卓話


サッカーあれこれ 

2006年4月12日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです

(財)日本サッカー協会 名誉会長
国際オリンピック委員会
委員 岡野俊一郎氏

第4096回例会

 つい最近,アメリカでベースボール・ワールドクラシックが行われました。なぜ,ベースボール・ワールドカップでないのかというと,実はベースボールのワールドカップは,昨年もオランダで10月に行われましたが,国際野球連盟が主催して長年開かれております。
  
 この組織のメインはアマチュアで,日本のプロ野球やアメリカの大リーグは所属していません。しかし,国際オリンピック委員会に加盟している正式の組織が運営している大会で名前も登録されております。それでカップは使えないのでクラシックという名前にしたわけです。クラシックには「古典的」という意味のほかに「一流品」という意味があるのはご存じだと思います。こういうことは日本ではあまり報道されていません。

 私がトリノに行く前に,日本での報道を見ていると,これはメダルが相当数とれると思いました。メダル候補の名前がずらりと並んでいました。ところが競技が始まったら惨敗です。最後に女子フィギュアスケートで金メダルがとれて,ほっとしました。

 私は,メディアの,情報収集と発信の仕方に非常に疑問をもちました。あの事前情報に大勢の人が期待し,同時に選手も平常心を失なったように思いました。特に個人競技の若い選手は,新聞に書きたてられた程の実力はなかったのが現実です。

 トリノの予測報道についてはこのくらいにして,スポーツの価値という問題について考えたいと思います。

 私は,日本は先進国でありながら,残念ながら,スポーツに対する社会的評価は,世界でも,たいへん低い国だと思っております。

 日本は長年,武家政治と同時に鎖国が行われてきました。武家政治の中心的な思想は儒教のなかの朱子学です。朱子学では遊びは悪と教えます。つまり,常在戦場,常に清貧のなかに生きる。遊びは悪である。ですから,あの時代の日本の文化は公家と町人と農民で引き継いだのです。武士道という精神的な支柱は受け継がれましたが,ある意味では,文化は生まれてきませんでした。文化というのは,生活が豊かになってはじめて生まれてくるものです。

 オーストリアでは,モーツアルト生誕 250年で,ザルツブルグはたいへんな賑わいですが,そのモーツアルトも,余裕がある貴族のための宮廷楽士でした。文化というのは,基本的には,いかに余暇を楽しく過ごすかということなのです。たとえばスポーツの発祥は狩猟です。かつての狩りは食糧調達でした。しかし段々,生活が豊かになってくると,ゆとりができます。そこで,「我々の村で,だれがいちばん弓がうまいか競争してみよう」という遊び心が生まれます。競争となると的の大きさや弓を射る距離を決めねばなりません。つまりルールが生まれるわけです。

 ここで,食糧調達だったものがスポーツになってくるわけです。
 
 日本では,スポーツは体育という形で明治維新に入ってきました。これは兵隊をつくるための教科でした。それまでの日本は,戦うのは侍で一般の人は戦わなかった。ところが明治維新になって富国強兵という国是が生まれました。強兵イコール皆兵です。

 明治6年に施行された太政官令で,義務教育の中で体育により兵隊になれる基礎体力と兵隊の基本である集団行動の規範を教えます。それが体育という教科の発祥なのです。本来のスポーツとは違うのです。

 スポーツは文化です。スポーツは遊び心から生まれます。今日ではスポーツと同時に体育も必要です。文明が進めば進むほど,人間の生活は楽になります。かつては歩いた所を車で行く。かつては上った階段をエレベーターで行く。夏は暑く冬は寒かったものが,エアコンのお陰で一年間ほとんど同じ環境です。ですから,人間は環境の変化に対応する力がなくなってアレルギー体質の人が増えました。

 文明の進歩は人間を楽にします。余暇を作ってくれます。これを有効に使えば,たいへん生活が豊かになります。しかし,余暇が生まれるという,陽の当たるところだけを見ていては困るのです。陽が当たれば必ず陰ができます。この陰とは,人間が体を使わなくなったということです。

