卓話


「量的・質的金融緩和」とわが国の金融経済情勢

2014年6月4日(水)

日本銀行 副総裁
岩田 規久男 氏


 日本銀行は、2014年4月、「量的・質的金融緩和」政策を始めました。本日は、その内容と、それがどのように日本経済の活性化、デフレ脱却に効果があり、現在どのような状況にあるかをお話しします。

 この政策の第一の目的は、消費者物価の前年比上昇率2%の「物価安定の目標」を、2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に実現することです。

 持続的な物価の下落であるデフレは、いくつかの経路を通じて経済の停滞をもたらします。人々が将来物価は下がると予想すると、現金や預金を持っているだけで価値が増える状況になるため、企業も家計も支出を先送りし、需要減少を導きます。また、企業は売上が減るなかで、過去にした借金の価値は減らずに返済しなければなりません。住宅ローンを抱えた世帯では、デフレで給料が上がらないなかで返済せざるを得ずローン負担が重くなります。この実質的債務負担の増大により、企業や家計が節約して支出を抑制するとともに、新たな借金もしなくなると、モノに対する需要、つまり消費、設備投資なども減少し、供給に対して需要が少ない需給ギャップが続いてしまいます。

 さらに、長期の物価下落予想によって、円の購買力が相対的に外国通貨よりも強くなるため、円高になりやすくなります。過度に円高が進行すると、輸出セクターに悪影響を及ぼし、収益が落ち、雇用も減ります。日本の賃金はデフレで下がりましたが、円高状態で日本の賃金をドルやユーロに換算すると高くなるため、実質賃金の安い海外へ日本企業の生産拠点の移転が起きる。これが過度に進むと国内の雇用需要が減り、空洞化現象が起き、失業者が増加する。それがデフレの一番悪いところで、その状況がなかなか改善しなくなります。

 こうしたデフレの状況から脱却するために、日本銀行は、インフレ目標政策を採用し、安定した緩やかなインフレを目指すことにしたわけです。

 インフレ目標政策は1990年代の終わりから、ニュージーランド、オーストラリア、イギリス、カナダ、スウェーデンで採用され、アジア通貨危機後は、タイ、韓国、ラテンアメリカにも広がりました。ユーロ圏も2%位のインフレを目標にしており、アメリカも同様です。インフレ目標を採用した国では、リーマン・ショック前まで失業率が低下し経済成長率が日本より高い状況が続き、マクロ経済のパフォーマンスもかなり良かった実績があります。

 どの国の中央銀行も、高いインフレは避けるべきだが、デフレも経済に対して悪影響を及ぼすため絶対に避けるべきだと考えています。インフレ率の上限を設ける一方、デフレ防止のため大体1%の下限も設けます。インフレ率が1%を切る水準に下がると、いつデフレに陥るかわからないリスクを抱えるからです。インフレ目標は2%で安定させ、外れても上下1%ぐらいに留めます。

 穏やかなインフレでは、現金・預金だけを持っていることは有利ではありません。家計の場合は消費を増やしたり、現預金より有利な株式や外貨建て預金などへ資産の投資構成を変えたりします。企業も設備投資を行う。そうなるとモノやサービスに対する総需要が増加し、生産が増加する。雇用需要が増え、賃金も上がる。このような循環が働きます。

 金融緩和はすぐ金融市場に影響を与えます。デフレが終わってインフレになると、インフレに強い株式投資が増え株価が上がる。インフレになり円の購買力が減ると、ドル、ポンド、ユーロなど他の通貨への需要が増え、外貨高・円安になる。それを受け、生産に影響が及ぶ。生産拡大が始まり、需要が増え、供給能力の限界が近づくと物価が上がる。そして、人々も効率的に働くようになり、労働需給の逼迫とともに生産性が上がり、賃金が上がりだします。このように経済には順番があるので、「今物価が上がっているのに賃金が上がらない。実質賃金が下がってしまって悪いインフレじゃないか」と早まった判断をせず、経済をじっくりと見ていただきたいと思います。

 インフレ目標政策のメリットは、安定した2%という具体的な数値目標を提示することで、将来の金融政策の経路について市場の予測可能性が増すことです。為替レート、株価の見通しもある程度できるため、家計における貯蓄・消費、企業の設備投資など、人々の支出・貯蓄行動の計画が立てやすくなります。もし、インフレ率が5%だったり、デフレになったりと大きな変動が予想されると、非常に計画が立てにくくなってしまいます。それから、「中央銀行はハイパーインフレを許容しない」と金融政策への信頼性が高まれば、消費者が高いインフレを予想してモノを買いに急ぎインフレを加速させる現象も防ぐことができます。これはインフレ目標政策を導入した国で実績があり、証明されています。

