卓話


グローバル化する世界における法

2006年2月15日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです

弘中総合法律事務所 弁護士
前検事総長  原 田 明 夫 氏

第4089回例会

 一昨年,2004年6月に検事総長を退官した後,11月初めから本年6月末まで,米国スタンフォード大学のCEAS(東アジア研究センター)の招きで渡米し,実務家特別講義プログラムの講師として,1学期間,授業をしたり,様々なセミナーやカンファレンスに自由に参加したりして,先生方や学生の皆さんと交流する機会を得ました。すばらしいカリフォルニアの青い空の下で,自由な生活の中で,多方面の方々とお目にかかれたことを心から喜んでおります。

私は,もともと法律の世界の人間ですけれど,ひとつ間違えれば大変な紛争になるような事態に,「法」という共通の原則,物事を処理する一定の原則を踏まえて交渉することにより,相当程度のことが解決するということが分かってまいりました。

今の世の中は,通信革命その他の情報機関の発達で世界中が,ひとつのフラットな場になりつつあります。そういうなかで,西洋流の原則を押し通すために,開発途上国の人たちに対する搾取とか圧迫という点からの軋轢が出ております。

 日本もビジネス,文化,政治など様々な面で,東アジアや他の地域とフラットな関係を結んでいくのは必然であります。そうした場合に,紛争を予防したり解決したりする共通のものの考え方を前提として,それを運用する人たちが出来上がるのならば,それは平和に通ずると思うようになりました。

私はアメリカで,同じ法律家でも,物事を法的に処理していく際の考え方が随分違うことを感じました。

アメリカは,多種多様な人種・文化・宗教を背景として歴史的に,紛争が起きたときはまず法的に解決する。どんな町にも裁判官がいて,その決定に従うというのが原則です。日本は,紛争が起きたときに「出るところへ出る」のは最後の手段であり,仲間同士で,あるいは第三者を間に入れて,何とか話し合いで解決しようとします。

 1980年代の初め,アメリカでも法律家の数が多すぎるという批判があがりました。

ハーバード大学ロースクールのデレク・ボク学長がタイム誌に引用された講演のなかで「アメリカの法律家は,あまりにも対決的な取り扱い方になじんでいて,そちらのほうに誘導しがちである。何が有効な解決手段かということについて考え方を示すことなく,直ちに対決的に進めることが有り得る」と指摘し,「より穏やかな和解・調停のための技法(the gentler arts of reconciliation and accommodation)をもっと強調されるべきである。法律家が個人の利益だけではなくて社会全体の利益を考えるように誘導すべきである」と提唱しました。同じ頃,ハーバード大学のフイッシャー先生を中心に,交渉学研究所(Negotiation Project)が設けられ,心理学,教育学など人間関係のあらゆる学問を動員して,どうしたら有効な解決手段を交渉によって導き出せるかという研究を続けています。交渉学で考えられているやり方は,双方の立場をよく理解し,相手を思いやりながら自分の依頼者をも説得しつつ,相手にも受け入れやすい結論を生み出す努力をします。交渉人が本当に必要な解決策を考えようという姿勢をもつ場合には,当事者両方のことを考えた解決策を示すことができます。

 私は,優れた交渉者というのは,代理人の都合で,たまたま交渉が解決できなくても,そこで培われた信頼関係は将来に伸びていくものだということに気がつきました。信頼関係を築くためには,日本ではまず親しくなることが先決だとされがちですが,つまるところは,入り口は違っていても出口は同じだと感じたところです。

2004年の12月初めに,国連は「より安全な世界のために〜我々が分担すべき諸責務」という報告書を出しました。これは当時のハイレベル委員会で世界の学者,知識人が集まって国連改革の前提として,国連で何がいま問題かを分析した報告書です。日本からは緒方貞子氏が出席されました。

それによると,世界の諸脅威の実態は「貧困・伝染病・環境破壊などに起因する社会的危機・各種の紛争・大量破壊兵器の拡散・テロ・組織的犯罪」であるとしました。そして,「それらの脅威は相互に関連しているので,これらに有効に対処するには,国内のみならず国際的な視野をもって政治,社会,経済的な対策が総合的かつ包括的判断のもとに行われることが必要だ」としています。この報告書を実際に作るに当たっては,アメリカの若い学者たちが協力したのです。私はこの報告書を読んでたいへん感銘を受けました。

