卓話


ハポンのこと—日スペインシンポジュームでの気づき—

2020年9月9日(水)

住友生命保険(相)
特別名誉顧問 横山進一君


 2008年に私は経団連のヨーロッパ地域委員会の委員長に就任した。欧州の政財界要人との懇談などの用務が広がる中、さらに外務省からの依頼により日本とスペイン両国政府が主催する「日本・スペイン・シンポジウム」という二国間会議の日本側座長をお引き受けした。この会議は1994年の天皇皇后両陛下のご訪西を契機として1997年より開催されているもので、初代の座長は中山太郎元外相、2010年度の第13回会合より私が2代目の座長に就任したものである。

 初めて出席した第13回会合は、スペイン北部のパンプローナで開催されたが、スペイン側座長のジュゼップ・ピケ元外相より「前回の東京での会合は大変お粗末だった。座長交代を機にしっかりとやってほしい」という苦言が呈され、私は大変驚き、次の日本での会合をホスト国としてしっかりやらねばと気を引き締めた。

 早々に次回会合の準備を始めたが、開催地公募に応じてくれた仙台市・石巻市での開催が決まった矢先、2011年3月11日の東日本大震災により両市とも甚大な被害に見舞われた。原発の風評被害もあり、日本側座長として開催は難しいと考えたが、ピケ座長からは「こういう時こそ日本を訪問し、被災地を応援したい」という言葉があり、本当に胸が熱くなった。

 結局、2011年秋に予定通り開催し、仙台市での会議終了後、両国の出席者全員でバス2台に分乗し、瓦礫の山の石巻市を視察した。閉会式ではピケ座長が涙を流して被災者へのお見舞いと復興への期待を述べられたことを鮮明に覚えている。

 さて本題のハポンであるが、2012年の第15回会合はスペイン南部のセビリアで開催された。会議に先立って、我々一行は近郊のコリアデルリオという町に招待され、その街に住むハポンという人々を紹介されたが、ここにはハポン(スペイン語で日本の意味)という姓を持つ人が現在600名ほど在住しており、日本の侍の末裔(まつえい)、すなわち1613年に仙台藩主伊達政宗の命により派遣された支倉(はせくら)常(つね)長(なが)率いる慶長遣(けいちょうけん)欧使節団(おうしせつだん)の団員の末裔と言われているとのことであった。

 伊達政宗が慶長遣欧使節団を派遣した理由は、実は震災復興のためではなかったか、という説がある。東日本大震災から遡ることちょうど400年、1611年に慶長三陸地震という大地震が起こり、大津波により伊達藩だけでも5千名の犠牲者がでたとの記録があり、伊達政宗は経済の立て直しのために、外国との貿易に活路を見出そうとし、それが慶長遣欧使節団であったという説である。

 スペインに到着した支倉(はせくら)一行は熱烈な歓迎を受け、国王フェリペ3世に謁見(えっけん)を果たし、またキリスト教の洗礼も受けた。しかし、その頃日本では徳川幕府によりキリスト教の禁教令が出され、結局通商交渉は暗礁に乗り上げ、このことはキリスト教に改宗した一行には大変ショックであったと思われる。一行は失意のうちに帰国の途に就くが、一行のうちの数名がこの地に残った。最初はハポン姓を名乗っていなかったが、現地に温かく迎えられ、まじめで評判もよかったことから、誇りをもってハポン姓を名乗るようになったと伝えられている。

 この地には侍姿の支倉常長の銅像が遠く日本を見つめるように凛と立っており、また街の理髪店には漢字で理髪店と書いた看板が掲げられるなど、町全体に日本に対する愛着が感じられた。数名のかわいらしい少女たちが一緒に写真を撮って欲しいと声をかけてきたが、名前を聞くと「私たちもハポンです」とのことで、日本人が初めてこの地を訪れてから400年を隔てたこの出会いに感動を覚えた。

 私は2018年に山口市・宇部市で開催された第20回シンポジウムをもって座長を退任したが、今回、この機会に今もスペインに住むハポンという人々のことを皆様にご紹介したいと思った次第である。