 私は昭和56年から第13期中央教育審議会の委員を務めました。昭和59年から3年間,臨時教育審議会の委員を務めました。その後昭和62年から2年間,第14期中央教育審議会,その後生涯学習審議会の委員も務めました。

 実をいうと,私はこれらの審議の中で,小学校高学年あるいは中学校でのコンピュータ教育の導入を最後まで反対しました。残念ながら私の意見は通りませんでした。

 反対したのは私一人でした。なぜ反対したか,理由は簡単です。子どもたちがなにかを学ぶとき,どういう年齢でどういうことを教えていくかという適時性が大事なのです。

 コンピュータの前では,ただ座って体を使いません。また一人で遊べます。仲間と一緒に仕事をすることを覚えません。電磁波の波長の違う光を目で受けて目が悪くなります。 コミュニケーションというのは,話をする相手との声の抑揚,表情のなかから,相手の伝えたいことを受け止めることです。画面や文字を読み取るのはコミュニケーションではありません。

 子どもは仲間と仕事をすることを覚えない。それだけでなく,体を使わない。仲間と一緒に働く健やかな心,健やかな体,汗を流す喜びを,どこで教えるのか。これが今の教育の最大の問題点だと思っています。

 裏返すと,私は,ここにスポーツのもつ,ひとつの価値を見いだすわけです。

 年齢に応じた体の成長,神経系統の発達,筋肉や骨・内蔵の発育を,正常にさせるためには体を使わなければいけないのです。

 人間は,オギャーと産まれたときには約4兆の細胞,それが大人になると約50兆から60兆になるといわれています。その間,一つ一つの細胞の生命活動が、どう外部の刺激を受けとめて正常に成長するかが大事なことなのです。

 私の小学生時代には,教室や雨天体操場のぞうきんがけをしました。しぜんと背筋が鍛えられます。ぞうきん絞りは上腕二頭筋を鍛えました。いまの子どもたちは絞り方も知りません。

 便利になるのは結構なことです。しかし,それだけを喜ぶのではなく,何が減ったかを考えることが大事だと思います。それを補うものの一つがスポーツだと思います。

 特にチームスポーツによって遊びのなかにしぜんと体を鍛えると同時に仲間と一緒に仕事をする。たとえばサッカーで,仲間が抜かれたらカバーに行くのがチームプレーです。そういうことから,仲間と一緒にやって勝った,よかったなあ。負けたけれど次は頑張ろうという気持ちがしぜんと育つのです。そこに,スポーツの価値というものを見直すべきではないかと思うのです。

 話変わって,6月のワールドカップはどうなるか。日本のチームはどうなんだということですが…。

 私が心配しているのは,トリノと同じ報道が行われていることです。オーストラリアは弱いのではないか。違います。オーストラリアの代表チームは全員ヨーロッパのトッププロです。オーストラリアでいちばん盛んなスポーツはオーストラリアンフットボール。次はプロのラクビーリーグ。続いてラクビーユニオン,日本でやっている15人制です。その次がサッカーです。ですから,いい選手はみんなヨーロッパに行ってプロになっています。ワールドカップに出てくる連中はオーストラリア国籍のヨーロッパトップリーグのレギュラーです。

 日本のメディアは,ベスト8進出,ベスト16まちがいなし,のような記事ばかりですが,私は非常に心配をしています。

 日本のプロ野球は70年を超える歴史がありますが,Jリーグはわずか13年です。先々を十分見つめて準備を整えていかなればいけないと思っています。私は国際サッカー連盟の委員としてベルリンでの決勝戦まで,約40日間ドイツに滞在しますが,日本のチームがいなくなるのはさびしいことです。なんとかしていい成果をあげてほしいと心から願っております。

 1930年に世界で初めてワールドカップが始まりました。この大会の歴史に対して,日本はやっと3回目の参加です。

 次の大会のアジアの割り当てもワールドカップでの各大陸からの参加チームの成績によって決まります。韓国もサウジアラビアもイランも頑張ってほしいです。その結果アジア全体のサッカーが盛んになるのです。
    
 世界中どこへ行ってもサッカーの話をすれば友達がすぐに生まれます。サッカーにより相互理解を深め,世界の平和に貢献できるような日本のサッカーでありたいというのが私の念願でございます。