卓話


障害者の自立を支える介助犬

2011年3月2日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

社会福祉法人 日本介助犬協会
会長 橋本 久美子氏

 介助犬のお話に入る前に,私が橋本龍太郎と歩んでまいりました道を振り返って,少し申し上げさせていただきたいと思います。

 私と主人とは,縁続きの親類でもありました。私が岡山県第2区選出・当選1回衆議院議員である橋本龍太郎に嫁いだのは,昭和41年4月でございました。結婚するにあたり,主人は「選挙は助けてほしいが,住まいは東京にする」と約束してくれました。

 ところが,昭和42年の選挙の折に得票数が激減しました。やはり地元に住んで自分たちの一票も実らせないといけないと,土地を求め家を建て,私は昭和44年に岡山県総社市に住むことになりました。長女は2歳,長男は生後100日という時でした。

 主人は単身東京という別居生活がスタートしました。政治家の約束がこのようにして反故にされるのかと残念に思いました。
 
 主人は,弟の大二郎とは10歳離れた二人兄弟です。「わりと静かな家庭だったから,子供は野球チームができる程の大勢というのが僕の夢なんだ」と語っていましたので,私も賛同して,先程の二人に加えて,次女、次男と子供に恵まれました。

 6歳,4歳,2歳,0歳という,4人の子供たちの,すさまじいばかりの賑やかさの中に帰って来た主人は「もう4人で充分かなあ」と音をあげました。私は「野球チームの夢はどうしたの」と,政治家の夢がこうしてあっさり破れてしまうのかとかなりがっかりしたものでございました。

 それでも,その後,8年経って一人授かりました。5人になったので,野球チームとまでは言えませんが,何とか元気に育っているのはありがたいことでございます。

 そのようなことで,地元に住まい,子供を育てながら私が選挙に携わるようになって12回,主人は人生で14回の選挙を体験しました。

 思うに,5回目の選挙の時が人生の別れ道のような気がしております。その時は,夜中の3時に,やっと当確が出るという,薄氷を踏む思いの選挙を経験して,何が起こるか分からないという思いも体験しました。

 その後,42歳で厚生大臣,10年後には運輸大臣,海部内閣では大蔵大臣を務めさせていただきました。

 村山内閣のときに,通産大臣を拝命し,平成8年1月に村山総理の退任の後を受けて58歳で内閣総理大臣に就任しました。主人が総理大臣になるまでの私の頭の中は岡山県2区の地図でしたが,主人が総理大臣になった時には日本地図,世界地図になってしまいました。
 
 就任した年の4月にクリントン大統領ご夫妻を国賓としてお迎えした折にヒラリー夫人と間近でお話しする機会がありました。お互いの主人の話題で共通した獅子座生まれだったことで盛り上がり、「獅子座生まれの男性は誰にでも優しくて親切なのね」と意見が一致し、仲良くなれた思いがしました。

 主人が総理を退いたのは1998年でしたが,主人の父が若くして病の為に障害者であったこともあって,主人は議員になって以来,障害者の方々への支援について熱心に関わってきました。
 
 特に「身体障害者補助犬法」の成立には心血を注ぎました。盲導犬については多くの理解が得られていますが,聴導犬,介助犬については歴史が浅く,数も少なく認知度も低いのです。補助犬法は,あらゆる場所で補助犬の出入りを義務化するという法律でした。この法律は,衆参両院で全員一致で可決され,2002年5月に成立しました。

 主人は,そのことをとても喜んでおりましたが,まだまだ法改正の余地があることを予測して日本介助犬協会の会長を引き受けておりました。残念なことに,それを置き去りにして旅立ちましたので,私も何かお手伝いをさせていただくということで,後を継いでおります。

 そこで,「介助犬とはどういうものか」を映像で見ていただいて,ご理解を賜りたいと思います。
●日本テレビ『おもいッきりDON!』(2009年)で放映されたドキュメンタリーのDVDが約15分映写された。以下はその粗筋。

『愛知県長久手町の小高い丘の上に,介助犬シンシアの慰霊碑が建っている。シンシアはおよそ10年もの間,木村さんの手となり足となり,献身的に支えた介助犬だ。

 日本の国内で,介助犬がまだ認められていない時代でのシンシアの活動は,日本の法律を変える原動力となった。そして,新たな法律の施行は2003年10月8日。シンシアは国が認める介助犬第1号となった。

