卓話


持続可能な社会

3月24日の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

独立行政法人 産業技術総合研究所 
理事長
吉川 弘之 氏 

Sustainable development(持続可能な開発)という言葉は,1987年の国連・環境と開発に関する世界委員会(ブルントラント委員会)が「我らが共通の未来」と題する報告書の中心的な概念として述べられた言葉です。

この言葉は科学の世界から出たのではなくて,いわば政治の世界,社会の側から出てきた言葉と考えてよいと思います。

その大もとは,1972年に開かれた「人間の環境に関する国連会議」にありまして,この時に出された人間環境宣言で,公害の問題,生物の多様性の問題などの問題とともに,議論された問題でした。

ただし,この国連会議は経済と社会に関する会議でして,これまた,経済とか国際関係とかの側から出てきたものなのです。しかし科学技術と非常に深い関係があるということは,当然,指摘されていました。

その発展として,1992年,リオデジャネイロで開かれた有名な地球サミットで「持続可能な開発」という概念が会議の中心的な概念となり,政治家,企業側,科学者も集まって非常に広い範囲の会議を開くということになったわけです。

リオで出されたAgenda21(21世紀に向けた人類の行動計画)という声明は,さまざまなセクターに対して持続可能な開発を実践するためにはそれぞれの努力をしなければならないということが,こと細かに書かれている分厚いもので,その後の各国の行動に影響を与えます。

この会議で,FCCC(気候変動枠組条約・Framework Convention on Climate Change)と生物多様性条約が署名されまして,それを受けて,実は我々が苦慮している,京都プロトコルが生まれてくるのです。

1997年12月,COP3(第3回気候変動枠組条約締結国会議)が京都で開かれ,地球温暖化に関して協議されます。争いではなく,協力の場所を提供したということで,たいへん大きな仕事をしたわけであります。

2002年のヨハネスブルグでは,まさに,持続可能な開発に関するワールドサミットが開催されれて、リオデジャネイロで約束した行動計画21がどれほど実現したかということを細かく調べました。私もその会議に出ていましたが,炭酸ガスは増えているし,生物対応性も悪くなっている,あまりよい結果は報告されませんでした。ただひとつ,科学技術の分野はたんへん進歩した。それが持続可能な開発に有効に働いているということは認めるべきであるということでありました。

今まで,お話ししたことは,国連つまり政治の世界での流れだったわけですが,実はその背後にたいへん長い間の,科学の世界からのメッセージがあったのです。

Green house effect(温室効果)という概念は,1820年に出されています。炭酸ガスが増えると温度が上がるということは,19世紀の中ごろに指摘されています。

大気の成分の研究と地球の温度の研究が進んでくると,地球温暖化の影響に対する正確なデータが整ってきました。科学者の発言が「考え」から「警告」に変わってくるのは,1950年ごろであります。

1972年の国連会議では,あらゆる公害について書かれていましたが,地球の温暖化には触れていません。温暖化のメカニズムを社会の側が理解するに至らなかったのだと思います。科学者の方も,コミュニティーでの議論は熱心ですが,外部の社会側とのコミュニケーションが足らなかったといえます。

1985年にオーストリアのフィラファで開かれたICSU(国際科学会議)では「科学者の合意した温暖化に関する警告」を出しました。これは3年間の研究を経て出したものです。さすがに,政治の側もこれを受け取らざるを得ません。ICSUは,その会議にアメリカやヨーロッパの政策立案者も呼んでいましたので,そういうところから情報が流れていって,始めにお話しした,1987年のブルントラント委員会の「我らが共通の未来」という本には,フィラファの「科学者の合意としての温暖化に対する警告」がきちっと取り上げられていました。

温暖化に関する,このような努力が成功したということは,人類にとってたいへん重要なことで,科学者と社会とが協力して,一つのことに当たる仕組みが成功したといえると思います。人類全体の問題を科学者の助言を基にして国連という国際社会が動いたというたいへん貴重な経験をもったと思います。

「持続可能な開発」について,もう少し詳しくお話しいたします。

ブルントランド委員会の「我らが共通の未来」の内容は何かというと,それは,我々は持続可能な開発ができると言っているのではなく,人類ががんばらないと実現できないことだよという決意表明だったのです。

南北格差を小さくしようとすると途上国の経済を発展させなければなりません。生産力を上げれば化学廃出物が多くなります。結果として,環境を汚染し温暖化も進んでしまいます。これは,解けない方程式です。

非常に難しい状況だということを,この本は指摘したのです。しかしながら,この難しい問題を解く鍵は,もしかしたら科学技術にあるのではないか。政治とか法律の必要性は言うまでもないが,少なくとも科学技術なしにはできないのはないか,という強い合意がなされてきたわけです。

それを受けて科学者たちは,1999年に,ブタぺストで世界科学会議を開いて,宣言文を出します。その中身は,『1.科学は社会の進歩にとって必要な知識を生み出すためのものなくてはならない。2.科学は平和のためのものでなくてはならない。3.科学は途上国の開発のためのものでなくてならない。4.科学は社会のために貢献しなくてはいけない。』というものでした。

こういう,これからの人類の共通の問題に立ち向かう役に立つ科学を作ろうという科学観は過去になかったのであります。近代の科学は純粋に知的好奇心で研究すれば,その成果が人類の知的財産になり,それが社会をよくするという考え方で来たわけですけれども,それでは,地球の進歩が待っていられない。科学者は総力を挙げて,人類の共通の問題を研究しようとする科学会議の宣言でした。

それではどういうふうに科学の知識を使って解けない方程式を解くか。

日本の多くの産業は,持続可能な開発についての先進的な考えをもっています。しかし日本の政府には,そのシナリオができていないとしか言いようがありません。

持続可能な開発を可能にする方法は,大きく分けると2つあります。

1つは,しばしば,ある論者が言うように江戸時代に帰れということです。行動をローカライズして消費を少なくして,結果として生産も少なくてよいという提案です。そこには,大きな科学技術を基にした工業技術で,さまざまな行為を行ってきた近代社会への反省があるのだと思います。

もう1つは,かまわないから,どんどん生産しようという考えです。アメリカがその方向です。アメリカは,京都議定書の問題などがあって,環境問題には関心がないのではないかという誤解があるようですが,とんでもない話で,環境問題に先鞭をつけたのは,ほとんどアメリカです。典型的な例,フロンガスの問題は,アメリカの科学者がオゾン層破壊のことを提案し議会がそれを取りあげ,全米科学アカデミーが考えて,モントリオール議定書の作成に至ります。こういう話は数限りなくあります。

しかし,現在のアメリカをみていると,必ずしも世界の流れと合致しているとは思えません。温暖化に関しては,出てきたものを吸収して固定しようという考えです。その技術もひとつの新しい産業になるわけです。

地球がもっている自然の生産力とか,水を浄化する力とか,いわゆるエコシステムは長い時間がかかります。それに対して,どんどん生産して,どんどん炭酸ガスを固定するということを,自然と同じにすることは絶対にできません。夢としてはいいけれども現実的ではありません。

ではどうすればいいか。現在さまざまな試みがなされています。REDUCE,REUSE,RECYCLEの3Rの精神に代表されるように消費を発展させるなかで,太陽発電,風車,潮のエネルギーなどの再生エネルギーの開発や環境エミッションをゼロにする産業構造もあり得ると思います。環境という観点から産業の内容を変革しなければならない時代にきています。新しい生産技術を用いて豊かさをもたらす仕組みを作れば,私たちは持続可能な開発に対応し、国際的に貢献できる産業を日本に興こすことができると信じています。