卓話


職業奉仕月間例会
おかげさまで

2019年1月16日(水)

ペルシャンパレス(有)
代表取締役 マスウド・ソバハニ氏


 職業奉仕を理解することは多分難しく、説明するのも難しい。行動するのはもっと難しい。それを今日、少しでもできたらと思い、私の人生がどのような形でここまで来ているのかを少し紹介します。

 生まれはイランで、父は、私達子供達が小さい時、夕食の前にいつも風船を膨らませて世界地図を描いてくれました。そして、それを見せ、どこに住みたいかと聞き、子供達6人のうち息子5人に5つの大陸に住んでほしいと言いました。私は大陸ではなく、すぐ太平洋を選びました。一番大きな海だからです。毎晩違う国を選ばなければならないため、たまに日本を選びました。父はその時マシュー・ペリーの来航の話をしてくれ、私は、ペリーが日本に持ってきた鉛筆、紙とまったく同じものを日本人が作ったと聞き、すごい国だと思いました。しかし、まさか自分が日本に来るとは思っていませんでしたが、ご縁があって現在、日本にいます。

 私は3年前に還暦を過ぎました。会社はペルシャ絨毯を扱っており、おかげさまで高松市美術館、白鶴美術館に納めました。高松市にはさまざまな会社があり、ロータリークラブがあります。

 私は観光ビザで日本に来て、すぐに会社を作りました。入国管理事務所に行くと、そのことを怒って、私のパスポートに滞在期間3ヶ月とハンコを押したんです。そのため、ハワイに戻ることになると思い、知り合いになっていた、当時の高松市の脇信男市長に相談しました。

 すると、脇市長は私達夫妻とまだ妻のお腹の中にいた娘の3人を養子にしてくれたのです。入国管理事務所の人の目がパチンコみたいに回りました。そして、脇市長と私の顧問弁護士が保証人になってくれ、「10年間、真面目に働いて税金を納めたら日本の永住権を得られる」ようにしてくれました。そういうご縁です。おかげさまです。

 仕事をして、その儲けをどうしたのか。職業奉仕に少しつながります。
 私の父は1976年、自分の誕生日に50歳という若さで亡くなりました。とても大好きなお父さんで、3つの性格を持っていました。フレンドであり、兄弟であり、父という性格です。私が10歳の時、15歳、20歳の時と、私の年齢に合わせて接してくれました。1996年は亡くなって20年という年ですから、兄弟みんなでお墓のあるニューヨークに行こうと思いました。

 お金を工面して皆の航空券を買おうとしていた直前、父が私の夢に現れたのです。「子供達よ。ニューヨークに来て墓の前に集まってもらっても、私の魂はそこにはない」と言って、夢が終わった。妻に話すと、「兄弟にそういう説明をしたらソバハニは日本に来て頭がおかしくなっていると思われるから、他の理由で行かないことにしたと伝えなさい」と言われました。

 その一週間後、岩倉さんという看護師がミャンマーに行きたいと言ってきました。ミャンマーは男性上位の国で、洗濯物を干すのにも上の列の紐が男性、下の列が女性というような国だから、女性一人では行きにくいからソバハニも一緒に来てほしいと。

 バンコク経由でミャンマーに着くと、「実はここで幼稚園を作ろうと考えています。国から土地をもらって作るので、ソバハニさん建物代200万円ちょうだい」と言われました。「ちょっと待って、私の家内と相談しないといけないから」と家内に電話すると、「みんなをニューヨークに連れて行こうとしていた費用を回したら」と言われました。 それがすごくうまくいきました。絨毯の収入が入ってくるので、それをもう少し他の国で幼稚園を作ることに回すことにしました。タイ、ラオス、カンボジアなど、96年から2000年まで5つの国で2つずつ幼稚園を作りました。作る時は無欲でないといけませんから、私の名前などは一切いりませんと頭を下げてお願いし、ちゃんと後で確認もしました。現在も幼稚園はうまくいっています。

 少しロータリークラブの話をします。私は日本に来て少林寺拳法を始めました。それから釣りが大好きなので、釣りをしに高松に行ったんです。そうしたら、若い人が英語で話しかけてきた。その晩、彼のお母さんから電話があって、「ウチに来て下さい」とすき焼きをごちそうしてくれました。そのご主人が高松南RCの方だったのです。それで紹介されて、高松南RCに入ったんです。