国連は,「文明間の対話の年」と指定した 2001年の11月に「断絶を超えて(Crossing the Divide)」と題する報告書を出していたのですが,そこで説かれておりますのは,いちばん大切なことは「相手の言うことをよく聞く」そして「それに基づいて対話をすることが大切なのだ」と言っています。「対話は価値観を共有し,新しい人生の意味を共に創出することを通じて,相互理解を発展させることを目的とする。対話の目的は,自分の知らないことを学ぶこと。異なった意見に耳を傾けること。多種多様なものの見方に心を開くこと。自分自身の思い込みに反省を加えること。見識をともに分け合うこと。」等々が書かれています。

グローバリゼーションには様々な誤解がありますけれども,発展しつつある情報通信技術の流れの中でグローバリゼーション自体を阻止することはできません。報告書はさらに「グローバリゼーションは,対話を通じて,主体性のない無知や傲慢ではなく,グローバル社会が本当に意味するところへ導いてくれるかもしれない。グローバリゼーションは,対話を通して,悪意に基づく排除や排他的な暴力ではなく,グローバルな本当の交流の在り方や多様性に対する真の尊敬をもたらすかもしれない」と論じています。

この報告書は,2001年の11月に出されたものです。同じ年の9月に同時多発テロがあったために,残念ながら報告書の中身はほとんど無視されました。日本のマスコミもあまり取り上げませんでした。

私は,ある方を通じて,この報告書を読むことができましたが,全く新しいパラダイムのもとに物事を進めているという点でたいへん参考になり,学生諸君と共に読むことにしました。アメリカの学生諸君がここまで率直に話すのかと思うくらい,いろんな話ができました。

 私がその経験で思いますのは,人,組織,国に対して,相手はこういうものだとレッテルを貼って対決するのではなく,人も変わる,組織も変わる,国も変わるのだということで,日本は,これからアジアに向かっていかなくてはならないと思いました。

2001年の報告書を書いたハーバード大学の若い先生は,東洋思想研究所のトウ・ウェイミンという教授です。また、ミシガン大学の心理学のリチャード・ニスベット先生が『思想の地理学(The Geography of Thought)という本を2003年に出しました。この本の説くところは,「東洋的な考え方と西洋的な考え方は違う面がある。西洋の考え方は物事を黒・白に2分的に分ける。東洋は背景のなかで物事を見るという角度で考える。その差が心理学的に相当にあるのだ」というものです。どちらがいいということではなく,それぞれの長所,短所をよくわきまえながら,お互いに協力して将来に向けて,東洋的思想と西洋的思想をつき交ぜて対話をするべきだということを強調しているのだと思います。

 コロンビア大学のセオドール・デ・バリー先生は『Nobility and Civility』という本で,インド,中国,日本を含む東洋の古代から近世に至る指導者と国民の対応の仕方を解いて,そこから指導者の在るべき姿を導き出し,それを東洋の知恵としてとらえようとしております。
先般のダボス会議で,サマーズさんが「世界はいま,ルネサンスや産業革命級の大変革をしようとしている。アジアの興隆と技術の巨大進歩が起こり,ついに西洋の世界支配が終わる」と言ったと報じられています。私は,西洋支配が終わるのではなく,西洋だけの支配が終わるのであって,西洋と東洋の関係がフラットになって対話をすることが必要だという指摘だと思いました。

 暴力の連鎖ではなく、改めて「法の支配」による紛争の解決こそが世界平和を実現するとの希望をもち、異なる文化、文明の断絶を超える真の対話の活発化をあらゆる機会に訴え、実践して行きたいものだと思っています。

 私は、日本の地政学的位置関係からして、二度と悲惨な戦争を起こさず、巻き込まれないようにするためにも、我が国の国際的立場は、「対決と排他」の原理ではなく、「和解と包摂」の原理によるのでなければならないと思います。とりわけ、中国と韓国との関係では、あらゆる場面で努力を傾注し、東アジアにおける平和と発展を図るために、不可避的に影響を受けるグローバル化に対しても、ヒト・モノ・情報の迅速化による利益を「非搾取・非差別」の立場で最大限平等に享受出来るよう還元し、「共存・共生・協働」の原理に基づく関係を模索すべきだと思います。