお一人お一人が,今どんなことをお考えなのか,あるいは,日本の各地クラブがどんな活動をしているのかをお伝えしています。

 「豊かなロータリーライフは『ロータリーの友』とともに」をモットーに頑張りますので,今後ともご支援をお願いいたします。