 ここに至るまでの長い道程を辿ってみよう。
 兵庫県宝塚市に住む木村さんは,新婚1年目の1987年のある日,通勤途中に交通事故に遭い首を骨折,医師から「後遺症で半身付随になる」と告げられた。この時,木村さんは27歳だった。失意のどん底にあった木村さんを支えたのは奥さんの献身的な看護だった。懸命なリハビリを続けた木村さんは,3年後には退院することができた。

 しかし,待ち受けていたのは健康なときには思いもよらない困難だった。一人では起き上がることもできない,慣れない車椅子での生活である。ある時,車椅子から落ちたことがあった。僅か1メートル先の電話に手が届かず,助けを呼ぶことができないまま,床に転がって何時間も過ごした。

 ラブラドールレトリバーの子犬「シンシア」がペットとして木村家にやってきたのはそんな時だった。リハビリ生活に疲れ果てた木村夫妻はシンシアに安らぎを求めたのだ。ところが,シンシアは活発に甘えるばかりで,いたずらばかりする子犬だった。

 1994年のある日,木村さんは,たまたま目にした介助犬のニュースで,体の不自由な人を手助けする犬がいることを知った。

 介助犬の訓練は,例えば,冷蔵庫を空けて飲み物を取ったらドアを閉めるように教える,何かを落としたら拾わせる,コインのような小さな物を拾わせる,隣の部屋にある電話機を探して持ってこさせるなど,むずかしい訓練もある。いずれも無理やりにやらせるのではなく,きちんとできた時に褒めてやるのが大事なのだそうだ。

 木村さんは,始まったばかりの介助犬訓練所にシンシアを預けた。愛犬が,少しだけ手助けしてくれることを祈って…。
 
 4カ月後,訓練所でのトレーニングを終えて帰ってきたシンシアを見て,木村さんは愕然とした。トレーナーの言うことは素直に聞くが,自分の言うことは全く聞かない。まるで木村さんを見下しているかのようだった。

 シンシアに自分を否定されたように感じた木村さんだが,これからの生活にシンシアの協力は欠かせない。根気よくシンシアと真正面から向き合い,不自由な体でも,シンシアの面倒は全部自分がみるようにした。

 やがて,木村さんの気持ちが伝わったのか,シンシアも木村さんのパートナーとして慕ってくれるようになったのだ。いつしか,木村さんは,自分の体の一部のようになったシンシアには,今まで遠慮して我慢していたことも頼めるようになった。こうして,シンシアは木村さんのベストパートナーになった。
 
 家に閉じこもりがちだった木村さんも,シンシアがいることで外出する機会も増えた。しかし,そこには新たな壁が立ちはだかっていたのだ。レストランでもスーパーでも,介助犬の存在を知らない。盲導犬とちがって,日本には介助犬を認める法律がなかった。

 木村さんにとっては,自分の生活を支えてくれる犬でも,周りの人から見れば,ただのペットにしか見えない。

 介助犬を守る法律を作るために,シンシアと木村さんの気の遠くなるような挑戦が始まった。一人でも多くの人に介助犬を知ってもらうために,シンシアと共に学校や講演会に出向く日々が続いた。車椅子の側には,いつもシンシアが寄り添っていた。

 シンシアの献身的な姿は,やがて多くの人々の心を動かし始めた。受け入れてくれるレストランも増えた。一度は乗車を断った鉄道も,会社として受け入れる方針を模索し始めた。介助犬を守る法律を作ってほしいという思いは,ついに国会にまで届いた。

 シンシアは介助犬として初めて,国会の赤じゅうたんの上を歩いた。堂々とデモストレーションを行うシンシアに周りから拍手が送られた。

 シンシアと木村さんの地道な活動が実を結び,「身体障害者補助犬法」が成立した。2003年10月8日,介助犬の認定式が行われ,シンシアは国が正式に認める介助犬になった。これから誕生するすべての介助犬は,デパートやホテルなどの公共施設に堂々と出入りできるのだ。

 身体障害者が社会に進出する時に感じる大きな壁を一つ打ち破ったシンシアは,その2年後にガンに冒され,木村さん夫妻に看取られながら,静かに12年の生涯を閉じた。今,慰霊碑の横には,介助犬センターが建っている。その名も「シンシアの丘」という。』
 ご覧になられたような次第です。介助犬総合訓練センターが愛知県長久手町にできています。現在,53頭の介助犬が認定されていますが,介助犬を必要としておられる方々は約1万5千人余りです。皆様の暖かいサポートをお願いいたします。