卓話


丸の内再構築−新たな価値創造に向けて

2013年5月15日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

三菱地所
専務執行役員 合場直人氏

 最近,東京駅が復原されたニュースや,中央郵便局の新しい建物の話で賑やかです。成田と羽田を直結する路線の真ん中の駅を丸の内に設けようとか,大手町に温泉旅館を造ろうとか,いろいろな話題も出ております。今日は,そういう目に見えている「モノ」より,その背景(「コト」)についてお話ししたいと思います。

1.大丸有地区の歴史〜成り立ち〜
 「丸の内」は名前の通り,城郭の内を意味する名称です。今は大手町,丸の内,有楽町を総称して「大丸有地区」といっています。

 1890(明治23)年,明治政府は財政難に苦しんでいました。軍事費を如何に捻出するかという選択のなかで,丸の内(8.3万坪),神田三崎町(2.3万坪)一帯を民間に払い下げようという計画が浮かび上がりました。明治政府が考えていたような値段ではとても評価できないので,どの財閥も応じませんでした。結局,三菱の2代目社長岩崎彌之助が手を挙げたというわけです。

 その時の価格は総額128万円,当時の東京市の年間予算の3倍だったそうです。この話は1890年のことで,一面の荒れ地をどう使うかという問いに「竹を植えて虎でも飼うさ」と言ったと伝えられています。実はその時,ロンドンの金融街と同じ街並みを東京の真ん中に建てようという構想を抱いていました。

 実際に,4年後の1894年には三菱一号館(今は復元して美術館にしている建物)が建てられています。その後,明治40年には馬場先通りの街並みを完成させています。

 レンガの建物をアメリカ型の大規模ビルにしていこうというはしりが丸ビルです。1923(大正12)年に建てられました。土地を取得してから33年後に丸ビルが建ったわけです。

赤レンガの街並みが変遷して1920年代には近代的なビルが整い,1970年代までは高度成長に対応して,なるべく床面積を大きくして様々なビルを整えていきました。

2.まちづくりの流れ
 2013年現在の「大丸有地区」の概要は,
○建物棟数109棟(解体・建築中を含む)
○就業人口23万人(地区以外の一部含む)
○事業所数4,200事業所
○本社をおく東証一部上場企業約75社
○これらの企業の連結売上高約124兆円(日本のGDPの1/4に相当)

 以上のビジネス特化型の街を,世界の都市と競えるような街にしていくにはどうしたらいいかと,民間地権者が集まって1988年に「大丸有まちづくり協議会」を結成しました。また、官民連携(東京都、千代田区、JR東日本、大丸有協議会)の組織として、1996年に「大丸有まちづくり懇談会」が設立されました。

 地権者(協議会)が将来像を語り合って共有し,行政に働きかけて,民間が目指す街づくりに適う制度を検討してもらうという官民協働のまちづくり構想です。この組織で2000年に策定されたガイドラインは,2005年,2008年,2012年と改訂され,個々の建物の在り方,街全体の景観を考える際に活用されました。

 東京駅は,上空にある容積を周りのビルに売ることによって改修費用を捻出しました。この仕組みを現在活用しているのはこのエリアだけです。具体的には,特例容積率適用地区制度(容積移転)によって,東京駅赤レンガ駅舎の未使用容積を東京ビル,新丸ビル等に移転したわけです。この地区の再開発は2000年ぐらいから第3次の構築が始まり,現在全体の3分の1程度が建て終わったところです。概算して,後20年は改造を続けることになります。

 この間にも,丸の内のテナント構成は変化しておりまして,2000年から10年間の変化ですが,重厚長大企業に代表される企業割合が減って,金融部門の企業割合が増えました。金融・メーカー・法律会計コンサルタントという内容は,今のニューヨークのミッドタウンと同じ構成になっています。

3.まちづくりの視点と取り組み
 新聞に「丸の内のたそがれ」というショッキングな記事を書かれたのは1997(平成9)年8月のことでした。水面下では調整を進めていましたが,外部から見ると重厚長大企業だけの街とか,月曜から金曜だけの街というふうに揶揄されていた状況でした。

 もうひとつショッキングなデータに,IMD世界競争力年鑑による,2012年の世界競争力ランキングがあります。日本は27位になっています。日本の競争力が弱っていることが挙げられます。