 中央銀行の金融政策による物価安定能力が信頼されると、今度は市場の長期物価動向への期待、予想が安定します。足下で少々物価が上下しても経済はそれほど変動しなくなり、そうした状況下で消費者も企業も行動するようになるため経済活動が安定します。

 日銀も諸外国におけるこうした先例に習い2%の目標値を設定しています。目標達成の手段である量的・質的金融緩和には2つの柱があり、一つが目標達成へのコミットメントです。2%の物価安定目標を2年程度で、できるだけ早期に実現することを明確に約束しています。もう一つがその約束を実現するための具体的行動としての「量的・質的金融緩和」です。「量的」とは、マネタリーベース(中央銀行から金融システムに直接供給するお金)を年間約60〜70兆円のペースで増やすこと。主たる手段は長期国債の買い入れです。さらに、日本銀行の資産構成を変化させること、すなわち「質の変化」で、満期の長い平均残存期間7年位の国債を買っています。長期債になるほど将来金利変動が大きくなり民間にとってはリスクが大きくなるため、日銀がそれを買うことで民間のリスクを引き受ける政策です。


 では「量的・質的金融緩和」の効果をどのように実体経済に波及させるのか。カギは「予想実質金利」の引き下げです。予想実質金利は、金融市場や銀行店頭などで目にする「名目金利」から「予想インフレ率」を引いたもので、借り手にとって実質的な借り入れコストになります。例えば、お金を借りてモノを仕入れると、それが将来もっと高く売れるようになれば、実質的な金利負担はその分低くなる。この予想インフレ率を、すでにご説明した2つの柱で引き上げます。それから、国債を大量に買うため、名目金利に対しても引き下げ圧力が働く。名目金利が下がり、予想インフレ率が上がると、予想実質金利は下がる。要するに企業や家計が借り入れる際の実質的なコストが下がり、それによって経済活動の変化が起きる。

 2013年の4月から量的・質的金融緩和政策を実施すると、株価が上がりました。ドル高・円安傾向も続いています。今年に入って少し株価がもたつきましたが、これはウクライナ情勢や、アメリカの金融緩和効果の低下懸念などのリスクが意識されるたびに、一番安全と思われている日本の短期国債に投資家が逃げ込み、円買いが進み、株価上昇を抑える傾向が出たためです。しかし、5月末からは株価上昇と円安のトレンドに戻る傾向が出てきています。

 こうした金融市場の変化がいろいろなルートを通じて総需要を増やし、生産も増えることで、民間企業設備投資は、量的緩和前の前期比マイナスからプラスに転じています。今年度の企業の設備投資計画は非常に強気になっており、金融政策の効果が本格的に顕れてくると期待されます。それが機械受注にも現れ、高い水準で伸び始めています。生鮮食品を除くベースで見た消費者物価の前年比上昇率は、量的・質的金融緩和の実施直前はマイナス圏ですが、実施以降、プラス圏に転じ、この4月には1.5%まで改善しています。これは消費税率引き上げの直接的影響を除いた数値です。それからエネルギーおよび食料を除いた消費者物価指数も0.8%まで上がっており、円安によるエネルギー価格上昇だけで物価が上昇したわけではないことがおわかりいただけると思います。

 労働需給についても、有効求人倍率は今年4月期に1.08倍まで上がり、逼迫しています。完全失業率も3.6%と、日銀推計でほぼ完全雇用に近い水準まで下がり、賃金が上がりやすくなっています。

 そうした中で、実質GDP成長率も2013年1-3月期からずっとプラスで推移しています。輸出が2013年7-9月期以降少し弱くなっていますが、タイの混乱等の日本にとって重要なASEAN諸国の経済が弱いこと、アメリカの寒波の影響、日本の輸出産業が消費税の駆け込み前の内需消費に対応したため輸出余力がなくなったことなどが響いています。そうした要因がなくなってきた2014年1-3月期はかなり伸びています。日本経済は内需主導型で伸びてきたため輸入が近年になく高い伸びをし、貿易収支は赤字になる傾向です。しかし今後、消費税率引き上げ前の駆け込み需要という輸入を急増させた一時的要因がなくなる一方で、輸出が伸びれば、貿易収支は改善されると見ています。

 日銀政策委員会では、実質GDPは、消費税の影響と輸出が少し弱かったので2014年度は前年度対比で1.1%増、2015年度は1.5%増まで、消費者物価指数は、順調に2015年度は1.9%増上昇、2016年度は2.1%増上昇を見通しています。平均2%目標ですから、2014年の終わりから15年の半ば位には2%にほぼ達する見通しです。


      ※2014年6月4日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。