卓話


「情報戦略−インテリジェンス−とは何か」

2006年9月27日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

外交ジャーナリスト・作家
手嶋龍一氏 

第4118回例会

 昨日,安倍晋三内閣が新たに発足しました。安倍総理は、新しい構想として二つの官邸の機能強化策を挙げています。 一つは,安倍晋三版のNSC(国家安全保障会議)の設置。もう一つは,晋三版CIA(中央情報局)ともいうべき対外情報機関の創設です。

 日本は,鈴木善幸さんの内閣まで,つまりついこの間まで、日米両国が「同盟関係」にあるということすら公に認めたがりませんでした。その後,対朝鮮半島をめぐる核問題への対応,PKO(国連平和維持活動)への参加にみられるように,徐々に軌道を修正してきました。しかし、対外情報機関をどう扱うかという問題だけは、まったく手付かずでした。G8諸国の中では,イタリアも1970年代まで対外情報機関を持っていませんでしたが、現在は日本だけが,唯一、対外情報機関を持たないで凌いできた国家なのです。

 情報機関が十分に機能しないことが如何に恐ろしいことであるか。私たちは、イラク戦争を通じて目の当たりにしています。 ブッシュ政権は、イラク戦争の大義をみつけるため、イラクが大量破壊兵器を保有していたとする情報を捏造したと言われていますが、そうしたニーズにぴったりと沿ったインテリジェンスをもたらしたのが同盟国、イタリアでした。情報がイタリアからロンドンにたどりつく過程で,それがあたかもリアルで真実の情報であるかのように扱われていきました。そして、米国をあの戦争に誘っていったのです。間接情報が,時に国家の死を招く典型的な例と言えましょう。

 私は『ウルトラ・ダラー』という小説をセント・マイケルズという小さな港町で書き上げました。小説を書き終えた去年の夏のことです。ディープ・スロート(deep throat:内部告発者)の一人から「お前がターゲットにしていた財務省のシークレットサービスが,マカオで動きだすよ」というメールが入りました。原稿に手を加えることはしませんでした。しかし、版元の編集者が「手嶋さんの書いたことがだんだんと本当になってきましたね」と指摘するように事態は動いていきました。本に書いた内容が徐々に現実のものになってきたのです。そのおかげで、『ウルトラ・ダラー』は、小説でありながら、書店ではノンフィクションの部門に位置づけられるようになってしまいました。困ったことです(笑)。

 小説の主人公であるスティーブン・ブラットレーは表向き、BBCの東京特派員ということになっていますが、本当の顔は英国の秘密諜報部員です。彼は、東京というインテリジェンス未開の地に赴任するにあたり,オックスフォード大学の恩師である教授を訪れています。テムズ川のほとりを歩きながら,スティーブンが「インテリジェンスとはいったい何なのですか」と尋ねます。このやり取りは私もそばで聞いていました。

 教授は「インテリジェンス(Intelligence)の大文字のIは,正に『神の知』を意味する。川原の石ころを見てみたまえ。石の一つ一つは,一見、何でもないような顔をしている。しかし、経験を積んだインテリジェンス・オフィサーが,日がな一日眺めていると、いくつかの石が浮き立ってくる。それをつなげ、並び替えてみると,時にサンスクリット語の『神』に見え,時に、漢字の『人』にも見えたりする。 その結果,川原のいくつかの石ころが重要な光りを放ってくる。その意味を徹底して読みこむ。何が起こっているかをevaluation reportに書き、国の舵取りをしている人たちに上げる。政治指導者派は、その真贋を見分けながら,国の行くえを定めていく。これが‘インテリジェンス(Intelligence)’なのだ。一般的な‘インフォメーション(information)’とは、まったく違うんだよ」と答えました。

 「Intelligence」の説明があまりに見事でしたので,『ウルトラ・ダラー』にもそのまま収めました。そして、 東京を舞台にストーリーを展開したのは、東京が情報の「未開の地」,言い換えれば「約束の地」と言っても良い都市だからです。

 スティーブン氏が所属するSIS(俗称SI6)は,組織図では一応外務省に属する情報機関ですが,内閣に属するJIC(統合情報組織)が各省の次官級を擁して統括しています。今年の8月10日,イギリス当局は、初めて大規模な航空機テロ未遂事件の容疑者摘発を行い、テロを未然に防ぎました。これは奇跡に近いことでした。ロンドン地下鉄爆破テロなどでも,イギリス当局はインテリジェンスの収集に失敗しました。このように「インテリジェンスは失敗の葬列」だといわれていますから、事件を事前に突きとめることは至難の業なのです。

 パキスタン籍であっても純然たるイギリス国民である人たちのコミュニティーがイギリス各地にありますが,情報当局はそのコミュニティーを徹底して監視しました。監視の対象は約千人に上ったといわれています。

 盗聴,傍受,携帯電話の分析などを含めて,ダブル・エージェントと言われるスパイを組織に送り込むなど,通常の法律の範囲をはるかに越えた情報収集を行い,50人ほどの「ハード・コア」と言われる容疑者を絞りこみました。

 それと並んで対外情報機関は,パキスタン軍情報部と情報を交換し,容疑者が間もなく航空機のチケットを買うという情報と,コンタクトレンズの溶液に爆薬を入れ、発火装置に携帯電話のバッテリーを使うという計画の全貌をつかみます。おびただしい数の,細かいインテリジェンスのピースを少しずつ集め,重大なことが起こりつつあると断定しました。

 このようにして、インテリジェンスのピースを集め,それをジグソーパズルのように埋め込み,どのような事柄が起ころうとしているのか、大きな構図を描き出す。これが内閣に直属するJICという組織です。JICのメンバーは高官ですから,実際にピースを素材に、評価をすることはしません。各組織から選りすぐった,わずか20人ほどの「評価スタッフ」が評価報告の筆を執り、リポートを政府首脳部に直接上げていったのです。

 8月10日の一斉摘発の際、ブレア首相は,こうして得たインテリジェンスを基に直ちに摘発に踏み切るという最終決断をしました。そして、ブッシュ大統領にも連絡をしています。このことからお分かりのように,わずか20人程度のスタッフに絶大な権限を与え,すべてのインテリジェンスへのアクセスを許し、その責任を政府首脳部がとっているのです。

 さて、それでは安倍版CIA構想はどうでしょうか。実はこの構想には,この核心部が全く欠けているように思います。上モノの組織をどのように立派に創っても、それを動かす「評価スタッフ」組織を置かず、各省の省益に凝り固まった壁をぶちぬかなければなりません。少数の精鋭に権限を与えなければ、官僚組織は動きません。安倍内閣は、これから困難な課題に立ち向かおうとしています。いったん手をつけるなら、世界に通用する立派な対外情報機関を誕生させてもらいたいと願っています。