 私たちが構想していた視点は4つでした。
1)高度業務機能やそれを支える機能を集積させて盛んにする。
2)賑わいの創出。都市観光の推進や交流。
3)災害時に機能途絶しない強いまちづくり。
4)環境に優しいまちづくり。

 開発の視点を考える場合,ここで働くワーカーはどういう役割を持っているかを考えることが必要です。

 高度成長期は,集まってくる情報を処理するのがホワイトカラーの役目でした。現在は此処で知識を創造することが仕事です。

 まちづくりも,どれだけ立派なビル空間があるかではなく,どれだけの価値を生み出しているかに注目する必要があります。

 オフィスに求められるニーズも,立派なロビーやオフィスを造るのが目的ではなく,知識を創造する場として,新たな価値の創出のためにどのようにオペレーションできるかということまで考えることが必要です。

 ビジネスビルとして高性能の建物を造ることはいうまでもありませんが,働く人のイノベーションを支える多様な機能を導入することも必要です。

 例えば,働く女性のための託児所,健康管理のフィットネス設備などです。一番目に見えて変わったと思われるのは商業施設が増えたことです。

 最近,大手町に全部英語で診療から投薬までできる国際医療施設を整備しました。金融教育・交流センターも設立され,人材育成拠点を整備し,人材交流を促しています。

 多様な機能を導入した創造拠点として「日本創生ビレッジ」があります。起業する意欲のある人,アイディアのある人が集まって,金融や法律,会計などの専門家とマッチングさせた会員組織を作り,起業家の卵たちが発想するプランについてインキュベーションする活動です。年間500回程のプレゼンが開催され、上場した企業も,既に5社あります。

 「東京都・アジアヘッドクォーター特区」という企画は,東京をヘッドクォーターにしてアジアに展開する企業を,東京に積極的に呼び込むという計画です。

 世界中の企業が東京に来ても丸の内には居住機能がないので,サービスアパートの整備や,海外企業支援センターも本格的に展開しょうと考えています。温泉旅館も造ります。これは防災上の意味もあります。帰宅困難な状況の際に提供できるのです。

 「賑わいの創出」という視点で見ると,店舗数は2002年の280店から2012年には820店に増えました。往来の人数も,特に土日は2倍から3倍に増えています。ビジネスの街からショッピングもできる街に変貌しています。多様なイベントも開催され,此処に来れば何かをやっている状態を作りあげています。

 潤いのある景観形成も達成され,街路樹の並木や三菱一号館広場は,たいへん人気のある場所になっています。

 「朝活」という言葉は,丸の内朝大学が発祥です。自主的に活動を始めたサークルが,既に5千人もの卒業生を出しました。

 「災害に強い街」という視点では,この地区は液状化の危険性が極めて低い地域です。ビルも強固な建物が多いので,それ自体は非常に安全だといえますが,3日間のエネルギーと食糧備蓄の確保を強く推進しています。

 個々のビルでの防災対策,エリア全体での防災対策,丸の内エリアの基礎的防災力という3段階で,強力な対策を敷いているので万一の時に備え万全の対策がとられています。

 「環境に優しいまちづくり」では,とにかくCO2を減らせばいいと言うだけではなく,我慢をせずに快適性を追究しながらCO2を減らす必要があると思います。丸の内の役割は知的生産性です。それを阻害してはなりません。コストダウンと品質向上を同時に図るのと同様に、これまでの常識を超えた研究が必要でした。快適性を極限的に追求して,省エネを図れないかという発想で研究した結果,照明や空調の新しい技術が開発されました。

 新丸ビルでは,東北地方で発電した「生グリーン電力」を導入して,年間のCO2排出量を約3分の2に削減しています。

4.まとめ
 私どもが果たすべき役割は「新たな価値の創造」と「風格と活力の調和」です。
 数年前にマイケル・ポーターが「CSV」という概念を提唱しました。

 CSV(Creating Shared Value)とは,要するに,社会のニーズや課題を解決することを本業のなかに取り込んで,それによっても利益を得ようということです。私たちのまちづくりは,この考え方そのものだと思っているところです。

 「世界で最も美しい都心へ」という言葉には,いろいろな意味が込められています。機能的な建物を造る先には,文化を創り出すことも我々の仕事だろうと思っています。