 若者は2年の浪人中でした。父親が早稲田大卒だから自分も早稲田大にどうしても入りたいがうまくいかない。お父さんはとても困っていて、私は相談されました。そこで「ハワイに行ったらどうですか」と提案し、彼を半年、ハワイに行かせたのです。私はハワイの友人に、彼に早稲田を忘れるようインプットしてくれと頼みました。彼は帰国すると、「お父さん、どこの大学でもいいから」と言いました。今は香川のNTTドコモの課長になり、子供も2人授かり、ロータリークラブにも入っています。今も毎年、一緒に釣りをしています。そういうギブアンドテイクです。

 我々の高松南RCはとてもアクティブです。四国の2670地区はニュージャージー7470地区と35年間で2000人の学生を交換しています。これは世界に他にない数です。毎年、35名が来て、35名が向こうに行きます。9.11のテロがあった時に2年休んだだけで、私達の誇りです。おかげさまでとてもうまくいっています。

 私が会長を務めた時、我々がスポンサーになっているローターアクトクラブが香川大学にあり、40周年記念でした。同時に瀬戸内海国立公園が指定80周年記念だったんです。その両方を祝う例会を私の家で開催したんです。高松南の例会が個人の家で行われたのは多分、初めてです。ロータリーと国立公園の両方の旗をうちの玄関に掲げました。100人以上が来ました。同時に私は日本で初の外国人会長だから何か変わったことをしなければいけないと、東京にいる140ヶ国の大使に手紙を書きました。32名から返事があり、6名の大使が例会に来てくれました。一番人気があったインドの女性の大使は、東京に戻ると忙しいからと帰りたがらず、1週間泊まっていきました。

 また、全国のロータリークラブに、「高松南に来て下さい」と手紙を出しました。毎週誰か来てくれ、のべ40名のロータリアンが来ました。和歌山田辺RCからは10人来てくれました。高松南の太田パストガバナーはとても感激し、涙どしゃぶりでした。そして、「提携クラブを作ってほしい」と言われました。反対する人もいましたが、私が会長を務めた1年で遠山RCと田辺RCの2つと提携クラブになりました。おかげさまで今でもみんな毎年2、3回来て、ゴルフを一緒にしています。

 私はイランに生まれ、ニューヨーク、ラスベガスへ移り、ラスベガスで母が亡くなりました。そして、ハワイに行き、4年祈っていました。奥さんを探すためでもあります。私達夫婦はイランに生まれましたが、イスラム教ではなく、バハイ教です。1985年にバハイ若者大会がハワイであり、世界27ヶ国から200人が来ました。私は担当として空港に迎えにいきました。日本から10人、8人の日本人と2人のイラン人女性が来ました。その一人に私は4日でプロポーズしました。彼女の結婚の条件は日本に住むこと。正直言うと、マシュー・ペリーのことは勉強していましたが、みなチョンマゲだと思っていたんです。ソニーのテレビを持っていましたが、日本に行ったことがなかったからです。

 妻の保証人が当時の大和郡山市長の吉田泰一郎さんでした。挨拶に行くと、「奈良に住んでください」と言われました。盆地のため夏暑く冬寒く、海が遠いので困っていたら、四国を紹介してくれました。四国に行って、二人の子供、一姫二太郎ができました。 娘はアメリカで医師をしており、おかげさまで、先日、愛媛出身の日本人医師と結婚しました。

 息子は幼い頃からプロゴルファーを目指してきました。2005年、2006年は日本ランキングで5位でした。日本代表に4回なりました。石川遼と一緒に世界ジュニアにも行っています。そして、今、ニュージーランドの大会にシードをもらって出場しています。私も今日のスピーチのために一昨日帰ってきました。これが終わったらキャディーをしにまたニュージーランドに行きます。皆様、応援よろしくお願いします。

 私は日本人にはとてもとてもお世話になっています。何か恩返しをしないといけないと思い、ご縁があってこの本『憎まない』を書きました。この本は私の日本人への感謝です。こういう国は世界的にとても珍しい。日本人はとても心が広い。空から落ちてきた外国人みたいな私が、香川県、皆から愛をもらいました。私はその愛を世界に輸出したい。ロータリアンは平和を創ることが義務です。職業奉仕は自分の仕事を持って、その仕事でどう世の中に貢献するのかということ。みんなの「おかげさま」と思います。


  ※2019年1月16日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。