卓話


平和への祈りを舞踏に込めて

2015年2月18日(水)

公益財団法人松山バレエ団
理事長・団長 森下洋子氏


 バレエを始めてから64年になります。私は、広島生まれの被爆3世になります。祖母、母も身体が弱く、お医者さんから、「何か運動をさせなさい」と勧められ、ちょうど自宅の目の前の幼稚園でバレエ教室が始まったことが、バレエを始めたきっかけでした。両親が、「ああ、あの時、バレエだったからこうなっちゃったんだ」という程にのめり込み、「バレエしか私にはない」とそんな風に3歳の時からずっと思い続けてきました。

 小学生になると、はやぶさ、あさかぜなどの夜行特急に一人で乗って東京まで稽古に行くようになります。ファックスやメールなど何もない時代でしたから、先生方が「ヨウコブジツイタ」という電報を広島に打ってくださいました。親の心子知らずで、私は東京でお稽古できるとただうれしく、後で母から「あの電報が届くまで、私達は一睡も出来なかった」と聞きました。

 そして、ついに小学校6年生の12歳の時に、「これを一生の仕事にしたいので東京に出してくれ」と両親に言います。我が家は普通の家庭で、父はサラリーマンでした。旅費が大変だからと、母がキッチン森下という小さなステーキ屋さんのようなものを広島で始めました。その時、両親は、「バレエにあげちゃった子だと思うことにする。お金は出すけれど口は出さない。だから自分でやりなさい」と言いました。以後、両親は一度も口を出したことがなく、私は何をするにも全部事後報告でした。勇気を持って、ぽんと東京に出してくれた両親に私は今でも感謝しています。

 64年間、バレエを辞めたいと思ったことは一度もありません。大変な時はあったかもしれませんが、経済的には両親が支えてくれ、そして、周りの人が私が踊れるよういつも支えてくれたお陰です。67歳になる今も、レッスンとリハーサルと合せて毎日、一日5、6時間稽古しています。平成生まれの子といつも一緒に踊っていて、みんな当たり前のように、私が踊れるように接してくれます。これには本当に感謝しなくてはいけません。

 実は子どもの頃から不器用で、新しいステップなどをすると一人だけ全くできなかったのです。先生は火のようになって怒りますが、両親は怒りませんでした。私が家に帰って、畳の上でゴロゴロ転がりながら何度も練習しているとできるようになります。すると両親が拍手してくれるのです。それがとても大きな励みになりました。「やっていけばできる。人と比べたら遅れているかもしれないけれど、何回も続けていけばできるのだ」と身体で覚えました。今でも若い人がくよくよしていると、「やっていけばできるのだから、少しずつやっていきなさい」と言います。

 それと同時に、いつも「次はああしよう、こうしよう」と前向きに考えています。それは被爆した祖母の影響です。母がお店を始めると、祖母が私たちの面倒を見るために岩国から来てくれました。祖母は被爆し、顔や手をはじめ左半身全部に大きなやけどを負っていました。それでも祖母は、「私は(死んだと思われて)お経まであげてもらったのに、こうして生きていられるのよ」と実に明るく言うのです。孫の私たちに戦争や不自由な身体のことで愚痴を一切言わず、生きていることへの感謝と喜びを話していました。私は生まれた時から祖母のそうした姿が当たり前だと思っていましたが、私の学校の友達は、最初は本当に驚いたようです。祖母は一緒にお風呂屋さんに行くのも、私の友達に会うのも平気でした。ある日、焼けてくっついていた手の指を広島赤十字・原爆病院で手術して帰ってきました。そして、「この親指は曲がってしまっているけれど洗濯板で洗濯もできる。これは使える」と前向きに話すのでした。

 祖母の背中を見て育ったことはクラッシックバレエによかったなと思いました。踊っていて「ちょっとできないな」と感じることがあっても、少しずつ練習していくと舞台の一週間ぐらい前には「大丈夫だな」と思えるようになります。こうした前向きな気持ちは祖母から教わりました。

 クラシックバレエや芸術は人々の幸せのためにある。踊るだけではなく、それを使って多くの人に勇気や希望や人を愛することの大切さや思いやりをもつことの大切さ、それから祖母のように、生きていること、生かしてもらっていることへの感謝を皆さまにお届けするのが役目だと思うのです。私は、祖母のことがあり、人一倍、平和への祈り、平和になってほしいという思いをとても強く持っています。

 昨年、私が日本人として初めて金メダルをいただいたブルガリアのヴァルナ国際バレエコンクールに、40年ぶりに審査員として行ってきました。長年、審査員のオファーをいただいていましたがなかなかスケジュールが合わず、ようやく実現しました。  ヴァルナは、数あるコンクールの中で最も古く、そして最も権威があり、一位を獲っても金メダルに値しなければそれを出しません。私は金メダルを獲ったことによって、ウィーンや、オペラ座、エリザベス女王の戴冠25周年で踊らせていただくなど、世界に出るチャンスをいただきました。

 40年前に金メダルを獲った人が現役で踊っていることは奇跡だということで、ぜひ踊ってほしいと言われ、パブロ・カザルスのチェロの名曲『鳥の歌』を踊らせていただきました。短いのですが、平和への祈りを込めた曲です。世界中からいらした方が本当に喜んでくださいました。平和の意味を深く感じて下さった方がたくさんいたと思います。その意味で、ヴァルナに行かせていただいて本当によかったし、同時に、起きてはならないものが広島と長崎で起きたということを、これから先の子供達に私達も伝えていかなければいけないと思いました。

 私は、多くの方に、「明日から頑張ろう」と勇気を持っていただけるような、夢や希望やロマンを持っていただけるような舞台を常にお見せできるよう、毎日稽古をしなくてはいけないと思い、移動の飛行機の中でもずっと身体を動かしています。外国に着いてすぐに舞台ということや、日本に帰ってきてそのまま劇場に入るということもあります。そんな中、海外の舞台を日本の方に見に来ていただくと、大きな励みになります。バレエは、昔は女性や子どもが見るものというイメージで、私の古い友人も「行くなら酒一杯引っかけてから行くよ。どうせ寝ちゃうんだから」と言っていたのが、今は「絶対行かなきゃ。また勇気をもらうよ」と毎回来てくれます。

 バレエには終わりがないのが楽しいのです。「1日休むと自分にわかる。2日休むと仲間にわかる。3日休むとお客様にわかる」という言葉があるように、それほど身体は正直で、毎日の稽古がとても大切です。まだまだできないことだらけで、毎日挑戦、毎日が一年生だと思って、こんな年齢になっても踊っていられる私は本当に幸せな人間だなと思います。

 5月にも公演がありますので、どうぞ皆様もぜひ足を運んでいただけたらバレエ団みんなが喜びます。外国ではバレエは主役さえよければいいという見方もありますが、そうではなく、全員が一つになってベクトルを合わせてやることによって舞台芸術の素晴らしさが出てきて、人々を幸せにできるのだと思っています。


         ※2015年2月18日(水)卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。